偽聖女
光翼をはためかせ、エレノアは火柱の上がった爆心地の方角に急行していた。
爆発音と共に吹き上がった火柱と煙の正体の予測は付かなかったが、それはグレイが深刻な事態に巻き込まれたのではないかとエレノアに予感させるには十分だった。
(──どうか聖女神様、グレイを連れていかないで)
飛行を続けながらエレノアは銀髪碧眼の青年の顔を思い出していた。
彼は熾天翼で高台に飛び立とうとした時に突如現れた。素性の怪しさから第一印象は決して良いものでは無く、偽名の命名を任せた際に揶揄われ、共同作業による上空からの侵入は失敗に終わった。
良い処は沢山あった。飛び立つのに失敗し真っ先に心配してくれた事、地下水脈の蛟の強襲からかばってくれた事、気を利かせて外套をかけてくれた事。
部外者ながらノーラス村で信頼され、一挙一動や気配りからも、心優しい青年である事は何となく想像できた。
──だが、それは打算的な判断に基づいたものかもしれない。何より知り合って、たった二日の他人である。彼が何者であるかさえ知らないのだ。
そう、恩人と言ったって全ては打算に基づいたものだ。例え尊敬する聖王様だって、それには代わりがない。聖女になりそうだから助けてくれて育ててくれた。ギブアンドテイクの関係。
だから二年前、恩人である聖王アレクシスが病に伏せて謁見する事が叶わなくなっても、ずっと尊敬していた大聖女アリアが亡くなっても、涙一つ見せずにやりきる事が出来た。
だから、もしグレイとお別れになっても、剣王国のあてがなくなって残念くらいの気持ちで処理出来るはずだ。
エレノアは普段と同じように、湧き上がる黒く苦い感情から精神を保護しようとしていたが、渦巻く感情の昂ぶりを治める事は出来なかった。
(──!?)
エレノアは突然弓矢の攻撃を受けた。光翼の防護により矢は弾き返したが、それは神経を尖らせていたエレノアの集中を著しく阻害するものだった。
地上に目を凝らすと、敗残した三体の小鬼が三体、弓矢を構えている。
「邪魔しないで!」
エレノアは一瞬だけ空中で停止すると、光翼から三枚の光刃を投射し、地上にいる小鬼たちに向けて爆撃した。爆発音と悲鳴の後、沈黙を確認すると、再び飛行移動を開始する。
冷静に考えれば、光翼の防護に任せて弓矢の射程から早々と離脱した方が効率的だったが、今のエレノアは冷静さを失っていた。今の光刃によって光翼の防護よりはるかに魔法力を消耗をしてしまっている。そして広域回復魔法による作戦でエレノアには魔法力には余裕がなかった。
心模様を示すかのように、局地的にたちこめた黒雲から、にわか雨が降り出した。
エレノアは強まる雨に打たれながら低空飛行になりながら、何とか爆発の震源地に辿り着くと、力なく着地した。
二日の睡眠を経て溌溂としていた少女は、自ら打ち立てた作戦により、強大な魔力量によって裏付けられた魔法力を消耗し、そして光翼を駆使する事によって残りの魔法力も殆ど使い果たしてしまっていた。
「グレイ……嘘」
小火と煙が立ち込める爆心地で、意識が朦朧とした状態のエレノアの目に映ったものは、消し炭となった身体だったものの破片。それは小鬼王の頭部に見えた。近くには小鬼王が用いていたと思われる巨大な剣が転がり、少し離れた処にはグレイの愛用していたロングソードが地面に突き刺さっていた。
そして、木の枝に引っ掛かっている焼け爛れたブラウン色の布。それはグレイに秘密通路で羽織って貰った外套の切れ端で間違いなかった。
(──ああ、聖女神様、私の嫌な予感は)
雷鳴が轟いている。エレノアは降りしきる強雨に打たれながら、力なく膝から崩れ落ちた。
リリアが心配していた通り、魔法力を消耗し過ぎていたのだろう。今は何も考えられない。喉がからからになり、過呼吸が酷くなっている。
