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癒し(2)

 プラスチック製のごく簡素なベンチにふたり。適度な距離を置いてはいるが、並んで共に座っているという状況を意識してしまうと落ち着かない。とは言え、席を勧めておいて黙然としているのも不作法だ。

 何を話せばいいものかと考え、とりあえず当たり障りがなさそうな話題を向けてみる。


「……今日は、仕事の帰りですか」


 「はい」と彼女は快活な眼差しで俺を見て頷いた。


「本当は一日休みだったんですけど、急に施主さんとの打ち合わせが入ったので。それが終わってからそのままここに寄ったんです」

「どんなお仕事を?……差し支えなければ」

「造園――庭造りをしているんです」


 なるほど、どおりで――病室でハルカさんと接した際のことを思い起こして、彼女の答えに合点(がてん)がいく。

 それにしても、庭を造るということは土を掘り返したり植木や石を運んだりと、なかなかにハードな労働に違いない。


「じゃあ、結構体力も必要でしょう」

「中学高校と陸上をやっていたので体力はある方だと思ってたんですけど、力仕事となるとまた違いますね。今はもう慣れてへっちゃらですけど、最初の頃は毎日へとへとでした」


 華奢に見える小柄な体で重い資材を運ぶのは大変だろう。そう思って気の毒になったが、当の彼女は「おかげで腕なんか逞しくなっちゃって」と困り顔で笑って、アノラックの上から自分の二の腕をさすっている。


「でも造園と言っても、うちのお店は一般的な造園業者さんのところとはちょっと違って、野草も取り入れた施工をメインにやってるんです」


 俺が今ひとつ上手く想像できずに曖昧な顔をしたためか、彼女は「そうだ、これを見てもらえれば――」と、膝に乗せていたトートバッグの中を探り始めた。大きく開いた袋の口から、数冊のファイルやノート、スケッチブック、ポケットサイズの植物図鑑や色鉛筆の缶ケースなどが覗いている。


 彼女はその中から厚手のファイルを引き出したが、具合悪く何かが引っかかったらしい――コンパクトカメラや革のケースに納まった剪定ばさみなど、他の細々(こまごま)としたものまで一緒に飛び出てきそうになり、彼女は「わっ……」と小さく声を上げて慌てて手で押さえた。


 余計なものを急いでしまいなおす彼女を微笑ましく見守る。普段の自分であれば目の前で要領の悪いことをされると苛立たしくなるのが常なのに、今は不思議と大様(おおよう)に構えていられる。


 ハルカさんは取り出したクリアファイルを開くと、「こういうのを造っているんです」と俺に差し出した。


 受け取って目を通してみる。

 見開きの片方には敷地と植栽が示された平面図が、もう片方には立体的なイメージイラストが差し込まれていた。恐らくきちんと縮尺に則っているのだろう、薄く引かれた直線で奥行きまで表された中に、草木が茂る庭の風景が無駄のない伸びやかな線で描かれている。


「この絵はハルカさんが描いたんですか?」

「はい。施主さんと相談しながらラフスケッチを描き出して、具体的にイメージしていってもらうんです」


 実のところ、彼女は手先が不器用な方なのだろうと思っていたのだが、手慣れたタッチで描かれたイラストは思わず見入ってしまうほどのものだった。

 姿や葉色の違う様々な木や草や、ところどころに配された石材や枕木などが、色鉛筆の柔らかな色合いで陰影も豊かに表現されている。こういった作品にも描き手の人柄や雰囲気が表れるものなのだろうか。


 一枚(めく)ると、そこには実際の施工写真が載っていた。イメージ画に限りなく近い雰囲気に仕上がっている。さすがは専門家(プロ)だ。


 厚いファイルの中には広さも造りも様々な庭の写真が綴じられていた。

 下草の生える明るい雑木林のような庭、山里を思い起こさせる起伏に富んだ緑深い庭。小川の(あぜ)にも似た、せせらぎのある庭……。


 よく見ると、どの写真にも足元に生えているような何気ない植物――ともすれば雑草として一括りに片づけられてしまうような小さな草花の姿があった。それぞれに主張しすぎることなく、かと言って周囲に埋もれてしまうこともなく、全体としてまとまって庭という限られた空間を彩っている。それは細部まで作り込まれ整えられた景観とは違い、言ってみれば気負うところのない、すぐ身近にある自然そのものの一部分を切り取って移したかのような景色だった。


「植物を植える時にはその後の成長を見越して一株ごとの間隔を開けておくので、しばらくは植え込みの間に土が見えて寂しい感じがするんですけど、一年後のメンテナンスにお邪魔するとすっかり緑に覆われていて、トカゲが住んでいたり、鳥が木に巣を掛けたりすることもあるんです。施主さんが『こんな鳥や虫が来るんですよ』って嬉しそうに教えてくれたり、『仕事から帰ってきて、庭を見るとリラックスできる』なんていうお話を聞くと、心の底から『ああ、気に入ってもらえて良かったな』って――」


