第五章 Ⅳ
工房に戻ってくるなり、ガンツは一同を前に作業の工程を簡単に説明し始めた。
「地竜の鱗を加工するには、大きく四つの段階を踏む必要がある。まずは軟化剤に漬けて加工し易くする。鱗はそのままでは硬くて加工しづらい。鱗は二層になっとるが、内部は下手に力を掛けると割れる事がある。この段階には、八時間ほど掛かる。次は加工じゃ。鱗内部の中心まで軟化剤が浸透している状態で、部品をくり抜き、加工する。この時にきちんと形を作っとらんと、後から手を入れるのはまず無理じゃ。ここまで良いか?では話を進めるぞ。加工が終わったら、軟化剤を抜く事になる。作った部品を温めながら、軟化剤を蒸発させてゆく訳じゃな。これには、まぁ、六、七時間を見ておけば良かろう。最後は、保護薬を塗る、じゃな。これで部品の強度が増す。以上じゃが、質問は?」
「作業に必要な物は、ここにあるだけで全て?」
エアリアが訊ねると。
「そうじゃ。口と鼻を覆う物を用意しておけ」
ガンツは短剣を取り出すと、足下に置いた鱗を束ねた縄を切った。カンバス生地の端を持ち引くと、鱗が床に散乱した。
「まずは全員で、そこにある布で鱗の表面を隈無く磨くんじゃ。保存の為に油が塗ってあるでな。これをしっかりやらんと、軟化剤の浸透にムラが出来る」
背後の棚を指さし、指示した。ネアラ達は即座に動き出した。
鱗の表面を綺麗に磨くのには、思いのほか手間取った。細かい凹凸の底にまで布を押し込み磨くのは、集中力を要する作業となった。ガンツが全てにOKを出すまで、一時間余りを費やした。
「ううむ、なかなかに大変だな」
言いつつ目頭をマッサージするグラッスス。
「こういう作業、結構好きかも知れません」
鱗を満足げに眺めながらエレイン。
「本番はここからじゃ。いよいよ軟化剤に漬けるぞ。口と鼻を覆え」
言いつつマフラーを引上げる。全員が、盗賊団の様になった。
軟化剤の入った甕の蓋には、目張りがしてあった。粘着テープを剥がし蓋を開くと、中には茶褐色の液体が入っていた。マスクを通しても、酸っぱい臭いが微かに判る。ガンツは金属製の水槽内に立て掛けられていた柄杓を取り上げるとそれで甕の中を暫くかき回し、やがて軟化剤を水槽へ汲み出し始めた。水槽は非常に深く、幅が狭かった。
「鱗は、それに吊すんじゃ」
水槽に立て掛けられた、一見してハンガー付きの金属棒。しかしハンガーの両端はフック状となっており、それに鱗を引っ掛け水槽に浸すのだろう。フック、ハンガーの間隔は調整でき、十枚を一度に浸せた。水槽の七割程まで軟化剤が注がれると、ガンツの合図で金属棒を水槽両端の切り欠きに設置する。鱗は完全に見えなくなった。
「放っておくと成分が沈んでしまう。時々鱗を引上げ、軟化剤をかき回す事じゃ」
言うだけ言うと、ガンツは部屋を出て行った。もうすぐ昼だった。
「では、四人と三人に別れ、食事を摂りましょう」
ネアラの提案で、まずは兄妹とカレンが当番となり、ネアラ達は食事に出掛けた。一時間程で戻ってくると交代し、兄妹達が戻ってくると、七人で協力し、時折軟化剤を攪拌した。夕食時も、同じ組み合わせで交代して摂る。そうして、八時間余りが経った。
ガンツ立ち会いのもと、鱗が引き上げられた。軟化剤は幾分色が薄くなり、また鱗の天辺が僅かに姿を現わすほど減っていた。
「ふむ、良かろう」
全ての鱗を表裏ともところどころ中指で触れ、ガンツは小さく頷いた。一見した所、余り変化は無い様に思われたが。
「…触ってみれば判る」
不思議そうな兄妹へ促すと、一同が同時に触れだした。
「えっ!?」
アラドが思わず声を上げた。あの硬かった表面が、ヌルリ、と柔らかく動いたのだ。
「表面はこの通りじゃが、内部は硬いままじゃ。男達は、これから使用済みの軟化剤を流しにゆく。女達は、そこにあるバケツの中のヘラで、鱗の表面をバケツの中に、綺麗に落とせ。後で使うんでな」
ハンガー付き金属棒を支持架に移すと、アラド、グラッスス、アポロスの三人は水槽の取っ手に手を掛け、三方向から囲む様にガンツを先頭に部屋を出て行った。思ったほど重くはなかった。
