第六章 Ⅲ
摂政は焦燥していた。二十日余り前、兄妹の新たな隠れ場所について連絡が来て以後、コールマンと連絡が取れない状態となっていたのだった。手紙にあった場所には密偵を派遣し見張らせてみたが、動きは全く無かった。これはどうした事かと、確認の手紙を飛ばしたが何日経とうと返答はなく(農家へは、あの若者カスターが定期的に往来していた)、農家に密偵を向かわせてみればもぬけの殻だった。そこに配置した者達が勝手に持ち場を離れる事は考えられず、拉致された(しかも元アインリヒト私兵団に)可能性が濃厚だった。
「くっ、しかし、問題は無かろう」
農家に配置した者達が口を割る筈がない、と思い込もうとする。しかし新たな連絡経路を構築するには時間が掛かるだろう。彼にはコールマンを動かさなければならない理由があるのだった。一つは、アイスブレイクの仕事を適度に邪魔する為。それともう一つ。現王国に不満を持つ者達の希望として適当な活動を行わせ、ガス抜きをする為。その為には、真面目で活動的、人望もある様な若者達は邪魔なのだった。そういった者達は、本気で摂政に楯突こうとするからで、もちろん兄妹はその筆頭格といえた。摂政にとっては、分を弁えぬ愚か者達。
「…そろそろ、潮時か…」
あるいは、もはや彼らの役割は終わったのかも知れない、と摂政は思い直した。アイスブレイクを焚きつけ、王室特務隊と正面対決させれば、一挙両得ではないのか?たとえ王室特務隊が壊滅したとして、何か困る事があろうか?彼がその様な考えを巡らせていると。
「閣下、ライカミング将軍がお見えです」
警護の声が扉の向こうから来客を告げる。
「通せ」
扉が開くと、小柄だが強面の男性が足早に摂政の机へと向かってくる。
「閣下!まずいですぞ、アインリヒト領で叛乱が!」
「何ッ!?」
思わず立ち上がる。
「代官を始め、駐留部隊は既に」
「何、全滅か!?」
「それが…」
そこで、将軍は苦い物でも呑み込んだかの様な表情をし、言い淀んだ。
「何だ、全滅したのか!?」
苛立ちを隠さずに重ねて問うと。
「はぁ、実は…戦死者は無いと…アインリヒト領をで、カント砦に、ほぼ全員が行進して到着したとの事であります」
カント砦はアインリヒト領と王国直轄領の境界近くにあった。そこに、代官含め駐留部隊全員がおめおめと任務を放棄し撤退したというのだ。
「どういう事だ!?代官共は戦いもしなかったというのか!?それこそ反逆ではないか!」
「ともかく、未だ詳細な状況が判明しておりません。把握に時間を要すると」
「急げ!時を与えれば、体勢を整えさせてしまうぞ!」
「御意!」
将軍は敬礼すると入室時同様、足早に退室していった。
「ええい!そろそろどころではなかったか!」
事ここに至っては、コールマンは失脚したと考えるよりなかった。農家がもぬけの殻となっている事が判明した時に、手を打っておくべきだったと、悠長に構えていた事を悔やんでも後の祭りだった。
アインリヒト領中心の街リヒテンシュタイン。カレンは四年ぶりに、実家へと戻っていた。
「ああ。相も変わらず美しいな」
小高い丘の上に建つ、大きいが簡素な装飾の城からは、壁に囲まれた市街地はもちろん、その向こうに広がる農地まで見渡せる。丘の直ぐ下を流れる川は、背後に聳える山岳地帯から流れてくる。その川の支流は、街の外に広がる農地を潤していた。地味も良く水にも恵まれ、農作物の収穫量は、領内はおろか周辺の地域でも比肩するものが無い程だった。もし、王国軍との本格的な戦争になろうと、備蓄は十二分にあった。と、扉をノックする音が数度、響いた。
「…感慨に耽ってばかりもいられない、か」
彼女は今、父親の執務室にいた。彼の存命中は一年の半分以上を王都で過ごし、領地に戻って来た時も、大抵は領内の視察や軍事訓練等のため留守がちだったが。
「どうぞ」
扉が開き、入ってきたのは六十代と思しき、白髪の目立つ小柄な老紳士だった。
「お嬢様、皆様方会議室にお揃いで御座います」
恭しく頭を下げる。ゆっくりと、カレンは踵を返した。
「有難う、スチュアート。戻って間もない所を」
「滅相も御座いません。こうして再びリヒテンシュタインに戻り、お嬢様にお目見えが叶うなど、もはや絶望的と半ば諦めておりました。以前にも増して奉仕させて頂きたく思います」
このスチュアートという男性は、ウッズマンの信頼篤くかつてその執務代行を任されていた。代官が派遣されてくると失業し、片田舎でのんびりと暮らしていたのだったが、ほんの数日前に訪れた使者の馬車に便乗し、戻って来たのだった。
「これから色々と迷惑を掛ける事になるが、依然と同様頼む」
「畏まりまして御座います。しかし、宜しいのでしょうか?王都に居られる母君や弟君は…」
「案ずるな。この決起は、正しくその為のものなのだからな」
「?それは、どの様な意味でしょうか?」
「いずれ判る。だが、知っているか?我々は敵味方、最低限の流血で王国軍を放逐したのだぞ?」
歩き出す。スチュアートの横に来ると。
「恐らく、近々王都で前代未聞の出来事が起きよう」
ポツリと呟き、執務室を後にしたのだった。
叛乱の報が王都にもたらされてより数日後、摂政は事態に対処すべく緊急会議を招集した。会議室にドスドスと足音高く摂政が入室すると、テーブルを囲んだ一同は、一斉に起立した。それを手で着席させ、摂政はドカリと着席した。そして、開口一番前置きもなしに切り出した。
