第二章 Ⅱ
馬車の転落に関して、何も気付く事なくカーブを走り抜け(ガードレールでもあって、壊れていれば異変に気付けただろうが)、暫く行ってからゴーンは手綱を引いた。馬の脚が止まる。馬上から、緩やかな下りになっている街道の上に馬車の姿がない事を、忌々しげな表情で確認する。
「ええぃ!」
腹立ち紛れに左手の拳で太股を打つ。じんわりとした痛みが、多少なりと怒りを紛らわせた。どの様な理由があれ、このままおめおめと反逆者達を取り逃がしたとあれば、子供の遣いも出来ないのかと嘲笑されるだけならまだしも、彼の立場が甚だ微妙なものとなるのは確定的だった。これまででさえ、彼の出身を理由にその地位を疑問視する声があるのだった。あるいは、逃げおおせたのではないのかと、ある可能性に思考を向けつつ遠方へと視線を向ければ、自分達を襲撃した憎き風竜が、力なく降下してゆく様が見て取れた。小さく咆哮が聴こえてくる。腹立ち紛れに止めを刺してやりたくても、カタパルトでも矢が届くかどうかの距離だった。そもそも、そんな物は部隊に附随してはいない。攻城戦を想定してなどいないのだから、ただの足手まといでしかないのだ。
間もなく追い付いた騎乗の部下達も、手綱を引くと周囲を見回した。
「どこまで行った!?」
自分でも、大した意味がないと判っている問いを投げる。
「この時間でそれほど行ける筈がありません。もはや馬車は…」
言外に転落をほのめかす部下。ゴーンとしても、その可能性に思い至らなかった訳ではないのだが。
「くそっ!崖下を探すぞ!」
下馬したゴーンへ。
「お待ち下さい!この断崖から転落して、誰も無事の筈がありません!」
それは至極ごもっともな指摘だった。事実覗き込んだ断崖は、数十メートルに及びほぼ垂直に切り立っていたのだ。ゴーンも歯噛みしながら頷くよりない。
「そうだな…」
そこへ、兵士達が駆け付ける。息の上がりきった兵士達が回復するのを待ち、ゴーンは訊ねた。
「おい、ここまで来る途中で、何か気付いた事はないか!?」
すると、兵士の一人が右腕を掲げた。南京錠の付いた金具が握られていた。
「途中、道端にこれが!」
「何!?付近を探したか、崖下は!?」
一見して馬車の遺留物と判る物が発見された事に、一縷の望みを託して訊ねるが。
「それが…見ましたが、ほぼ垂直に切り立っており、転落したとすれば…」
やはり、暗に馬車は絶望的だと指摘する。事ここに至れば、彼らは任務を変更せざるを得なかった。経緯の報告と、馬車の探索、死体の回収に。
「そうか…判った」
鐙に足を掛け、再び馬上の人となる。
「馬車を待って、ランスルへ向かう!」
部下達を見回し、険しい表情で唸る様に命じるゴーン。アクシデントがあったとはいえ、当初の任務を全う出来なかった事への苛立ちに、血が滲むほど強く唇を噛んだ。やがて馬車列が追い付くと、被害状況の確認をさせる。幸いな事に死者はなく、軽傷者が数名、一番重傷の、馬車から飛び降りた御者にしても命に別状無し、との報告に、ひとまず安堵の胸を撫で下ろし、しかし直ちに表情を引き締めたゴーンの命令一下、部隊はランスルへと出発したのだった。