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「え、なんだって?」

「ふぁーかーらぁ」

「うわ、ばか、米飛ばすんじゃない」


 聞きたくない言葉が聞こえた気がした。きっとレンジの自己主張に紛れてかき消えてしまったに違いない。そういうことにしたい。

 家に帰ったらすでに敷いてあった布団の上、弁当片手に布団の上に散った米粒を拾う彼女を見下ろしながら、僕はベッドに腰かける。熱い。やはり膝の上に温め直後の弁当を置くものではない。

 それもこれもお前のせいと恨みがましい視線を送ると、ちょうど彼女は掃除を終えたようで、指についた米をなぜか一粒ずつ、口に運んではもぐもぐとやっている。んく、と嚥下する喉がなまめかしい。


「だーかーら、しばらくここに住むからねって」

「え、なんだって?」

「えー、ぜーったい聞こえてたー」

「え、なんだって?」


 僕はもう、同じ言葉を再生するだけの機械になることにした。

 家に帰った時から、一抹の不安はあった。むしろ不安しかなかったと言っても過言ではない。だって、いつの間にか箪笥脇に鎮座しておられる、旅行にでも行くのかというキャリーケース様。今日だけお世話になりますってやつの持ち物ではない。


「ねぇー」

「え、なんだって?」


 返事をするわけにはいかなかった。返事をしたら自分勝手な彼女に主導権を握られる気がする。そしてなんだかんだで居ついてしまうだろう。

 だがしかし、住まわせるとしたら金がもたない。今日だって彼女は自分の食事を買ってきていないのに、どうして明日以降自分で自分の食費を出すと言えようか、いや、言えない。二倍の食費は正直言って洒落にならない痛手だ。

 しかも、このワンルームは二人で住むには狭すぎる。プライバシーもへったくれもない生活になってしまうだろう。


「ねーえー」

「ふぇ、ふぁんふぁっへ?」


 そも、なぜ僕は、彼女の分の食事を買ってきてしまったのか。


「ねえったらー」

「あぁもう、うるさい!」


 耳元にまですり寄って大音声をあげる彼女を引きはがす。途中顔をぐにぐにとされたもんだから頬もひりひりする。

 両肩を掴まれた彼女は「いやーん、襲われちゃうー」と棒読みして身をくねらせるもんだから、布団の上に乱暴に座らせなおす。彼女は枕元に置いてあった弁当を拾い上げて一口。唐揚げの脂で桜色の唇をてからせながら、聞いてくる。


「で、お返事は?」

「嫌だよ」

「なんでさー」


 一瞬、返答に詰まる。物理的な話ではきっと彼女は納得しない。なんだかんだと言ってここに残ろうとするだろう。

 だから。一瞬のためらい。何故ためらうのだ、言ってしまえ。


「はっきり言って、僕はお前が嫌いだからだ」

「えー、うそー。高校の頃は好かれてると思ったのになー」

「……思い違いじゃないか?」

「うーん、残念だなぁ」


 心を何かが通り過ぎ、言葉に空白を生んだ。何かはわからない。ただ、こういうのは嫌いだった。

 彼女は天井にぶら下がった安物の蛍光灯を見上げながら、ぶつくさと亜麻色に染まってしまった髪をいじる。俗世臭い髪をいじる。


 ここであと一押しすれば、彼女を追い出せるのではないか。そんな囁き。


「それに、こんな狭い部屋だから、お互いプライベートなんて持てないじゃないか。食費も僕にたかる気なら――」

「バイト行くのやめたの」

「金はない、ぞ……?」


 間延びしない。初めての彼女の声。囁く声は消えた。


「大学もしばらく行ってない」


「私ね、ニートになったの。羨ましいでしょ」


「でもさ、そしたら私家賃払えないから。仕送りだけじゃ足りないし」


 吶々と。彼女の言葉だけがワンルームを満たす。手狭な部屋では、こんなものだけでも一杯になってしまうのか。


「だからね。少しだけでいいの、ここにいさせて?」

「……」


 彼女はこんなにも小さかったか。僕を見上げる彼女は、過去の記憶と比べたって小さすぎる。食物連鎖の最下層、小動物。

 知ったことではない。自分で自分の尻も拭けない大学生なんて、僕の最も嫌うものだ。嫌い嫌い、大嫌い。そんなものは捨ててしまえばいいじゃあないか。部屋の隅のゴミ袋、くしゃくしゃに丸めてその中へ。

