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第六章 Ⅱ


 摂政ゾルダンスは、不機嫌そうにテーブル向こうで高級酒を味わっているギョロ目の男性を見詰めていた。胸中では、この男を甘やかし過ぎたか増長しおって、と臍を噛んでいた。

「…確か、貴様は言った筈だな、オイラントよ?『三年もあれば、連合を軍門に下してみせる』と。四年経っても態勢が整っておらんぞ。一体どうなっておる?」

彼としては精一杯の自制心をもって訊ねるが。

「その事ですか。でしたら」

言って、グラスを一気に傾ける。呑み干すと、満足げな吐息を漏らした。

「うむ、美味い」

グラスを掲げ呟いた。

「貴様は儂の部屋まで酒を呑みに来たのか!?状況はどうなっておる!?」

声が裏返る。テーブルでも叩きたい衝動を必死で抑え、摂政は話を促した。ようやくオイラントはグラスを置いた。

「ご安心下さいませ、摂政閣下。最後の難問は解決されつつありますぞ。近日中に、我が火竜兵団が連合域内への本格的侵攻に参入する事となりましょう」

芝居がかった仕草で頭を下げてみせる。

「ふん!ただ連合めを蹂躙するだけならば、貴様の力なぞ要らんのだぞ!?」

摂政の言葉は、単なる強がりやはったりではなかった。ただし、いかな犠牲も厭わない限りにおいて、だが。火竜を組織的に運用し、連合側に多大な圧力を加える、といった要素が無ければ、たとえ戦争に勝利できたとしても復興にどれ程の時間が掛かる事か。それこそ摂政が最も忌避すべき事態なのだった。それを見透かしたかの様に、オイラントは微笑していた。

「おやおや、それが摂政閣下の本望なのですかな?連合との決戦をしきりと口にしながら、その実戦争なぞ望んでおられないのでは?閣下が望んでおられるのは、連合の瓦解とその後の、旧連合域の経済的支配でありましょう?近親者と阿ねる商人達による独占的な利益の確保。それはもはや、王国の為ですらありませんな」

「貴様!どの口が、儂にその様な物言いをするのだ!?貴様を拾ってやったのは儂だぞ!?今の環境を与えたのもだ!貴様は黙って、儂の望む成果を上げれば良いのだ!」

「成果と?それでしたら、もう上がり始めておりますよ。連合の有象無象なぞは、森や村を少々、火竜に焼き働きさせただけで狼狽しておりまして。小国の一つも灰燼と化しましたら、こぞって恭順の意を示しましょう。まぁ、カスティーオ選定公国は残りますかな?」

言いながらグラスに酒を注ぎ、言い終えるや口に運ぶ。

「…ふん。大層な口を利きおって!ランスルの醜態を目にした者達にも、そう言って回るが良いわ!」

ランスルの醜態とは、もちろん兄妹の救出劇の事だった。あれ以降、兄妹の消息に関する情報は、彼の耳にも入ってはいなかった。

「…必要御座いますまい?間もなく、このサーラ中の人々が、火竜兵団の真の実力を知る事となるのですから」

一瞬、嫌そうな表情をしても、直ぐに余裕の笑みを浮かべてみせる。

「是非ともそう願いたいものだ!もう良い、下がれ!」

追い払う様な仕草をしてみせると。

「御意に」

恭しく頭を下げ、立ち上がる。扉へ向かい掛けて、不意に立ち止まった。

「ああ、そう言えば。最近、王室特務隊は思わしい成果を上げておられない様ですが?」

「それがどうしたというのだ!?貴様に何の関係がある!?」

そう言う摂政の額に、脂汗が浮き始めた。

「いえ、つい先日、アイスブレイク総長が私の執務室に来られましてね。元アインリヒト私兵団の情報が思う様に入らないから、何か情報源になりそうな伝はないか、と言ってきたのですよ。まぁ、そんなものがあれば、とうの昔にお伝えしている、と申しましたら引き下がりましたが。確か、総長はアインリヒト領主の座をご所望とか?その為に、邪魔者は予め排除しておきたい様で」

「何が言いたい!?」

声が一オクターブ高くなっている。

「…愚考しますに、アインリヒト領を狙う別の者が、情報操作を行っているのでは、と。しかも、その者は国のかなり上位の」

「ええい、下がらんか!」

大声で、言葉を遮る。

「…失礼致しました。しかし、何者か存じませんが、強欲は身を滅ぼす元だそうで」

オイラントは今度こそ退室して行った。その背中を憎々しげに見送り、扉が閉まるや。

「くそ!どいつもこいつも忌々しい!」

右手の拳で、摂政はテーブルを叩いたのだった。


 狭く、入り組んだ路地を、若者は走っていた。そこはコールマンの本拠から最も近い街だった。買い出しという名の短い休暇に、件の宿屋から何人かが訪れていた。その中に、その若者の姿もあった。あの農家へと赴いた若者だった。買い物を終え、自由行動という事で町中をぶらついていると、声を掛けられた。彼を知り、また彼が知る者達だった。本来ならば親しく言葉を交すべき場面だろうが、彼らのうち中央の人物が発した一言に、彼は逃走を即決し、実行したのだった。

