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第六章 Ⅳ―Ⅰ


 王都よりさほど遠くない牧場に、ネアラとフラッパの姿があった。緊急会議より一日近くが経過していた。

「全て、順調に進んでいるぞ!」

鳩小屋から上機嫌で出て来たネアラは、牛舎に入るなりそう呼ばわった。牛舎、とはいえ牛の姿はどこにもない。廃業し売り物となっているのを期間限定で借用しているのだった。

「そうなの?いつ?」

体を丸め寝そべっていたフラッパが、首を上げつつ訊ねると。

「二日後だ。いよいよ本番の時が来た!気を引き締めてゆこう」

言葉とは裏腹に、彼女の声は高揚していた。それは彼女らしからぬ、と言える程に。

「もちろん。準備は万端、でしょ?」

「そうだ!さぁ、戻ろう」

首を下げたフラッパの背中へ登ってゆくネアラ。牛舎の外に出ると一つ羽ばたきし、フラッパは空高く飛翔したのだった。


 雲一つない快晴だった。王都アリステポリス旧市街の市門は、その日は珍しく朝から多くの国民達に開かれていた。その分、王都の警備隊には大きな負荷が掛かっていたが。それこそ万を越える群衆が、ある目的の為だけに旧市街はほぼ中央、王城とは目と鼻の先にある巨大な広場に流れていった。警備隊隊員達は、本来ならば不審者に目を光らせるなどしなければならないのだが、押し寄せる群衆にお手上げ状態でほぼ放棄し、王国軍の中でも特に選抜された、忠誠心篤きエリート達も単なる交通整理係となっていた。これもその巨大広場で急遽執行される事となった火刑を、摂政の威信とやらの為により多くの王国民に見せつけるためかと、口に出来ない愚痴を胸の内で呟きながら。彼らは必ずしも、摂政に忠誠心を捧げている訳ではないのだ。巨大広場には、ランスルの場合を更にスケールアップした様な処刑場が設営されていた。正対する二つの足場のうち、執行側が上がる執行台は、ランスルとは比較にならないほど巨大だった。それは王城の、摂政執務室のテラスからも見られる程に。

「ははは!この快晴はどうだ!?まるで儂の英断を寿ぐ様ではないか!」

快晴の日ならば他に幾らでもあるだろうが、摂政は上機嫌だった。事ここに至っては、何故もっと早くこうしておかなかったかと、悔やまれさえした。病は気から、などと言うが、きっと体調が不安定なのも、地下牢の者達の事が気掛かりだったからに違いない、と。加齢のせいもあるだろうが、大分前から、彼は体の変調を感じ始めていた。食欲が減退し、何とも言えぬ息苦しさを感じる様になっていたのだった。それが苛立ちに拍車を掛けていたのだ。自分は本来もっと穏やかな人物の筈なのだから。しかし、それも今日限りで納まる、と彼は思っていた。

 処刑場をぐるりと取り囲む柵の内側には、何十名もの兵士達が周囲へ睨みを利かせていた。やがて、それを取り囲む群衆達は、ざわめきの中にもその音を待っていた。やがてその、時を告げる鐘が鳴り、処刑台側の出入口から兵士達に引き立てられ、受刑者達が入場してくる。彼ら、彼女らは皆一様に無地の簡素な服を着せられている。その列、先頭を行くのは四~五歳程の少年の手を引いた、三十代半ば程の女性。はっ、と息を呑む様な美人、アインリヒト伯爵夫人クレメンティナだった。少々窶れてはいるが、そこがまた儚げで容姿に独特のアクセントを添えている。手を引く息子の名はホーク。間もなく灼熱の炎に焼かれる運命を知ってか知らずか、大人しく母親について行く。続いてはアウグスト。俯きがちに憂いを含んだ表情の婦人とは違い、彼は真っ直ぐ前を向き、微笑すら浮かべている。更にその後を、何人もの様々な年齢層の男女が、覚束ない足取りで歩く。それを兵士達が乱暴に前進させる一コマもあった。処刑台の階段を上がり、拘束する為の柱の前に立たされた。

