ぷろろぉぐ
【小夜曲】
ドイツ語でセレナーデ。古代ギリシアにおいて、恋人をほめたたえるべく、夜の野外で歌われた。単に筆者が好きな単語であるため、タイトルになっている。
つまり、本作には一切の関係がない。
「なぁ、帰れって」
「えー、いやだよーん」
間延びしたのんきな返事、覆いかぶさるバラエティー番組の馬鹿話。なっはっはとおじさん臭く、彼女はビールを片手に笑う。
僕は、彼女が嫌いだ。いつの頃からか僕のプライベートに住み着いた彼女。我が物顔で、ちっちゃな二十型のテレビの前に寝そべって、足をぶらぶらさせて返事する。あそこは僕の特等席で、本当は僕がバイトの疲れを癒すための場所なのだ。なんで僕はキッチンに立って、遠くからテレビを見る羽目になっているのだ。堂々と布団まで敷きやがって。
それでもって、背中にぐさぐさと視線を突き刺そうにも、目のやり場に困ってしまうのだから腹立たしい。あぁ、スカートがめくれてる。ゆるーい肩口の名前もわからぬ服からはブラジャーの肩ひもがのぞいてるじゃあないか。けしからん、けしからん。
結局僕は立ったままに彼女を見下して、あれやこれやを缶ビールと一緒に飲み干す。彼女が唯一買ってくる、ちょっと高めの大人の味。僕はこの苦さが好きじゃない。キッチンの隅に置いたゴミ袋に投げ込んでやると、なかなかどうして小気味よい音がした。
「じゃあ、僕は寝るからな」
「えー、なんでよー。テレビ、面白いじゃん」
「僕は、疲れてんの。誰かさんのせいで家事の手間も増えたしな」
「悪い奴だなー。お姉さんがやっつけてあげようかー」
「お前の手なんか、借りねぇよっと」
「ぎゃふん」
顔だけくるりとこちらに向けて、二ヘラと笑う彼女が憎たらしくて。足元に落ちていたクッションを蹴りつけてやると、コミカルな悲鳴が上がる。以降彼女は何の変哲もないくたくたのクッションを抱きしめて、テレビへと意識を戻す。
僕は呆れをため息に乗せて、彼女の後ろのベッドにもぐりこむ。
「電気消すからなー」
「んー」
「明日大学あんだろー。早く寝ろよー」
「んー」
生返事。生もののくせに、毎晩毎晩やってきて、さすがにそろそろ腹も壊れるんじゃあなかろうか。
天井からぶらりぶら下がる紐を引くと、備え付けの蛍光灯は仕事を終える。テレビの光だけがぼんやりと照らす室内。
けして広くない。大学生が必死にアルバイトすれば家賃を工面できるような、清潔感だけのワンルーム。僕のベッドがあって、彼女の布団があって。僕の箪笥と、彼女のキャリーケースが背中合わせ。僕のシャツが吊るしっぱなしになってた窓枠には、彼女の一張羅のワンピースが寂しくぶら下がっていた。
彼女はまだ寝ないらしい。瞳にちいちゃくなったテレビの画面が映っていた。青白く照らされた彼女の顔はガラス細工みたいに綺麗。
僕の視線に気づいた彼女が、「なぁにー?」と視線をよこす。「何でもない」とだけ言って布団にくるまる。二度も「早く寝ろよ」と言う必要もなかった。
だって彼女は、明日も大学にはいかないのだから。