アンドロイドな山崎さん
「これから人間とAIの区別をはっきりさせないといけない日が来るかもしれませんね」
テレビから流れるアナウンサーの声をなんとなく聞きながら日付が変わる頃、俺はコンビニに行くため家を出た。
季節も秋にさしかかろうとしている頃、外に出ると空気が張りつめ体の芯から冷えてくる。ただこの澄んだ空気が逆に心地良くも感じた。
「このまま思考停止して凍えてしまってもいいなあ」
そんなことを考えるのは俺が今とても満たされているからに違いない。
彼女と付き合って2年、先日ついに念願のプロポーズが成功した。
来年の1月からは新居で彼女との同居生活が幕を開ける。否。妻との新婚生活だ。
今回はそんな彼女との物語を振り返るのかというとそういうわけではない。
俺はただおでんが食べたくてコンビニに向かっているだけ。なんの物語も綴るつもりはない。
プライベートが順風満帆な俺は仕事だって順調だ。
彼女と出会った今の部署で見事に出世を果たし、来年の春からは別の部署で新規プロジェクトの立ち上げを任されることになっている。
正直、結婚を機に妻が仕事を辞めても裕福な生活をさせてやるほどの収入もある。もちろん、子供ができても何の問題もない。
それではそんな出世コースを進むことができている俺の成功ストーリーでも語るのかというと、そういうことでもない。
俺は今満足しているのだ。満足していること、失敗がないことを語ってなにが面白いというのだろうか。
予想ができないことが起きるから物語は面白いのだ。
かといってこれから買い物に行くコンビニや、食べたくて仕方ないおでんがそれに該当するかというとそうでもない。
俺は満たされている。
全てが順調に進んでいる。
故に退屈さを覚えることがある。
正直に言おう。俺は少し人間に飽きてきた。
妻との生活は楽しみだ。出世した後の生活も楽しみだ。それはそれで幸せを感じていよう。
ただそれとは別に刺激が欲しいのだ。
普通のコンビニやおでんにも俺が求めている刺激はないが、今から行くこの時間のコンビニにはそれがある。
「これから人間とAIの区別をはっきりさせないといけない日が来るかもしれませんね」
自宅にて聞き流していたアナウンサーの台詞。それは区別をはっきりさせる日が来ることをどこか他人事に言っていたからだ。
共感することはできなかった。
「区別をつけないと人間かどうかを疑わなくてはいけないですからね」
コメンテーターの一人もそんなことを言っていた。
ーーはっきりさせないといけない日が来るかも。
そんな曖昧なことではダメだ。
俺が今日はっきりさせてやる。
これから向かうコンビニにいるアンドロイドのことをーー。
俺は決意を固めてコンビニに入った。
しかし、コンビニに入った瞬間強制的に嗅がされたおでんの香りに少し決意が揺らいだ。
おでんを買って暖かくて落ち着く我が家でそれを食らう。そんな素敵なひと時を今すぐに過ごしたかったが今日の俺には目的がある。野望といってもいい。
この時間、唯一存在するコンビニ店員の山崎さんだ。
このコンビニに初めてきた時はこの時間に女性が一人でいるなんて危ないと思ったが、今はそんなことを思うことはない。なぜなら彼女はアンドロイドだからだ。
例えば、いざ不良が目の前に現れたとしてもそいつらはひとたまりもないだろう。このコンビニで不良を見かけないのも、山崎さんがアンドロイドの力で制してるからではないだろうか。
「イラッシャイマセ」
山崎さんがレジ周りでの作業を終え俺に気づいたのか挨拶をしてきた。
ーーいきなり出してきたな。
俺が山崎さんがアンドロイドであるとする一つ目の理由がこれだ。
なんと淡々としている話し方だろうか!
