決別
「ランス。そんな単純な話ではなくなっているの。それに、私は誰かの主張の為に利用されたくない。……例えそれが貴方でも」
エレノアは日頃、権力の為に自分にすり寄ってきた、チャールズ司教の事を思い出しながら、ランスに告げた。
もし聖王都に残る事になれば、チャールズ司教を筆頭とした、リチャードに反目する勢力が、偽聖女となったエレノアの下に寄ってくる可能性が否定できない。そして危惧する事は、偽聖女と呼ばれ出した今でも、エレノアが聖女になれる道が完全に閉ざされたわけではない事だった。
『エレノア、わかったぞ。カレンを殺して、聖女になろうとでも考えているのか!』
大聖堂休憩室でのリチャードの言い掛かり。だが、その言葉には一つの真理が含まれている。
聖女カレンに不慮の事態があって、極光の書の契約が空位になれば、エレノアが契約を果たし、新たな聖女になれる可能性が存在するのは事実としてある。
つまりは自らの存在が、新たな火種になる可能性が捨てきれない。ただでさえエレノアの評価は、最高魔力であれ特殊な出自により聖王国内では賛否両論であり、それは才能的に不完全な聖女ともいえるカレンも同じである。聖女になる道が残されている限り、エレノアは危うさを秘めたジョーカーという存在に変貌する可能性があった。
チャールズ司教は聖女継承の儀の裏事情を知っている。彼の願いは今でもエレノアを聖女に仕立て上げる事だろう。それを踏まえると、カレンの身に悪い事が及ぶ可能性を完全には排除できない。
恩義のある聖王国の為を思えば、偽聖女のカードは聖王国から破棄した方が良い。聖王都エリングラードから去れば、否応なしに一丸となって聖女カレンを盛り立てる事になるだろう。
カレンの事は嫌いではない。仲良しとは言い難かったし、口論したり皮肉を言い合った事も多かったが、魔法院の光魔術科では唯一、光魔法の競争相手として意識した相手だった。
畏怖や嫉妬、あるいは未来の聖女の機嫌を損ねたくないという判断からか、魔法学院の同級生に腫れもの扱いを受けていたエレノアだったが、怖気づく事なく、正面から突っ掛かる気概があったのはカレンだけである。その事については箔付けの為に通っていた魔法院での数少ない楽しみであり少し感謝していた。
そしてリチャード王子の思惑通りというのは気にいらないが、そのマイナスを差し引いても、聖王国から貰ったものは多い。奴隷の身から救って貰った上、英才教育を施してもらい、そのつけを払わないまま、仕方なしに聖王国から追放される。
今の状況は必ずしも悪い事ではない。エレノアは目的を失った虚しさを紛らわす為、無理矢理にでもそう思うことにした。
ただ、病に伏す聖王アレクシスの事だけは心残りだった。魔力喪失。体内に宿る魔力が働かなくなる恐るべき病であり、治癒を最も得意とする光魔法でさえ解決できない奇病でもある。
それがリチャード台頭の機会を与え、全ての歯車を狂わせてしまった。
「エレノア、誓いを忘れたのか」
ぼんやりと、追放を肯定的に考えようと、思考を巡らせていたエレノアに対し、ランスが叱責した。
「……誓い?」
「ああ。共に聖王国の未来を支えると誓っただろう。こんな下らない噂話はすぐ消えるに決まっている。光術師としてだって聖王国を支えていけるはずだ」
熱弁するランスだったが、エレノアの心は既に聖王国にはなかった。聖王という大きな後ろ盾は既に失われたも同然であり、聖女という正当性すら失った。偽聖女として嘲笑される身で、これ以上、何かを成したいという気力が沸かなかった。
何だかんだで未来の聖女という大義名分は、彼女にとっての支柱であり人生の指標だったのである。
「ああ、その事。……支えると言ったけど。それは私が聖女になれた事前提の話」
「聖女がなんだ。エレノアの才能なら、そんな事は関係がない」
「今の私は偽聖女よ。……嫌われ者なりに、空気を読みたいの。誰からも好かれる貴方には分からないでしょうね」
エレノアは必死に説得するランスの言葉を遮った。
大聖堂の休憩室でのリチャード王子とのやりとりは伝えなかった。追放撤回の条件は、リチャードに服従を誓い、屈服する事。おそらくは聖王の育て上げたものすべてを蹂躙したいのだろう。どういった扱いを受けるのかは想像がつく。
当然、そのような選択肢をとるつもりはない。矜持を捨てて聖王国に留まれるよう嘆願するにしても、どうしても譲れない一線がある。
「……俺だって覚悟して来たつもりだ。追放を撤回して貰うように、リチャード王子に掛け合ってみる。聖騎士を辞する覚悟だって」
「聖騎士を辞める? 貴方の聖王国への思いって、その程度だったのね。幻滅したわ。……それに前途ある聖騎士をたぶらかした偽聖女。私の悪名が一つ増えるだけ。いい加減、有難迷惑って気付いて」
エレノアはわざとらしく悪態を吐き、明確にランスを拒絶をした。あの条件がある限り、リチャードに追放取り消しを掛け合われても困るのである。それにリチャードに掛け合って、駄目だったら何だというのだろう。聖騎士を辞して、一緒に追放劇に付き合ってくれるとでも言うのだろうか。
この正義漢が自分に向ける善意が、嬉しくないわけはない。もし、一緒に追放されてランスと二人で旅を出来たら、少しは楽しさによって目的を失った虚しさが紛れるかもしれない。
だがそれは、ランスと彼の親族に対する申し訳なさを上回るものではないだろう。
最早、ランスがエレノアに関わって得することなど何一つない。齢二〇を待たずして聖騎士の証を授かった前途ある才能の持ち主で、掛け値なしに尊敬できる数少ない人物である。どうしても彼の重荷にだけはなりたくなかった。
「エレノア……違う、俺はただ……」
「ランス、お父様のような立派な聖騎士になって。貴方なら出来るわ」
エレノアは無理矢理微笑むと、呆然とした表情のランスに別れを告げた。
そして、ついに諦めたランスが帰り、一人になった後、決別ともいえる言葉を口にした事に落ち込んだのか、溜息と共にうなだれた。
世の中には思い通りにいかない事もある。そう思えば諦めだって付く。
そして尊敬出来る相手であるからこそ、その人の未来は明るいものであって欲しい。エレノアはそう願っていた。
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