何が起きたのかは想像するしかなかったが、火薬あるいは火魔法、何らかの手段で小鬼王が自爆したのだろう。そしてグレイの身に何かがあった事も容易に想像が付いた。
(……私が図に乗って、あんな強引な作戦を立てたから)
彼の甘く心地よい声が脳内で響いている。瞼を閉じれば銀髪碧眼の青年の微笑みが容易に想像できた。
エレノアは雨に濡れて顔に張り付いた、艶やかな黒髪を鬱陶しそうにどけると、ただ、ガタガタと雨露の寒さに震えながら自己否定に走った。目の前に起きている現実なんか認めたくない。そしてそれを齎してしまったかもしれない自分の安直な思考も。
聖王国を離れ、随分と弱々しくなっているのを感じた。聖女候補である事は自分にとって誇りであり、存在理由の為の柱だった。今の自分に何があるというのだろうか。
──茂みから叩きつける雨とは別の音がした。
小鬼の姿が四体。エレノアは恨めしそうに睨みつけ、両手を広げた。
『熾天翼』
だが、エレノアの手のひらの淡い光は拡散し、切り札である光翼が背に宿る事はなかった。魔法力切れではない。意識をまだ保てているという事は、もう少しだけ余裕があるはずだった。だが心が著しく乱れて上位魔法の構成を上手く紡げていない。
急速に心の中で生きようとする意志が希薄になっているのを感じた。それでもエレノアは這いずるように、にじり寄る小鬼から逃れようとしたが、五メートル程先にあった目の前の段差によって阻まれた。
小鬼は異性の人型生物を暴行する事もあるらしい。大惨敗を喫して気が立っているというのもあるかもしれない。弓矢の飛び道具を用いず、近寄って舌舐めずりする顔つきを見て、エレノアは顔をしかめた。
「……ふざけないで」
エレノアが抱いたのは怒りだった。卑劣な聖王国第一王子リチャードの策略に嵌められて追放され、人知れず山奥で朽ち果てる。そんな事はあってはならない。
幸福になりたいわけではなかった。だが、舐められたまま不幸な終わりを遂げるのは矜持が許さない。
聖女候補の成れの果て──偽聖女のまま終わるつもりはない。
「あのクソ王子に嵌められて追放されて……こんな処で、やられて死ねるわけがないでしょう! かかって来なさいよ……偽聖女の意地を見せてあげるわ!」
泥まみれのエレノアは大声で叫ぶと、地面に落ちていた石を握り締めてゆっくりと立ち上がった。にじり寄ってきた小鬼の顔面に拳を振り抜くと、続けざまに飛び蹴りを放つ。強襲をまともに受けた小鬼は転倒すると、近くにあった岩石に頭をぶつけ、そのまま立ち上がってこなかった。
対暗殺を想定した護身術がこの極限で役に立った。対人想定だが二足歩行の小鬼ならそれに近い想定で戦う事が出来る。あと三体。
──だが、想定は一対一の話であり、エレノアの身体能力は一般人とそれほどは変わらないレベルである。そして魔法力低下に伴う、気怠さによる能力低下だけはどうにもならず、エレノアは一斉にとびかかる三体の小鬼に反応しきれなかった。
『氷棺』
エレノアに飛び掛かった三体の小鬼が突如氷漬けになり、硬直したまま身動きが取れなくなった。その魔法には見覚えがある。その魔法を放った主は剣を手に、目にも止まらぬ速さで剣閃を三回放つ。
剣の先からは風の刃が形成され、その延長した真空刃が、氷漬けになった小鬼たちをまとめて真っ二つにした。
銀髪碧眼の青年は、泥塗れになり呆然としている黒髪の少女に話しかける。
「……グレイ」
「エレノアさん。……遅くなって本当に申し訳ない」
朦朧として崩れかけるエレノアを銀髪碧眼の青年は力強く抱きしめた。
目の前に居たのは、エレノアが探し求めていた剣士、グレイの姿だった。
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