廊下を少し行くとダイニングに入る。キッチン横の勝手口の扉を開けると、その向こうにはちょっとした畑があった。家屋の裏に家庭菜園があるのは、特別珍しい事ではなかったが。
「よし、そこに撒くんじゃ」
ガンツが指示したのは、藤棚の一角だった。オレンジ色の野菜が多数、垂れ下がっている。
「え、良いのですか?」
アラドが驚愕するが。
「構わん。良い肥料になるんじゃ。そもそも、軟化剤の主な成分は、ここにある野菜達じゃからな」
「え、野菜から作られているのですか!?」
「他にも色々入っとるが、全て人が口にして問題ない物ばかりじゃな。ま、不味かろうが。鱗の成分も多少混じっとるが、まぁ問題は無い」
「そうですか…」
三人は一時、視線を交錯させ、指示通り藤棚の下にぶちまけた。
「軟化剤って、そういう物なんですね」
「成分、製造法は工房毎に違うじゃろう。が、ここでは昔からこれを使っとる。もっと早く浸透させられる物もある様じゃが、口にしてはならん物が入っとるらしい」
眉根に皺を寄せ、言う。
「では、ここの野菜は軟化剤用で?」
「いや、主に食用じゃな。減ったら台所で軟化剤も作り、継ぎ足しとる…また、作らんといかんな」
何処か楽しげにそう付け足し、ガンツは勝手口へ戻って行った。グラッスス達もそれに従う。
部屋に戻ると、ネアラ達は車座になり鱗の表面をヘラでバケツにこそぎ落としていた。未だ鱗は半分以上残っている。
「手伝います」
アラドがヘラを手に、支持架から鱗を持ってくる。ネアラとエアリアの間に陣取り、二人の仕草を手本に作業を始めた。
「なかなか、綺麗にゆかないものだな」
さしものネアラも苦戦している様だった。中央の方から端に寄せ、ある程度溜まったところでバケツに落とすが、波状に底の付近が残ってしまう。
「加工前に革で磨くからその辺でええ。全体的にそぎ落としたら、次のに掛かれ」
「承知しました」
鱗を布の上に置くと立ち上がり、支持架へ向かう。三十分余り、黙々と七人はその作業を続けた。
「今日はここまで。明日も今日と同じ頃に来ればええ。いよいよ加工と乾燥に入る」
知らず、溜息が漏れる。既に日はとっぷりと暮れている時刻だった。鱗をハンガーに戻した。
「有難う御座いました。明日もお願いします」
代表として、ネアラがガンツに挨拶した。
「ふん。明日の出来次第で、全て無駄になるがな」
ガンツは素っ気ないが、懐かしげに鱗を見詰めている。そこへ、ネアラが再び声を掛けた。
「実は、他に仕事の依頼があるのですが」
「何じゃ?」
訝しげなガンツに、小声で何事か話すネアラを後目に、一行は工房を後にしたのだった。
翌日は、緊張する作業が待っていた。いよいよ武器の加工に入るのだ。一行が件の部屋に入ると、鱗の表面が綺麗に磨かれているのに気付いた。
「鱗は基本的に切れん。ヤスリで輪郭を入れ、楔を打ち込んで切り取る。刃を付けるのと、加工に不慣れなら、大きめに切り取るんじゃな。左右対称の物なら、紙に木炭で片方だけ書き、二つ折りにして糊で貼り付ける。鱗の年輪に注意をせんと、変な所で割れかねんぞ」
ガンツの足下に置かれた工具箱には金槌や、大きさ、形状等様々なヤスリ、金属製の楔等が入っていた。一行は各々作業に入った。
「鏃の形状はこんなもの?」
ネアラが二つ折りにした紙を見せると、エアリアは小さく頷いた。
「出来るだけ、年輪に合わせて」
輪郭が年輪に合う様に貼り付ける、とアドバイスする。一つ頷き、ネアラは作業を続けた。ツルツルの表面に糊を薄く伸し、紙を貼り付ける。乾くのを待ち、細いヤスリで輪郭をなぞる様に、まずは浅く溝を付ける。それをガイドラインにして、ヤスリを変えながら徐々に溝を深くしてゆく。これで深さが厚みの半分近くまで来たら、細い楔の先端を差し込み、金槌で打ち込んでゆく。パキン、と乾いた音と共に裏まで罅が入った。緊張しながら裏返してみれば、どうやら輪郭通りに入った様だった。一安心し、作業を繰り返してゆく。鏃一つ切り抜くのに三十分近く掛かった。知らず、額に汗をかいているのに触れて気付いた。
