第一章 Ⅴ
「あー、お腹減ったぁー!」
空を行く風竜の、頼りなげな咆哮。フラッパとなった少年アキオは(少々ややこしい)、少年アキオとなったフラッパの教え通り、記憶を探ってみた。ひとまず、人の住む場所まで行こうと、方角の求め方を探り出した。どうやら地球と同様、目印となる星、星座の様なものがあるらしい。それと、地磁気らしきものもあるらしく、それを感じ取る事が出来た。何と表現すべきか、額の辺りにチリチリとした感覚があり、地球で言うならば北の方へ向かうと、その感覚が強まる。そこでいざ、飛び立ってみたは良いが、飛ぶ事自体不慣れで余計な力を使い、記憶を読み違い遠回りをした挙げ句、災難にもあった。火竜に襲われたのだ。
それは不注意でなく故意だった。飛ぶ事にも少しは慣れ、気流に乗り渡り鳥(?)の群れと、並んで飛行していた。僅かばかり蒸気の上がっている火山の近辺を掠める様に飛行し、鳥達と別れて針路を修正するつもりだった。それまでに原野を駆ける地竜(朧気な恐竜図鑑の記憶が甦った)や、大河や湖沼の水面を悠然と泳ぐ水竜等は目にしたが、火竜には遭遇した事がなかった。そこにも、一見何も居ない様に見えたのだったが。
「はぁー、お腹減ってきたなぁー」
この地に転生して数日、不思議とそれまで感じていなかった疲労や空腹感を、彼は感じ始めていた。肉体の交換の際に、修復などされると謎の声は言っていたが、スタミナも全回復されていたのか、等と考えていると。
「アギャァァァァ!」
これまで聴いた事のない咆哮が、下方から襲い掛かってきたのだった。顔を向ければ(風竜の目の配置は、下方への視界が利かない)、どこにいたのか、正しくドラゴン、といった体の竜が上昇してくる。大きさは彼より小さく見える。赤黒い、正しく火炎の申し子というべき体色。鱗は、頭部から尾の先端まで、上方にしかない。それでも蝙蝠の様な翼や体表は、結構分厚そうに見える。激しく翼を羽ばたかせているが、速度はそれほどでもない。
「あれが火竜?」
見下ろしたまま呟いたつもりが、咆哮になる。それに刺激されたのか、火竜は更に大きな咆哮を上げ、次いで喉を膨らませた。その瞬間、無意識に彼は左へ旋回していた。渡り鳥は、そのまま飛行を続け、火炎放射の様な炎に数羽が巻き込まれた。火竜から優に二十メートルは離れていただろう。燃え上がる羽根を散らし、断末魔の鳴き声を引きながら落下してゆく。
「ええっ!?」
彼のその咆哮に、更に火竜はヒートアップした様で、逃げる彼を追ってくる。彼は必死に羽ばたいた。二発目をお見舞いしてやろう、という火竜との距離は見る間に開き、振り返れば、諦めたのか、火竜が降下してゆくのが見えた。
「何なの、乱暴だなぁ!」
もはや安全圏だろうと、それだけ呟く。これで彼は二つの教訓を得た。一つ、火山地帯には近付かない事。もう一つは、いざ火竜に追われた時には全力で逃げる事。それにしてもと、彼は考えた。火竜だからといって、幾ら何でも着火しやすすぎだろうと。
そんな調子で余計なスタミナを消費し、彼の空腹感は加速していった。何を食べれば良いのかさえ判らなかった彼が、記憶を探ってみると。
「えっ、これ!?」
鳥を丸呑みし、羽根のみ唾液で固めて吐き出すのである。猫の毛玉吐きを連想させた。生理的な嫌悪感に、食事に抵抗感を覚えた。しかし、それも限界に近付いている。
「はぁー、何か」
咆哮にも力がない。もはや食べられる物ならば、何でも良かった。いや、羽根の生えていない物ならば。少年の頃は肉食とは縁遠い状態が長く続いた為、肉の味は朧にしか思い出せない。まして生食となれば、馬肉(桜肉)を口にした記憶が僅かに思い出されるばかり。と、ふと彼は疑問に感じた。この風竜の記憶と、アキオであった自分の記憶。この両者は、いつまでも分離したままなのか?あるいは風竜の記憶として統合されてしまうのか?そもそも、頭脳を一旦失った自分が、アキオとしての記憶を保持しているのは何故か?肉体を交換した瞬間に、この風竜の頭脳に書き込まれたのか?しかし、そんな思考も、もはや飢餓感といってよい感覚に中断される。何か無いのか?ふと、下へと顔を向ける。木立の間に間に山の谷間を縫って拓かれた隘路を、数台の四頭立て馬車が列をなして進んでいるのが見えた。
「馬…馬肉」
もはや彼には、それしか考えられなかった。