「さて、今回の一件に関しては、不明な点がある。アインリヒト領には代官の直属として四百名余りからなる部隊が駐留していた。その部隊は三分され、リヒテンシュタインを始めとした三カ所に配置されていたが、彼らは殆ど戦う事もせず、整然とカント砦に戻って来た、というのだ!あそこで一体何が起きたのか、まずは報告して貰おう」
「はっ!」
ライカミング将軍が立ち上がり、報告を始める。それは不思議な、不気味な内容だった。
代官は、リヒテンシュタインで執務をしていた。間もなく日が暮れようとしていた。と、外が騒々しくなったという。何事かと、下に降りて兵士に訊ねると、他の街に配置された部隊が、リヒテンシュタイン目掛け行進して来たという。市門の前で門衛が何事か質問するが、様子がおかしかったとも。皆一様に晴れやかで、異様に和やかだった、と。代官が将兵数名と市門まで降りてゆくうちに、また次の部隊がやって来た。こちらも同様な有様だった。とにかく何故ここへ来たか、誰が命令したか、と誰に質問しても、主の声が、等と要領を得ない返答しか得られなかった。しかし、直ぐにその意味が理解できた。不意に、その声が聞こえ、心が得も言われぬ多幸感で満たされていったという。そうか、これこそ理の主の声なのだ、と代官は直感した。声は、自分達にこの地を離れ、カント砦に迎え、と命じたのだった…。
「聴取の時にも、未だ代官らはそれを理の主の声と言っていたそうであります」
「そんな事が、あり得るものか!何かの魔法か、あるいは薬物よ!」
出席者の一人が呻く様に言うが。
「確かに、負傷者数名が薬を使われたと思われますが、他の者達は、全く別の理由だったと」
「何だ、その全く別の理由とは!?」
「それが、現状不明であります。現在、魔術師の研究所や大学、教団等にも問い合わせ中でありますが…」
言い訳がましいライカミングの口調。
「そうか…ともかく、早急に事態の収拾を図らねばならん」
「至急、軍の派遣を!」
官僚の一人が声高に進言する。至極当然の内容ではあった。
「既に討伐軍の編成は終了し、命令一下、いつでも出征可能であります!何卒、ご命令を!」
ライカミングも誇らしげに摂政に迫る。テーブルを囲む大部分の出席者達が、軍の派遣に賛同の声を上げるなか。
「少々、お待ち頂けませんか?」
挙手した役人が、良く通る声で発言する。その男性は、王国が正常に運営されていればその席には座っていなかっただろう、本来低い職責の官吏だった。
「何だ、貴様は!出征に反対だとでも言うのか!?」
この小役人めが、とライカミングが睨むが、役人はゆっくりと首を振った。
「誤解なさいませんよう。私は出征には賛成で御座います」
「ならば何だ!?」
「出征なさる前に、成すべき事がある、と申し上げたいのです」
「何だ、それは?」
摂政が発言権を役人に与えた。男性は恭しく一礼し。
「はっ。反逆者共に、自分達のしでかした凶事の意味を、見て判る形で教示してやらねばなりません。つまり、火竜による処刑を行うのであります。地下牢で飼い殺している、もはや人質としての意味を失った伯爵夫人母子と、ついででありすから、摂政閣下にまつろわぬ厄介者共も纏め、旧市街の大広場で盛大に火葬と参りましょう」
平然とした役人の行なった、余りにえげつない内容の発言に一時、摂政を始めテーブルを囲んだ者達は言葉を失った。役人は、何かおかしな事でも、と言いたげに一同を不思議そうに見渡した。
「うぉほんっ。それで、どうするのだ?」
気を取り直し、一つ咳払いをすると、摂政が続きを促す。
「はい。死体を全て、アインリヒト領に晒し、この惨事はお前達の愚行に起因するものであり、責任は全てお前達にあると、反逆者共を糾弾するのであります。さすれば反逆者共めは少なからず動揺し、投降する者も現れましょう」
「待て!それでは奴らが逆上する可能性の方が高いぞ!?死に物狂いで戦いを挑んでくるわ!」
「それこそ好都合というもの。籠城されては厄介でしょうが、逆上し、打って出てくるならば、幾らでもやり様はありましょう?激情に囚われた者は、とかく思考力や注意力等が低下するものです」
「それは、そうだが…」
「更にはランスルでの失態を挽回する好機かと。この王都で、大勢の王国民に、改めて火竜兵団に対する畏怖の念を植え付けられるのであります。そうは思いませんか、オイラント殿?」
役人の視線が、テーブルの向こうでむっつりと押し黙っているオイラントに向けられた。
「…」
薄目で役人を見やるオイラント。役人は構わず続けた。
「ランスルならばいざ知らず、この王都にまで件の風竜も侵入しますまい」
意図的か、あるいは天然なのか、挑発する様な物言い。
「…余計な心配は無用だ。充分な対策は講じてある」
険を含んだ返答にも、役人は一向無頓着に笑顔を浮かべ。
「それは重畳。でしたら何も支障は無い、と考えて宜しいのですな?」
「もちろんだ」
一つ頷く。役人も頷き返すや摂政に向き直る。
「準備は整っておられる様で御座います。閣下、何卒御裁可を」
恭しく頭を下げて見せると、他の出席者達もそれに倣った。摂政は暫し沈思黙考していたが。
「…ふむ。悪くは無い提案だ。良かろう、三日後、火刑を執り行う。受刑者名の一覧は後に下す。火刑執行後、直ちに出征する様に。以上、解散!」
「ははっ!」
再び頭を下げ、直ると出席者達は三々五々、会議室を後にしたのだった。