「はぁ、はぁ…」

息が上がり、立ち止まると壁に背を預け息を整える。ふと、空を見上げると。屋根に止まった小鳥が一羽、こちらを見下ろしているのに気付いた。

「はぁ、はぁ…俺も翼が欲しいよ」

息を整え終え壁から離れる。小鳥は一声高く鳴き、飛び去った。少し歩くと、広い裏道に出た。広い、とはいえ馬車一台通れば塞がれてしまうだろうが。左右を伺い、右手へと歩き出した。頭上で、小鳥が鳴いた。

「どうしたのだね、カスター君?」

不意に先程聞いた声が、彼を呼び止めた。ピクリ、として立ち止まり、恐る恐る、振り返る。そこには、柔和な笑みを浮かべたエンダーの側近が、部下を従え立っていた。

「あっ、あっ…」

「急に逃げ出して、どうかしたのかね?それ程、あの農家へと赴いたのが問題だったのかな?ああ、それとも、その事を我々が知っている事が、かな?」

若者の背後からも、複数の足音が。もはや逃げ場はなかった。

「農家の方々には、身分等含め色々と話を伺ったよ。誰の指示で、君があの農家との伝令役を務めていたかもね」

「そんな、そんな馬鹿な!彼らは」

「残念ながら、彼らは王室直属の密偵だった様だね。さて、これから、君を働かせていた者の元へ向かおうと思うが、君にも同行願おうか。きっと面白いものが見られるだろうね」

「しかし、ここには!」

「同胞の事かな?それならば、もう帰らせてあるから気にする必要はないよ」

背後からガッチリと両腕を取られるが、腰砕け状態の若者は抵抗する事もなく、引き摺られる様に一行に随行したのだった。途中で馬車に乗せられ、街を離れた。

 宿屋へと向かう街道の途中で、一台の馬車と合流した。窓にはカーテンが引かれ、その乗客が誰かは判らない。側近達を乗せた馬車を先行させ、宿屋へと向かう。玄関先に着けられると、御者の開けた扉から側近が降り、玄関扉を開けた。ずかずかと入ってゆく。ロビーに居合わせた者達が、その顔を見るや敬礼した。その背後を、その部下に引き摺られる様に入ってきた若者を認めると、困惑の表情が一様に浮かんだ。そんな同胞達を後目に、地下への階段を降りていった。

 俄に扉の向こうが騒々しくなったのに気付き、ペンを走らせていた手を止めコールマンは顔を上げた。

「騒々しい、何事だ!?」

警護の返答は。

「はぁ。エンダー殿の側近が見えられたのですが…」

少々困惑しているらしい。

「何?どうしたのだ、入室を許す」

「はっ!」

間もなく扉が開かれ、一行が入ってくる。変わらぬ柔和な笑みを浮かべたまま、側近は挨拶した。

「お久し振りです、コールマン殿。ご健康そうで」

「君もな…ところで」

側近の背後に視線を遣り、コールマンは僅か眉根に皺を寄せた。

「ウチの者が、何か不始末でも?」

「この者だけではないのですよ。彼は、摂政配下の密偵と接触していましたが、その指示をした者が、遺憾ながらここに居る事が判明しました」

「ほう?その者とは?」

「その点に関しましては、是非とも、彼自ら語って欲しいものですが」

背後を一瞥すると、配下達は前に進み出、若者を前に突き出した。若者とコールマンの視線が交錯する。

「さて、カスター。君に、指示をした者とは、誰だね?」

コールマンの視線に、若者は怯えていた。

「それは…」

「言ってみたまえ。一体、誰なのだね?」

言いながら、コールマンは刹那、視線を机の上に落とした。そこには、ペーパーナイフが置いてあった。それを一瞥し、再び若者を見る。そのナイフで自害しろ、と、若者に無言で語り掛けていた。額に脂汗を噴き出させながら、暫く逡巡した後、彼はゆっくり机へと近付き始め…。