「誠に申し訳ない。この期に至るまで、貴女方の為に何も出来ませなんだ」

両腕や首を兵士達が柱に固縛する作業中に、済まなそうにアウグストが夫人に話し掛けた。

「いえ…あの陰鬱な地下牢での生活の中で、貴方の存在がどれ程心強かったか…今はただ、理の主の、その息吹の中に、夫の姿を探す事を、楽しみと致しましょう」

ぎこちなく微笑んでみせる。しかし、その目の端には光るものが見えた、と。

「いやぁー、いやっ!」

足元で、子供のぐずる声。ホークが手を振り回し、兵士を困らせていた。子供が拘束されるのを嫌がるのは至極当然と言えたが。

「ホーク、ホーク…」

力強く、優しく、夫人が呼び掛けた。動きを止め、ホークは母親を見上げた。無言のまま、暫し見つめ合い。

「良い子だから…」

夫人がポツリ、呟くと。俯いたホークは、もはや抵抗しなかった。そんな一幕の傍らでは、啜り泣きや、何事かを低く呟く声等が聞えてくる。やがて作業を終えた兵士達が処刑台を降りてゆく。暫くして、柴の束を幾つも抱え、再び登場する。それらを受刑者の周囲に配置し油を振りまくと、兵士達は立ち去った。一方で、執行台の裏側からは、死刑執行を宣する役人を始め、火竜の世話係の魔術師達や、護送される兄妹を想起させる状態で兵士達に付き添われた、みすぼらしい姿の男女数人の姿があった。この者達は、王国軍により捕縛された抵抗組織の者達だったが、ある事情からこの処刑が、確かにアインリヒト伯爵夫人母子に対し行なわれたものである事の証人となるべく、この場に連れ出されたのだった。執行台上の前方に進み出た役人は、兵士達が処刑台から降りたのを確認すると巻紙を開き、読み上げた。

「告!アインリヒト伯爵夫人クレメンティナ、その息子ホーク、前歳入長アウグスト、その他十一名。この者達は、アリスト王国内にて叛乱を準備、実行せんとした。よって国家反逆の罪によりパウロ三世陛下の名において、ここに特別火刑を執行するものとする。この審判が覆る事はない!」

読み上げ終えると巻紙を元に戻し、手で合図をした。風系列の伝達魔法により、やがて大小様々な影が、羽ばたき音と共に巨大広場に落ちてきた。巨大な影が一つ。それに比べれば少々小型の、七つ程の影を従え、群衆を威圧する様に翳らせる。地上に降りてきたのは、その巨大な影の主だった。頭の天辺から尻尾の先まで優に四十メートルはあるだろうか。その巨体が、執行台の上に降りてくる。他の影の主は、その上空を周回しだした。哨戒任務担当、という事だろう。執行台の上では、ランスル同様火竜のその手足が太い鎖で台に繋がれ、更に魔術師達により、その周辺に風のカーテンが揺らめきだした。処刑台の上では、既に安息の水を与え終えた司祭が台を降りようとしていた。それを待ち、役人は刑の執行を宣言しようとした、その時だった。

「!?」

群衆の中から、打ち上げ花火が上がったのだった。決して派手なものではなく、六十メートル余り上空で、小さく破裂する。お祭り騒ぎに華を添える趣向かと、それは群衆の間に爆笑を巻き起こしたが。

「な、何者だ!?厳粛なる司法の場を愚弄するか!」

激怒し役人が怒鳴り散らすなか、その上空では戦闘開始のゴングが高らかに打ち鳴らされていた。

 アリステポリス周辺を、高度百メートル近くで周回していたフラッパが、その花火を確認した。

「あ、合図来た!」

フラッパは花火目掛け降下を開始した。やがて旧市街上空に差し掛かる。

「ふむ、では手筈通り」

ネアラはアポロスを抱える様にしながら言うと、フラッパの背中から飛び降りた。風系列の魔法で飛翔する。

「では、我らも行くとするか」

「行こう」

鱗製の槍を手にしたグラッススと、いつもの強弓を携えたエアリア。二人の膝から下は、革バンドでフラッパに固定されていた。

「じゃ、行くよ!九九艦爆、いや、スツーカ!」

背中の二人には全く理解不能な叫びと共に、フラッパは翼を折り畳みかける。俄然降下速度が上がる。更に、翼と体との僅かな隙間に風を流し加速。上空を哨戒中だった火竜の間を突き抜けていった。

「行けぇっ!」

強烈な風に顔を顰めながらも槍を構えていたグラッススが、遂に投擲した。狙いは火竜の背中の中心、脊椎だった。この速度なら風のカーテンを、軌道を狂わされる事なく突き破り(そもそもそよ風程度の風力だが。そうでなければ火炎の放射に支障が出る)、火竜の鱗を突き破り、骨を砕き神経に達する事だろう。その直後、上空十五メートル程でフラッパは翼を全開、急上昇していった。背後に、火竜の凄絶な咆哮を聴いた。

