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第五章 Ⅰ

 第五章

 王城の敷地内に設置された、かつて官吏の宿舎として使用されていた建物を利用した魔法研究所。宿舎の時には食堂として用いられていたその一室に、責任者のオイラントは居た。その中央にどっしりと構える大きな長テーブル、その上座には、椅子が一脚だけあった。他の椅子は部屋の端に片付けられている。彼が、誰か他の者をそのテーブルに着かせる事は、まず無かったから。その上には無数の書類が乱雑に広げられ、それらを前に、オイラントは席を立ち、両手を着きつつ苛立ちの色濃い表情を浮かべていた。書類には、メモ書きや図式、数式、魔法の呪文など、様々な情報が記されていた。彼の個室は別にあったが、これが、彼が思考を取り纏める際のやり方で、思わぬ発想の展開、閃き等が生じたりする事もあるのだった。しかし、今の彼にとって目の前に散乱するその全てが、無価値なクズに思えてきていた。

「…どうすれば、良いのか…」

ギョロリとした双眸を忙しなく動かし、時折、書類を取り上げ、暫く目を落としては放り投げる。

「外部刺激に対する感度を下げられるか?しかし、それでは指令に対する反応が…」

ブツブツと呟き続けるオイラント。彼は、ランスルの一件を受けて、更なる火竜制御法の改良に頭を痛めていた。それについて簡単に説明するならば。

 鎮静薬と呼んでいる、火竜の感情、思考力等の活性を低下させる薬品を処方、使用し、酩酊状態と呼ばれる、刺激に対し無抵抗に反応する状態を作り出す。そこへ魔法により脳内へ特定の刺激を与える事で、その行動を制御する。火竜に被せたマスク状の魔法具が、実際にその刺激を与える役割を担う。

 この方式によって、かなり細かい制御が可能なところまでは来ていた、何事も無ければ。問題は、フラッパが与えた様な強い刺激によって、酩酊状態が破れてしまう、という点だった。酩酊状態から急激に覚醒すると、通常より更に凶暴になった。何故そうなるのか、火竜の肉体について研究が不充分な現状では、改善すべき方法が皆目見当もつかない。これまでも、試行錯誤の連続で経験則を積み上げてきた状態で、根本からの理解は成されていなかったのだ。相手は可愛い愛玩動物ではないのだ、それも致し方のないところではあった。

「…あるいは、常時、薬剤を周辺に散布しておくか?そうすれば、酩酊状態は維持出来るが…いや、濃度を均一に」

ブツブツと呟きながら考え込んでいるところへ数度、ノックの音がした。

「入りたまえ」

少し苛立ち混じりに入室許可を与えると、中断された呟きを再開する。入ってきたのは小柄な、オイラントよりは年上であろう男性魔術師だった。

「主導者、ホイスト分室の改善案を具申致します」

言いつつ、書類の束を恭しくオイラントに差し出す。研究所の下には六つの分室があり、鎮静薬の改良や魔法具の開発、火竜の研究等独自の研究課題を持ち、また今日の様にオイラントの提示した課題に対し競合して解決策を具申する、といった事もしていた。書類を受け取ったオイラントは、ゆっくりと捲りながら黙読した。

「…火竜の酩酊状態に応じて鎮静薬を吸入させる、とあるが、どうやって酩酊状態の段階を計るのだ?」

「魔法具からの刺激に対する脳の反応速度を計測し、その平均値にて決定致します。酩酊状態が浅くなるにつれ、反応速度は遅くなりますので」

「ふむ…吸入装置の試案については?」

「現在取り纏めております。取り急ぎ概要についてご報告を、と」

「そうか…良かろう、この線で進める様に」

書類をテーブル上に投げ出す。一礼し、魔術師は出て行った。正直なところ、提示された解決策に有効性を認めていないオイラントだった。それでも己のインスピレーションを触発する様な何かを期待していたのだったが。

「…まだだ」

疲労感を覚え、椅子に腰掛けた。テーブルに両肘を付き、頭を抱えた。彼がこの研究に着手し始めて、五年以上が経った。政変前からだった。摂政を始めとする主戦派が彼のこの研究に目をつけ、密かに彼をスカウトしたのだった。ならば何故、彼は師匠であるネアラの政敵にあたる摂政達の誘いに、うかうかと乗ったのか?