昼食を挟み、作業は八時間掛かった。必要な部品は全て最初に切り出しておく。穂先の様な大きめの物は、分割して切り抜く必要があった。切り出した部品はヤスリで成形してゆく。大まかな削りはエアリア以外で行い、仕上げは彼女が一人で担当した。滑らかで鋭い刃や、矢や槍への取り付け部分等の、微細で正確さを求められる部分などは、素人とは思えない出来映えだった。
「山では、自分達で使う物は殆ど、自分達で作る」
技量を褒められ事も無げに答えるが、まんざらでもない様子のエアリアだった。
さて、いよいよ鱗加工の正念場となる乾燥工程に入る時が来た。
「鱗を熱して、軟化剤の成分を抜く。ええか、ここ次第で、今までやって来た事が全て無駄になりかねん。これまで以上の注意深さと、忍耐力が必要じゃぞ」
ガンツの横には、奇妙な金属製の器械が置かれていた。全高は一メートルちょっと。直径八十センチ程のハンドル付きドラムの下には、規則的に穴の並んだ箱が付いている。ドラムと箱は支持架で連結されており、ガンツはハンドルの付いたシャフトを支持架の軸受けから外した。軸受けには、真上に白い矢印が付いている。ハンドルは九十度曲がる様になっており、ドラムの反対側を下にして床に置くとハンドルをシャフトと一直線にし、側板の留め金具を外した。側板は観音開きになった。ドラムからシャフトを引き抜く。ドラムは四分の一余りが切り取られており、そこから箱に熾した火が上がってくるのだった。シャフトには、同じ角度に八枚の金網が取り付けられていた。
「この金網に、針金で部品を括り付ける。そして元通りにしたら、さっきの様に支持架に取り付ける。次に、この下の箱で火を熾す」
箱横の引き出しから、火口箱を取り出す。ドラム下の箱に薪を何本かくべ、油を軽く振り掛けると火打ち石を打つ。直ぐに着火した。油を足し火のまわり具合を調整すると、箱に戻した。ハンドルを曲げ、砂時計を示した。
「このハンドルと、矢印の重なった状態から次に重なるまでが一回転じゃ。一回転の時間はこの砂時計で計る。半分落ちたら一回転じゃな。出来る限り同じ速度で回転させ続ける。向こう側から臭い煙が出てくる。それが軟化剤じゃ。煙が出て来なくなるまで、ふむ、六時間は掛かるじゃろう。火の具合も見続けてな。とにかく気が抜けん。部品が曲がったり、割れたりしたらお終いじゃからな」
「火の調整ならば、お任せを」
ネアラが言うと。
「ふん、魔術師か」
ガンツは出て行った。
「では、さっそく」
ネアラの言葉を合図に、部品を針金で金網に括り付け始めた。
ひとまず、二人ずつ三交代で作業を行う事にして、まずはネアラとエアリアが当番となった。ハンドルは結構な重さで、同じ速度で回転させ続けるのは予想以上に重労働だった。砂時計をひっくり返す毎に少し早かったり遅かったり。火の様子も確認しながら、というのは確かに少々甘く見ていたかも知れなかった。
「レビンは、彼は、この様な作業をしていたのだな」
ネアラに火の管理を任せ、ハンドルを回し続けるエアリア。ガンツの説明通り、臭い紫煙を吸わない為マスクをしている。
「これ程、鋼を鍛えるのと工程に違いがあれば、専業化するのは当然か」
砂が落ちきるのと、ハンドルが一回転するのが一致した。どちらからともなく笑みが漏れた。
交代で夕食を摂りつつ、結局作業は六時間をオーバーした。紫煙が完全に出なくなったのを確認し、箱を引き出す。薪の燃えかすが何本も燻っていた。器械が冷めるのを待つ間、見守る七人の顔には様々な思いが去来していた。
「何か、割れる様な音がした気がするが」
「止めて下さい、お兄様」
「部品は多めに作ってある。問題なかろう」
「ここまで来れば、理のままに任せましょう」
「余り神経質になるな、アラド」
「…大丈夫!」
「早く、確認しようではないか?」
冷め切ったのを触れて確認し、アラドがドラムを外す。ガンツと同様に、シャフトを取り出した。全員で、状態を確認する。
「…特に、問題はなさそうですね」
「…ふん」
ネアラの総評に、呼ばれてやって来たガンツは無愛想に同意を示した。
「残るは、仕上げ」
満足げにエアリアが、部品を外しながら呟く。
「…今日はもう遅い、明日だ」
言い残し、ガンツは部屋を出て行った。