「ご免ね、君は、何も悪くないのに…」

その一言に、グラッススも少し辛そうな表情になるが。

「来た!」

緊張したエアリアの声。上空の火竜達が急行してきたのだった。

 ネアラとアポロスは、王城の尖塔の一つ、その屋根の上に立っていた。そこに居ても、巨大火竜の咆哮は耳にする事が出来た。

「良し、行くぞ?」

ネアラは呪文を唱え始めた。風系列の伝達魔法だった。

「では、行きます」

呼吸を調え、アポロスは良く通る声で、朗々と歌い始めた。

「この王国に住まうもの、この王国に忠誠と武器を捧げし兵達

 その勇は気高く、その心は優しき兵達

 今その前に敵はなく、その背後に憂いは無し

 今一時その勇は忘れ、心安んじるべし」

その声はネアラの魔法によって拡大され、旧市街はおろか王都全体にあまねく響き渡る。すると。

「何だ…あ、ううっ!」

処刑場に集結していた兵士達に異変が起きた。しかしその有様は一様ではない。武器を取り落とし、幸福そうに空を見上げる者、逆に泣き崩れる者、その場に跪き、祈る様に何事かを呟き出す者…。それは祝福の応用だった。アインリヒト領でも同様にして、代官や駐留部隊を追い出したのだった。

「さて、後はアラド君達が打ち合わせ通りやって頂けると良いのですが」

「心配ない。行こう」

ネアラが促す。二人にとっては、これからが本番だった。

 「どうなっている、これは!?」

矢継ぎ早の異変に、役人は完全にパニック状態だった。火竜は動かなくなり(生きてはいる様だが)、兵士達はもはや使い物にならず、刑を執行出来る状態ではなかった。しかし、既に刑執行の宣告は為されてしまったのだ、このまま手を拱いている訳には行かなかった。

「ええい、魔術師達よ!あの者達に火炎を打ち込め!」

火竜を取り囲みあたふたしている魔術師達に命じるが。

「それは待って頂きましょうか!」

階段を駆け上がってきた数名の、マントにフードを目深に被った者達が、抜剣しつつ迫ってきた。魔術師達は為す術無く剣を突き付けられ抵抗を諦め、証人役の者達は、縄の束縛から自由にされた。先頭切って上がってきた二人が、フードを取る。

「…あっ、貴様達はっ!?」

姿を現したのは、アラドとエレノアの顔だった。変装の為か髪を染め、化粧や付け黒子などもしていたが、間違いなく兄妹だった。

「これだけの群衆を入れたのだ、ろくに調べられる事もなかった」

アラドは役人へと鋒を向け、近付いて行った。今にも膝が笑い出しそうな役人だったが。

「き、貴様達には、死刑が宣告されている!ノコノコと出てくるとは、手間が省けた!今ここで、執行してくれる!」

「ほう?いかな時も職務に忠実であろうとするとは、今時の王国内にあっては正しく至宝、役人の鑑と申せましょう!しかしながら…それは、誰が為されるのですか?今この場に居る者で、それを為し得るのは、貴殿ただお一人とお見受けしますが?」

そうなのだ。既に兵士達も魔術師達も無力化されていたのだ。

「さぁ、お腰の短剣が唯の飾りでない所を、群衆の前にお示し下さいませ」

エレノアも剣を構えつつ迫った。役人はそろそろと短剣に手を伸すが…抜けば斬り掛かられるのは目に見えている以上、抜けなかった。

「ぐっ」

口惜しげに歯噛みする。

「…では、一つ提案を致しましょう。その巻紙を私に渡し、この場を、何事もなかった様に退場なさるのであれば、皆黙って見送る、というのは如何か?」

選択の余地は無かった。処刑台の上でも別の一団が、ネアラとグラッススがやった様にして受刑者達を救出している。役人は唇を噛み締めながら、巻紙をアラドに手渡した。巻紙を一瞥し、アラドが退場を促す仕草をすると、憮然と役人は歩き出した。仲間達も黙って役人を見送った。アラドは巻紙を開いて掲げ、群衆に呼ばわった。

「ただ今この場に参集せし方々。良心、良識ある王国民よ!先程読み上げられた、この巻紙に記された罪は、全くの捏造である!王国を恣にする者達の策謀である!よって、死刑の宣告は無効であり、刑が執行される事は無い!」

巻紙をエレインに持たせると剣を一閃、破棄の手順に則り縦に真っ二つにし、台の上から投げ捨てた。群衆の中から、やがてちらほらと拍手が起こった。それはやがて、耳を聾さんばかりの歓声と拍手となった。

「さぁ、次が待っている!」

剣を収めるとエレノアの肩を軽く叩き、アラドは階段へと向かった。と、背後から声を掛けられた。

「おい、あんたら!エアリアさんを連れてった連中だろ!?」

階段の途中で振り返れば、見覚えのある若者が、付いて来ていた。

「貴方は…」

「クーガーだよ!あんた達が彼女を連れ出したせいで、王国軍の攻撃に耐えられなかったんだ!」

「そうだったか。ではここから、我々と行動を共にしないか?彼女も来ている」

「…まぁ、助けてくれた礼の分くらいは働くさ」

「そうか。なら、武器は兵士達から調達してくれ。ただし、不要な殺傷は厳に謹んで欲しい」

「ああ、判った」

彼らは、伯爵夫人らを救出した一団(救出後、安全な隠れ家に匿った)と合流し、王城へと向かった。


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