 彼は学院でも常に成績優秀な、将来を大いに嘱望された魔術師だった。学院を卒業後、魔術師には幾つかの道がある。例えば。他の学院や魔法研究所等で研鑽の道を歩み続ける。軍隊や国家機関等に所属する。ネアラの様に市井で活躍する。窮屈な世界を嫌った彼は、最後の道を選択した。もっとも、蓄えも商売のノウハウもない彼がその道を歩む為には、まずは頼りとなる先達、師匠が必要だった。そして彼が、初めて師事したのがネアラだった。彼女はアリステポリス内でも薬剤の調合で有名だった。彼はそちらの方には余り興味がなかったが、彼女の創造力、知的好奇心、そして何よりその見目麗しさに心惹かれた。基本的に、学院の仲間や教官さえ無能や凡庸と見下していた彼が、初めて尊敬、敬愛出来そうな人物だった。いや、それはその様な、高尚なものではなかっただろうが。そうして八年余り前、彼はネアラの弟子となった。それから半年余り後、ウッズマンに請われ、ネアラはアインリヒト領に移る事を決心する。彼もそれに従った。そうしなければ、ネアラと別れる事になったから。アインリヒト領では二人は厚遇を受け、ネアラは、大雑把に言えば生命を救う、という研究課題に、より精力的に取り組む様になった。彼もまた薬剤の調合という仕事に興味を持ち始めていたが、その研究課題は師匠の信条とは相容れない様なものだった。人の行動の制御。薬物を用い、他人の行動を自分の思い通りに制御する。彼がその様な方向へ向かったのには、人を見下す彼の性格が大いに関係していた事だろう。

 彼には、胸中に一つ、不満があった。ウッズマンと師匠の関係について、だった。ウッズマンは一魔術師としてのみでなく、一女性として師を見ていると、自分の事を棚に上げて、彼は確信していた。もちろん証拠など何もなかったが。二人がただ立ち話をしている様子を目撃しただけで、彼がそう確信するのには充分だったのだ。妻子がありながら師匠に邪心を抱くウッズマンや、そんな者を領主と崇める者達に、彼は我慢ならなかった。そんな者達を遠ざけたい、その様な考えから研究を進めたのだが。結果的に、一部を除き成果と呼べるものは得られなかった。人に望む様な行動を取らせたいなら、詐欺師にでも頼んだ方がよほど高効率、という結果が出たのだ。それどころか、実験の途中で誤って人を怪我させる事故まで起こしてしまう。実験対象にも、薬物の副作用等が出た。この事故はごく一部の者が知るのみだったが、その一人だったネアラは彼に研究課題の放棄を確約させ、離れた場所に研究施設を用意した。これはネアラ痛恨の失敗となった。彼女としては、ほとぼりが冷めるまで弟子を匿う意図だったのだが、彼は、人でなく動物を、軍事力として有用そうな動物の制御を新たな研究課題に据え、やがて事故に関する情報を得た摂政側から、極秘裏に接触を受けたのだった。それまで師匠の後を追ってきた彼は、魔術師として優秀であろうと自分のオリジナルを高く評価された事はなかった。これで師匠の横に並び歩く事が出来ると、彼は考えた。彼には確信があったのだ。自分と並び立てる存在と認めた時、師匠は自分を異性として愛してくれる、と。それはやはり無根拠な、一種の幻想に過ぎなかったが。ともかく彼は突き進んだ。ウッズマン達に止めを刺す様な汚れ役さえ買って出た。それが師弟の関係に完全な断絶をもたらす事さえ、何時かは判ってくれる、と軽視していた。自分は間もなく師匠と並び立てる存在になる。否、むしろ手を取り導く存在になれるだろう。自分は既に、密かに王都に研究施設を与えられている。アインリヒト領などという片田舎でなく、王都でより有意義な活動が出来る様に。二人の力をもって、一介の魔術師などでは到達不可能な栄耀栄華の王国を築くのだ。その様な幻想を心の支えに、師匠との約束さえ反故にし、彼は目の前の障壁を乗り越えようと悶絶していた。


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