言葉から少しも感情というものが感じられない。
これは指示されたことだけを淡々とこなすアンドロイドであるからにして他ならない。
もし俺がどこかでさらわれ、屈強な男たちに無理やり縛られ、視界を奪われ引き摺り回されながらこのコンビニに入ったとしてもこの声を聞けば一瞬で山崎さんだとわかるだろう。
目的のおでんを買うとすぐにコンビニを出なくてはいけなくなるので立ち読みするため本のコーナーへと移動する。
すると後ろの方から草むらからウサギでも現れたような音がした。山崎さんだ。
どうやらインスタントラーメンの補充をしているようだ。
俺がいる本コーナーの一列隣の棚だ。
ーーこれはまたやりおるな。
俺は山崎さんに見つからないようにこっそり棚を覗き込む。
山崎さんがアンドロイドである所以、二つ目はこれだ。
山崎さんはとても小柄だ。だから棚の一番上の商品を補充する時は箱を持ちながら片手で補充するようにしているらしい。
その時に使うのが片足立ちだ。
山崎さんは片足で立ち、もう片方の足の太ももに箱を乗せその状態のまま商品を補充する。その姿はまるでフラミンゴそのものだ。
この時の山崎さんは商品を補充している腕以外ピクリとも動かない。制服ピンクにしたらいいのに。
人間だったらあの体勢で動かないなどできるはずがない。夜中のコンビニだからと油断した山崎さんの姿だ。
山崎さんが補充を終えたインスタントラーメンの棚でおでんのお供を吟味することにした。
あくまでラーメンがお供なのでそこは譲れない。
味噌ラーメンを手にし、山崎さんの最後のアンドロイドらしさを確認する為にレジへと向かった。
「イラッシャイマセ」
それはもう聞いた。
味噌ラーメンをレジに出し、おでんをいくつか注文した俺はお客としての役割を果たし山崎さんを見守ることに全力を尽くす。
俺はコンビニのおでんが好きなのだが、なによりもこのつゆが好きなのだ。なのでもちろんつゆだくだ。
そして最後のアンドロイドポイントはここで見られる。
ーーこれはもう確定だな。
山崎さんはプログラムされているようにいつも同じ量のつゆを入れてくれる。
たぷたぷでいつもぴったり同じだ。
しかしアンドロイドポイントはここではない。
これは熟練の人間でも可能な範囲だ。山崎さんがアンドロイドである所以は指だ。
なんとおでんの器を持つ親指がおでんのつゆに入ってしまっているのだ!
俺が頼んだおでんを一つずつ選んで最後につゆを入れる。そしてそのつゆは最終的に山崎さんの指をも包み込む。
ここが山崎さんがアンドロイドである点だ。
熱いでしょ。おでんのつゆだよ? 熱いでしょ。熱いって言っていいんだよ。表情変えていいんだよ。
そう思っているし願っている。
しかし山崎さんは表情一つ変えず、なんなら親指を抜きさえしない。
「お客様に提供する商品に指を入れるなよ」
という声が聞こえてきそうだが、そんなことは今はどうでもいい。
熱いと感じないこと、これが最後のアンドロイドポイントだ。
俺はいつもそうなのだ。最後にあの指に衝撃を受け過ぎてしまい、山崎さんをアンドロイドだと追い込むことができないのだ。
実質あの指を見せられている時点で俺は負けているのかもしれない。
コンビニから出ようとしたその時後ろの方から山崎さんの声で聞いたことない言葉が聞こえた。
意味はわからないが多分これは中国語だ。
何故山崎さんが中国語を?
そんなことを考えていたら裸の商品を手に俺の方に男が走ってきた。
ぶつかる寸前でよけたが、万引きだと直感した。
その刹那俺の前を一つの影が通り過ぎる。
影が向かった先では男が倒れ声を上げていた。誰かに抑えられて動けずにいるようだ。
彼の万引きは失敗に終わった。
その影の正体はもちろんコンビニ唯一無二の番人山崎さんだ。
俺は男から商品を返してもらい警察に電話している山崎さんを少し眺めてから帰路についた。
その日の帰路はいつもと違った。
もちろん俺はいつも通り山崎さんをアンドロイドだと追い込むことは出来なかったが、いつもと違う刺激に俺は興奮していたのだ。やはり彼女はアンドロイドだと。
しかしふと中国語で電話していたこと、万引きを捕まえた足の速さを思い出し違和感が生まれた。
山崎さんの挨拶が淡々としているのは彼女が中国人だから?
商品補充で微動だにしない足は彼女が陸上部で足腰がしっかりしているから?
そんな思いに行き着いてしまった俺はアンドロイドではない山崎さんにショックを受けた。
所詮山崎さんも人間だったのだ。
楽しみが消えてしまった。刺激がなくなってしまった。明日からまた退屈な日々となってしまう。
仕方ない。幸せで満足した生活を送り続けよう。
肩を落としながらおでんの香りを家まで連れて行った。
そして家でおでんを食べる時ふと気付いた。
「……じゃあつゆが熱くない指は?」
俺はまたあのコンビニに行くことになりそうだ。