朝霧
立ち込めた霧が駐機場のコンクリートを湿らせていた。鹿島灘から陸を渡って寄せてくる海霧は微かに草のかおりを孕み、視界を濃く、時に淡く阻みながら早朝の飛行場をゆっくりと流れてゆく。
朝日は白いベールに覆われておぼろな光を放ち、地上のものはみな薄墨色のシルエットとなって深い霧に包まれていた。
数日前にここ百里に飛来した飛行教導隊のF-15も、今はその鮮烈な彩色をくすませて静かに駐機場に佇んでいる。牽引車が格納庫から飛行隊の機体を引き出し、列線へと向かう。飛行場では今朝も変わることなく粛々と訓練開始の準備が進められていた。
その光景を、広報班の内倉曹長が一心にファインダーに収めていた。日頃から念入りに手入れしている官品の一眼レフを構え、定年間近の年齢にしては溌剌とした身のこなしで撮影に没頭している。
内倉曹長から調整を打診されたのが、霧の朝の撮影だった。教導隊と飛行隊の機体を絡めた画を撮りたいということで、事前に204、305の両飛行隊に了解をもらい、気象隊の予報官にも前日の一報を頼み、好条件となった今日、満を持して撮影の機会を得たのだった。
整備小隊長から作業にあたる隊員の支障にならないようにとの要望を受け、駐機場で適切な行動をアドバイスするために俺も同伴したが、よく弁えて撮影を続ける曹長を見る限り、自分の役目はほとんどないように思えた。
徐々に空の高みが明るさを増し、地上の色が少しずつ戻りはじめた。あと数時間もすれば、この視程の悪さも嘘のように晴れわたるだろう。
やがて、飛行隊から駐機場へ、装備を整えたパイロットたちが現れた。まずは今週早出となっている305の飛行班員たちが――そして、教導隊のメンバーが。
濃淡を変えて流れる海霧を透かして、その一群の中に見覚えのある姿を認めた。航学の1期下の後輩だ。元はどこの部隊だったか、操縦センスがあるという話は小耳に挟んだことがあった。
教導隊に異動になっていたのか……。
その後輩は鮮やかな識別塗装の施された機体の元に至ると、機付き整備員と言葉を交わし、外観点検を始めた。僅かの迷いもない足取りで周囲を巡りながら機体に触れ、翼を仰ぎ、排気ノズルを確認し――その姿を我知らず目で追ってしまう。胸の奥に重苦しさを覚えた。そっと息を吐く。
「やっぱりいいですねぇ、戦闘機は……!」
はっとして振り返ると、戻ってきた内倉曹長がカメラを手に満面の笑みを浮かべていた。
「私、実家が大洗町で、涸沼の近くに住んでたんですよ。上を通るでしょ、あのあたり。子どもの頃はエンジンの音が聞こえる度に外に飛び出してましたよ。乗ってみたいと思いましたねぇ」
感に堪えないといった様子で列線を見渡しながら、曹長は続けた。
「航空学生の試験も受ける気でいたんですよ。でも、視力で門前払いでした。遺伝なんでしょうねぇ、両親ともに目が悪かったので。それでも少しでも戦闘機の近くにいたいと思って自衛隊に入ったんです」
初めて聞く入隊の経緯に、意外な思いで内倉曹長を見た。この温和で当たりの柔らかい人が、かつて戦闘機乗りを目指していたということに新たな印象を受ける。
「航空機整備を希望したんですけど、全然別の職種になりましてね。でも、今となっては自分に合ってたんじゃないかと思えます。なんだかんだ、面白さもやりがいもあって定年近くまでやってこられたんですから」
そう言うと、ベテランの曹長は目尻に皺を見せて屈託なく笑った。
確か、内倉曹長の特技職は地上無線整備だったように思う。
空自においては、航空機に直接携わる仕事に憧れて入ってくる者も少なくない。だが、職種は本人の希望だけでなく、適性やその時々の組織の要望も勘案して決定される。当然、希望どおりにならないこともある。しかしそうであったとしても、30年以上も経験を重ね、やりがいがあったと言えるのは尊敬すべきことだ。
徐々に薄らいできた海霧の向こうで、J F Sの起動音が上がりはじめた。各機の前に立つ整備員とコクピットに収まったパイロットのシルエットが、はっきりとしない視界の奥で動いている。やがてエンジンの甲高い始動音が重なり、湿り気を帯びた空気に排気のにおいが混じる。
エンジンに火が入りはじめた戦闘機の群れに、内倉曹長は顔を綻ばせた。カメラを握りなおすと「ちょっとまた行ってきますね」と俺に会釈し、足取りも軽く列線へと戻っていった。
滑走前の点検を終えた教導隊機が、1機、また1機と列線を抜け出し、仄白い霧の中へと紛れてゆく。その後に飛行隊のF-15が続く。
やがて、滑走路の方向から轟音が響き渡った。音もなく流れる海霧の向こうを雷鳴に似た轟きが駆けてゆく。霧を払って姿を現した迷彩色のF-15は、圧倒的なパワーで見る間に高く昇りつめる。機敏に傾けた翼端が雲を曳く――朝日に白む空の彼方へ悠然と飛び去っていくその様を、俺は駐機場の片隅で、視界から消えるまでじっと見送った……。
*
後日、内倉曹長から改めて礼を言われた。思い描いていたシーンが存分に撮れたとのことで、広報誌に使うだけでなく、わざわざ私費で何十枚もプリントし、写っている全員に飛行隊経由で渡してもらったとのことだった。仕事風景を撮ってもらう機会などほとんどない整備員たちには特に喜ばれたらしい。
俺も数枚見せてもらったが、霧と薄日の中で粛々と滑走前点検を進めるパイロットと整備員の姿が陰影深く切り出され、映画のワンシーンのようだった。写真を受け取った当人たちも嬉しかっただろう。
それから数週間後――俺は再び立川に向かっていた。航空医学実験隊で改めて航空身体検査を受けるためだ。前回から延長された経過観察期間の3か月を過ぎ、航空業務に復帰できるのかどうかの再評価がなされる。
強さを増した初夏の日差しに暑さを覚えたが、そのせいだけではない汗がじっとりと掌に滲む。
事故から約半年、この宙に浮いたような中途半端な状態に一時も早く白黒つけたいという思いと、もし最悪の判定が下されたら……という空恐ろしい想像が綯い交ぜになり、道中も気持ちは落ち着かなかった。
今度こそ――今度こそ検査をクリアしてくれ……!
吐き気さえ催すほどの緊張に苛まれながら、ただひたすら心の中で祈ることしかできなかった。