「もう良いではないか?」

いつの間にか入室していた者のその一言が、若者の動きを止めさせた。未だ幼いが、凛とした女性の声が。

「もう良いのだ、コールマン。全ては、白日の下に晒されておる」

言いながら前に出たのはカレンと、その傍らにはエンダーの姿もあった。

「これは…カレン様」

コールマンは立ち上がり、机を回り込むとその足元に跪いた。

「よくぞご無事で。この四年余り、身を案じて過ごさぬ日はありませんでした!」

うっすらと、双眸に涙が浮かんでいた。

「ふむ、判っておる。此度の事、己の我欲などで行った事ではあるまい?そうでなければ、元アインリヒト私兵団なぞ、とうの昔に散り散りとなっていた筈。そうであろう?」

カレンは右手をコールマンへと差し出した。言葉もなく、縋る様にその手を取るコールマン。しかし、屈強な腕が、そんな彼の襟首を掴み立ち上がらせる。

「貴様には、訊きたい事が色々ある。お前の側近は、知っているのか?」

鬼の形相のエンダーに対し、コールマンは力ない微笑を浮かべた。

「私の一存だ。関係ない」

「そうか。なら、暫くこちらは彼に仕切って貰う」

「エンダー」

カレンの一言で、コールマンは解放された。コールマンは衣服を整えて見せた。

「これよりエンダーの本拠に向かう。そこで全てを、嘘偽りなく語って欲しい」

「…仰せのままに」

エンダーの配下に周囲を囲まれ、神妙な顔付きでコールマンは返答した。一行は、コールマンの配下達に呆然と見送られながら、宿屋を後にしたのだった。途中、廊下で説明を求めてきたコールマンの側近に、エンダーが手短かに経緯説明をし宿屋を任せると、一行は来た時同様馬車で立ち去ったのだった。


 岩山の上で、グラッススとアポロス、それに兄妹は、武術訓練に汗を流していた。谷底にあるエンダーの本拠へは魔法でも使うか、フラッパに乗らない限り降りられない。彼らが何故、そんな所で訓練をしているのかといえば、一つは眺めが良く気分良好な為と、もう一つは広く目立たない場所を確保したかったから、だった。ハルバートを軽々と右に左に、頭上にと振り回すグラッススに、じりじりと間合いを詰めるアラド。両者とも、相手の動きに合わせそろそろと足を運び…。

「はっ!」

ハルバートを構えたグラッススへ、アラドが裂帛の気合いと共に打ち込んでゆく。金属同士が金切り声を上げる。穂先で受け流したグラッススは、神速の突きを繰り出す。それを辛うじて捌くアラド。正しく真剣勝負だった。グラッススは決してアラドを剣の間合いに踏み込ませず、間合いを取り口惜しげにアラドは攻め手を考えていた。その一方で、エレインとアポロスも武術訓練を行っていた。

「遠慮なく、どうぞ」

先程まで、治療役としてグラッスス対兄妹の訓練を見ていたアポロスが、木の棒を手に彼女の前に立ちはだかる。片手で無造作に木の棒を構えている様に見えた。

「…では!」

剣を両手で構え、エレインは突撃した。突きを繰り出そうとするが、木の棒がその親指を痛打した。

「うっ!」

衝撃に、剣を落としそうになる。と、今度は膝の裏側。右脚から力が抜け、転倒しそうになった。そして最後は首。木の棒で背後から軽く締め上げられた。

「如何ですか?」

背後から、静かなアポロスの声。

「お見事、です」

言うと、アポロスは木の棒を外した。彼女の前に回り込む。

「通常は鉄製の杖で行うのですが。生憎と、私の杖は持参しなかったもので」

「はぁ…お強いのですね…何故、この様な技を?」

「あくまで自衛の為ですよ。私達は、よく旅をしますのでね」

「ああ、なるほど」

納得して、ふと、アポロスの顔が思った以上に近いのに気付き、思わず後じさった。

「?どうかしましたか?」

頬に赤みの差したエレインに、少し首を傾げてみせるアポロス。

「え、いえ、その、ああ、そう言えば。最近フラッパは忙しそうですけれど、今は何をしているのでしょう?」

「何か、彼は彼で特訓している様だが」

訓練を終えやって来たグラッススが答える。

「特訓ですか、何のでしょう?」

「詳細は知らぬが。しかし、彼の役割を考えれば火竜対策、という事だろう」

「そうですね」

一つ頷くエレイン。と、アポロスが。

「噂をすれば影、ですか」

空を見上げる彼の視線の先から、高速で接近してくるものが。それは、やがて激しい風と共に、彼らの傍らに着地した。

「どう、丁度良かった?」

「はい。特訓ご苦労様」

エレインが笑顔で鼻先を撫でた。

「ところでさ、こっちの方に、馬車が向かって来てるみたいだけど?」

「馬車が向かって来ます!」

フラッパの言葉にアラドの声が被さる。

「では、降りるとしようか」

グラッススの一言で、男性達はフラッパの首を登ってゆくが。エレインはフラッパの耳に囁きかけた。

「あの、今特訓をされているそうですが、どの様な事を?」

「うーん、秘密。時が来れば判るから」

言って、フラッパは笑った様だった。


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