悪酔い(4)
子どもの声で目覚めると、リバー宅の炬燵で横になっていた。昨晩共に飲んでいた二人も毛布を被って同じように眠り込んでいる。明るい光の差し込む子供部屋では、勇太郎君と希美ちゃんがおもちゃを広げて遊んでいた。
一体何時だろうかと、ぼんやりとした頭で時計を仰ぐ。
既に朝の十時近いことを見て取った途端、一気に意識が冴えた。
「イナゾー、起きろ。おい、帰るぞ。起きろ」
重い頭痛に顔を顰めつつ、隣で大の字になって寝入っている後輩を揺さぶってみたが、イナゾーは不服そうな深い寝息をひとつ立てただけで目を覚ます気配もない。
「あ、須田さん。おはようございます」
台所から聡子さんが顔を覗かせた。
「二人は朝方まで飲んでたみたいだから、まだしばらくは起きないと思いますよ。須田さんも遠慮せずゆっくりしていって。今、お雑炊を作っているので、よかったら食べていってください」
雑炊と聞いて空腹を覚えた。部屋には出汁の香りが漂っている。
よくよく思い返してみると、昨日は飲み始めに料理を少しつまんだ程度で、後はひたすら酒を呷っていたように思う。幸い、深酒をした割に胃の不快感はさほど気にならなかった。
「すみません、長居してしまって……。昨日はどうも飲み過ぎてしまったみたいで……」
「いえいえ、いいんですよ。とりあえずお茶でもどうぞ」
聡子さんはゆったりとそう言って、運んできた湯呑を俺の前に置いた。
「でも須田さんにしては珍しいんじゃないですか? 途中で意識がなくなるまで飲むことなんて今までなかったでしょう?」
「ええ、まあ……」
濃いめに淹れられた緑茶をすすり、昨夜の飲み方を思い返して苦り切る。憂さに任せてグラスを重ねれば、正体をなくすのは当然だ。
「たまには思いきり飲みたくなることもありますよね」
笑みを向けられ、思わず湯呑に目を落とす。何もかも見通されているようできまりが悪い。
「自分でも、こんな性格が嫌になります」
溜め息混じりに呟くと、聡子さんは「ふふふ……」と声を忍ばせて笑った。
「須田さんは、たまには自分に甘くしてもいいと思いますよ。いつも自分で自分を追い込みすぎている気がして。もちろん仕事に関してはそうしないといけないんでしょうけど、それ以外のことには、もっと気張らずに向き合ってもいいんじゃないかしら」
「……そうできたら、とは思うんですが……」
「弱さを見せることは、恥ずかしいことでも情けないことでもないと思うんです。誰だって完璧な訳じゃないんだから。むしろ、だからこそ人と人は支えあって、補いあって生きているんじゃないかしら。頑張って相手にいいところだけを見せていても、きっといつかは疲れちゃうでしょう? 相手が大切な人であればなおさら、ありのままの自分を知ってもらって、無理のない関係を築いていくのが一番なんじゃないかな、って私は思いますよ」
不意に隣から盛大なくしゃみが聞こえた。
見ると、希美ちゃんが寝ているリバーにちょっかいを出していた。どこからか見つけてきた糸くずで父親の鼻をくすぐっては、夢うつつにも嫌がって顔をこする様子に笑いこけている。
「こら、希美、そういうことしないの! パパを寝かせてあげて」
いたずらする娘をたしなめ、めくれた毛布を夫に掛けなおしてやると、聡子さんは「お雑炊、そろそろ出来上がったと思いますから持ってきますね」と台所に戻っていった。
「そうだ、金ちゃんに餌あげなきゃ!」
入れ替わりに子供部屋から勇太郎君が走り出てきて、水槽に駆け寄る。
「金ちゃん、おいで! ご飯だよー!」
ベタは懐いた様子でガラス近くに寄ってきた。ゆったりとヒレを動かして水中を行き来しながら、餌をもらえるのを待っている。
ひとときの何気ない光景。
利根家に流れる、気負いのない、のどかな時間。
いつ訪れても、それは変わることがない。夫婦ふたりで年月をかけて丁寧に育んできたことが窺える、ぬくもりのある家族の形……。
「さあどうぞ。熱いので気をつけて召し上がれ」
聡子さんはそう言って、お盆にのせてきた椀とレンゲを俺の前に置いた。小葱と海苔が散らされた卵雑炊が、食欲をそそるように湯気を立てている。
安穏と眠っているリバーとイナゾーの鼾を耳にしながら、ひと匙すくって口に運ぶ。
温かな雑炊は、体に沁み入るような優しい味だった。
*
巷の人々が気忙しそうに年末を送り、正月を迎えて心新たに新年を祝う中、俺は例年と変わらず淡々と冬休暇を過ごした。
大掃除のつもりで普段より丁寧にアパートの部屋を片付け、簡単に年越しそばと雑煮を作って年迎えの真似事をし、あとは修理から戻ってきたバイクの手入れとリハビリがてらのウォーキングに費やした。実家に帰省することもなく、両親から特に連絡が来ることもなかった。自衛隊に入ってから十数年間繰り返してきた過ごし方だ。
違っていたのはただひとつだけ、年末年始のアラート勤務からは外れているということだった。
アパートにいると、戦闘機の轟音が聞こえてきたことが幾度かあった。日中であっても夜中であっても、その度につい耳をそばだて、窓越しに天候を窺い、遠ざかる爆音の行方を追ってしまう自分がいた。洋上の国籍不明機に対峙する際の緊張感がよみがえり――と同時に、最前線に向かうことができない現状を改めて思い知らされ、苦い感情に胃の底を圧迫されるのだった。
休暇が明けてからは、再び広報班の一員としての仕事に勤しむ日々が戻った。賀詞交歓会や基地成人祝賀会といった時節ごとの行事に関わる一方で、入隊希望者の基地見学や中高生の職業体験といったこまごまとしたイベントの調整や対応にもあたった。
その傍ら、航空身体検査に備えての体力錬成は怠らなかった。
軽いジョギングから始めて徐々に負荷をかけていったが、やはり以前に比べると息切れするレベルが下がっているのは明らかだった。もどかしさを感じる一方で、手術後、月数が経たない時期であればこんなものだろうと考えるゆとりも徐々に生まれた。体調に注意を払いながら、焦らず、根気よく、段階的にトレーニングを進めることに専念した。
そして事故から三か月――経過観察期間を終えた二月下旬。
百里からバイクを走らせ、東京の多摩地域中部にある東立川駐屯地を訪れた。緑の迷彩服姿で立哨している陸自隊員に身分証を示し、正門を入る。航空医学実験隊は、この敷地内に同居する空自立川分屯基地に置かれていた。
明るく開けた敷地の中は、広い道路で整然と区画されている。これまでも年に一度は定期の航身検で来駐することがあったので、迷うことなく医実の建物を目指す。
正門からまっすぐに延びる大通りを進みながら、胸の内は抑えがたく浮き立った。
ここで合格判定を受ければ、また以前の生活に戻れる。空へと向かう日常を取り戻せる。以前とまったく同等ではないにせよ、コンディションは悪くない。それなりに体を動かすこともできる。これならきっとパスできるだろう――。
――だが結果は、そんな楽観的希望を容赦なく打ち砕くものだった……。