 大きな目を輝かせて話す彼女の言葉の端々から、仕事に対する熱意が伝わってくる。


 手にしたファイルにある写真の中の風景が、あたかもそのまま目の前に存在するかのように空気感を帯びて見えてきた。木々の間を抜ける風、葉擦れの音、草陰で鳴く虫の声、湿った土のにおい、晴れた日の草いきれ……。

 色鮮やかで瑞々(みずみず)しい、生命(いのち)の息吹を直に感じさせる世界。


 身を削るような荒行(あらぎょう)とも言える訓練に日々全力を傾注し、究極的には相手を撃破することを第一義としてこれまで突き進んできた自分にとって、何かを生み出すという行為はまさに対極にあった。生命力にあふれた豊かな世界を創り出し、慈しみ育むことのできるハルカさんに尊敬の念さえ覚えた。


 熱心に語る彼女を、俺は知らず知らずのうちに見つめていたらしい。それをどう捉えたのか、彼女ははっとした顔をして話を切った。


「ごめんなさい、つい自分のことばかり喋り過ぎちゃって……」

「いえ。自分なんかにはできないことだと感心しながら聞いていました――やっぱり昔から植物に興味があって造園の仕事を選んだんですか」


 話を促すつもりでそう訊ねると、彼女は少し考えるような面持ちになってから、言葉を選ぶようにして続けた。


「実はずっと、特に植物のことを意識したことはなかったんです。家の周りに季節の花が好き勝手に咲いてたり、子どもの頃によく散歩に連れて行ってくれた祖父が道端の雑草や木の名前を教えてくれたりしましたけど……そういうのがごく当たり前すぎて、取り立てて気にすることもありませんでした。でも――」


 彼女は僅かに迷う様子を見せたが、またすぐに変わらぬ口調で続けた。


「高校の時に、しばらく落ち込んでた時期があったんです。毎日何をする気にもならなくて……ずっと俯いてばかりでした。でも、ちょうど冬の終わり頃だったかな……畑の中の道を歩いていた時、ちらっと明るいものが見えたんです」


 彼女の瞳が再び輝きを増す。


「枯草の中から、綺麗な空色の、小さな花が覗いていました。『あ、もう咲いてるんだ』って思っただけで通り過ぎたら、翌日にはもうあたり一面に咲いていて、まるで水色の絨毯のようになっていて。それだけじゃなくて、気がつくと白や黄色や、ピンクや紫や、たくさんの花がそこかしこで咲き始めていたんです。どれも小さくて目立たないけど、色とりどりに競うように、空に向かってぐんぐん伸びて……いつの間にか菜の花も道端に咲いて、木の枝からは若葉が顔を出して、雑木林の中では真っ白なコブシの花が満開になって、紅色のヤマツツジの花も開いて……。目にする景色が、一日ごとにどんどん色鮮やかになっていくんです。今までは気にも留めないことだったけれど、生き生きとした芽吹きを目のあたりにして、息を呑むような思いがしました。自然の営みって凄いな……って」


 冬枯れの季節を過ぎ越し春を迎えた野の景色が、鮮明な色合いを伴って目の前に立ち現れてくるようだった。

 俺は一種の感慨と共にハルカさんの横顔を見つめていた――日頃敢えて意識することもないありふれた景色が、彼女には限りなく豊かで輝きを持ったものに見えているのだろう。


「それから、何気なく生えている草や木に目を留めるようになりました。毎日見ていても、必ず何か新しい発見があってワクワクするんです。そうしているうちに、いつの間にか暗い気分はすっかり消えてなくなっていました」


 彼女は穏やかな表情で一息つくと、改めて俺を見て続けた。


「それがきっかけで、今の仕事を考えるようになったんです。身近に草木があることで、疲れた時や落ち込んだ時にふっと気分が和んだり、心にゆとりを取り戻したり……気持ちが穏やかになるような景色を日常の生活の中に再現できたらいいな、って思ったんです。私自身は他人様(ひとさま)を癒すなんてそんな立派なことはできないけど、自分が作った庭を見た人が、『また今日も一日頑張ろう』って感じてくれたら嬉しいなぁ、って……」


 言葉を探しながら、ひと言ひと言確かめるように語る。その口調に余計な気負いは感じられない。だがその中に、自分がこれと定めた仕事に対する真摯な態度とひたむきな意志、そしてぶれのない確かな芯がはっきりと感じ取れた。


 手びねりのぽってりとした花瓶、活けられた素朴な花、優しい色使いのスケッチ、手をかけて造られた庭の佇まい――そのどれにもハルカさんの心ばえがそのままに表れ出ているのだと、彼女の話を聞いた今、深く了解する思いだった。


「――また長くなっちゃいましたけど、そんなきっかけでこの仕事に入ったんです」


 明るく笑って話を締めくくったハルカさんに、俺は敬意を込めて頷いて見せた。

 照れたように微笑んだ彼女が、ふと眉を上げた。ぱっちりとした目に好奇心の色が浮かぶ。


「そう言えば、同部屋の方たちから聞いたんですが――須田さんは、自衛隊さんなんですか?」




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