探偵は殺人事件が嫌いです。
「ワトソン君、ボクの周りでは少しばかり人が死にすぎじゃないかね」
彼の愚痴で今日も探偵事務所の1日が始まりました。
彼こと明田一小助は探偵です。なんだか古今の有名な探偵の名前をつぎはぎしたような頓珍漢な名前ですが惑うことなき名探偵なのです。明田一という奇妙な苗字に小助という、まあ普通ショウスケという名前をつけたくてもその漢字を選びはしないだろうという奇怪な名前が奇跡的に合体して彼は明田一小助としてこの世に生まれてきたわけです。
名前が探偵に寄っていたから探偵になっていったのか、彼に探偵のオーラがあったから名前が異常に探偵寄りになったのか、はたまた双方偶然のたまものであったのかは定かではありませんがともかく彼は名前負けすることもなく立派な探偵になりました。幾多の難事件を解決し、日本の救世主ともてはやされ、挙句はドキュメンタリー映画まで作られて彼は探偵として最大の栄誉すら得たはずなのです。
「いやね、ワトソン君。ボクは今まで幾多の殺人事件を解決してきただろう。で、行く先々で死体とかを見せられてね、検死とかするんだけどもね…」
探偵は大きくため息をつきます。そして大きく息を吸い込みました。
「もううんざりなんだよっ!!!!大体ねえ、探偵だからって毎日死体とか見てるけどね、中々こたえるんだよ!そもそもプライベートで旅行に行った先でも殺人事件が起こるし、買い物に行けば殺人が起こるし、家で寝ててもマンションの住人は殺されるし、そのせいで知り合いは警察しかいないし、観光はできないし、彼女には逃げられるし、もう殺人なんかうんざりだ!殺人なんかするやつは片っ端から殺してやる!!」
おやおや、このパターンは初めてです。彼が暗い雰囲気で愚痴を垂れ続けるのは日常茶飯事ですが癇癪を起こして叫び散らすなんて今まではありませんでした。正直少し驚きました。あと彼女に逃げられたのは初耳でした。
そうなのです。彼は名探偵であるが故に苦しんでいるのです。名探偵は名探偵であるが故に事件を解決するだけでは飽き足らず事件を引き寄せてしまうのです。
皆さんも心当たりはありませんか?探偵の出てくる推理小説を読めば大体人が殺される、シリーズものだと毎週のように人が殺される、シチュエーションこそ違えどなんだかんだ人は殺されるという現象に。それです。彼はその名探偵体質の持ち主なのです。
推理小説だからシリーズで毎週のように人が殺されても楽しく話すことができますが現実はそうもいかないのです。年中人が殺されているというのははっきり言ってストレスです。死体を見ていい気分にはならないし、常人の考えの及ばないトリックは捜査の時間を長引かせるし、犯行動機はいちいち重たいしと悪いことずくめなのです。
「すまんねワトソン君」
おほんと咳払いして彼は少し落ち着いたようです。しかし顔はしかめたままです。何か考えているのでしょうか。
あ、ワトソン君というのは僕です。探偵の助手、ということに一応はなっています。お金もそれなりに貰っているので助手ということで間違ってはいないのですが、社会的には無職ってことになります。その辺の説明は面倒なので割愛しましょう。まあいずれ話すこともあるでしょう。
あ、まだ名前を言ってませんでしたね。ワトソン…は残念ながら名前ではありません。和戸尊、それが僕の本名になります。あだ名は…まあ御察しの通りワトソンです。由来は言うまでもないでしょう。
「でもボクは本当に限界なんだ。Twitterでエゴサーチしても最近は名探偵じゃなくて死神って言われる始末だ」
エゴサーチなんてやめればいいのに、とは僕は言いません。彼の数少ない趣味がTwitterでエゴサーチすることだと知っているからです。数少ない趣味を辱めるほど僕も鬼ではありません。それに彼に何か言うと500倍くらいの愚痴が返ってくるので非常に面倒なのです。
「よし決めた!」
彼は急に目を輝かせてそう叫びました。そして立ち上がりました。何か考えついたのでしょうか。怖いです。嫌な予感しかしません。
「ワトソン君、君は迷い犬探しとか無くし物探しとかそういう案件だけを積極的に見つけてきてくれたまえ。あと事務所に殺人案件っぽい人間が来たらテキトーに言い訳して追い返してくれたまえ。殺人以外の案件なら幾らでも受けていい。むしろ殺人以外の案件で予定を入れてしまえば殺人事件に関わらなくて済むのだ。なんたる妙案、なんたる僥倖」
いまだかつて探偵が積極的に犬を探したり無くし物を探したいと言ったことがあったでしょうか。ええ、ありませんとも。そもそも不況の探偵業界で殺人事件なんて普通の探偵からすれば名前を上げるこれ以上ない機会なのです。このご時世に依頼者を言い訳で追い返すなんて聞いたこともありません。前代未聞です。言語道断です。
だけど探偵は嬉しそうな顔でこう高らかに宣言したのです。
「これより、我が探偵事務所は殺人事件は扱わない!」