 蛍光灯の光に潤む、彼女の黒い瞳。初めて会った時の彼女が、その奥に見える。


 きみ、私と似てるよね。


 何故その言葉が思い浮かんだのか。


「いいよ、別に」

「え?」

「いいって言ったんだよ。その代わり、何かしら生活費を入れろよ」

「本当に?」

「本当に」


 口をついて出た言葉、けれど、それを否定する自分はいなかった。

 別に、出費は自炊すれば抑えられるだろう。プライバシーはなくても、脱衣所はあるんだからそこで着替えれば公序良俗は保たれる。苦労はあっても問題はない。それに自分で言ったじゃないか、嫌いな人間でもそれっぽくコミュニケートするのが社会だと。

 彼女は俯き、目元を腕でぬぐう。見るも無粋と、僕は窓の外へ目を向ける。昨日の雨雲はどこへやら、夜空には都市部にしては珍しく星空が見えていた。

 立ち上がる気配、もう視線を戻してもいいだろう。


「はいこれ」

「……はい?」

「何かしら生活費ーって言ったでしょ? 生活費」

「いやお前、ビールって」


 それは昨日買ってきていたのと同じ缶ビールだった。青地に金の文字の入ったパッケージ、ちょっと高めの大人の味。そういえば、キャリーケースの隣にコンビニの袋があったようななかったような。

 見上げた彼女の顔は、先ほどまでの面影もなく、いつもの間抜け顔をしていた。自然と肩の力が抜ける。抜けてから、多少なりとも肩に力が入っていたことに驚いた。


「いいじゃーん、今月の酒代、この服になっちゃったんでしょー?」

「あぁ、まぁ、そうだけど。……ていうか、何で今日もその服?」

「だって、きみが好きで買ってきたんじゃないの? 私なりの優しさだよ?」

「そんな変な趣味してないよ」


 彼女はグレーの色気のないスウェットの裾を引っ張ってみせる。多少ダボついてはいるが、そもそもスウェットなら多少サイズがずれても平気だろうと買ってきたのだから、狙い通りといえなくもない。とにかく、そんな干物っぽい服装が好みだった覚えはない。

 それ故の素っ気なさが、彼女のお気に召さなかったらしい。ずいっと顔を寄せていたずらっぽく微笑んでみせる。


「そんなこと言って、知ってるんだよ?」

「な、なにをさ」

「昨日、胸元見て、鼻の下、伸ばしてたでしょ?」

「……伸ばしてない」


 彼女は何も言わない。少しずつ、少しずつ。襟元に指先を引っ掛けて、下ろす。

 汗のにおいがした。風呂上がりの昨日はしなかった、誘惑の。よく考えれば今は初夏、長そでのスウェットなんて暑いだけ。どうりでやけに安かった。

 汗ばんだ鎖骨が見える。肩を寄せ、強調されたそのライン。

 もう少しで、昨日と同じ双丘が、その頂上が――


 ブラジャーで覆われていた。


「なっはっは、期待したでしょ。期待したんでしょー? 昨日と違うんだから、ブラジャーくらいしてるに決まってるじゃん」

「そんなことない」


 口ではそう言うが、そんなことあった。童貞には刺激が強すぎる。ていうかブラジャーならいいのか、そういうもんなのか。

 襟元から指を離した彼女は、僕のことを大笑いしながら、ビールの缶を新たに取り出し、開ける。そして豪快にぐびりと飲んで、また僕を見て笑う。なんだか悔しくて彼女から目をそらさずにいるが、むずがゆくて仕方ない。

 そうして一通り笑うと、おじさんくさく声をあげて笑いを締めくくり、テレビ鑑賞の姿勢に入る。昨日と同じだ。このまま、昨日と同じのぬるい空気が流れ、今日が終わるんだろうと予感する。

 だから、最後に聞いておくことにした。


「なぁ、アレは嘘だったのか?」

「んー、あれって?」

「めんどくさいから。とぼけなくていいよ」


 彼女は振り返る。しばらく僕の顔をぼーっと眺めて、「んふふー」と笑う。まさに、酔っぱらいのそれに違いない。


「忘れちゃったな―」

「忘れたって……」

「忘れちゃったものはわすれちゃったなぁー」


 彼女は大きく声を張り上げて、テレビへと向き直る。それきり、帰ってくるのは生返事ばかりだ。

 ぷしゅり。

 バカバカしくなって、いつの間にか横に置かれていた缶ビールを開ける。今度は泡が吹き出ることはなかった。そのまま、水滴に濡れる缶を口元に運ぶ。

 苦く、僕の嫌いな味がした。

【嫌い嫌い、大嫌い】

筆者が今回の話で最も気に入っているフレーズ。何よりリズムが良い。元となっているのは和田たけあき氏のボーカロイド楽曲、『キライ・キライ・ジガヒダイ』

要するに、筆者は前書きに書く話題に困っている。

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