第四章 Ⅶ
火竜の噴射した火炎を見詰めていた兄妹達だったが、結局は目を閉じてしまった。怖じ気づいたからではなく突然、目の前に巻き起こった強風の為だった。その強風は、容易く火炎を吹き散らしたのだった。それに少し遅れ、再び大広場に影が差した、と見るや、急降下してきたフラッパが、四枚の翼を展開し火竜の目の前で羽ばたいたのだった。強風がゴーン達に吹き付ける。思わず右腕で目を庇った。柵の周辺が、また騒々しくなり始めた。
「この、風竜は…!?」
ゴーンにとって憎きその風竜は再び、そして今度は偶然でなく、彼の前に立ちはだかった。風竜の羽ばたきにも、火竜は身じろぎ一つしない。
「ええい、火を放て!」
役人が叫く。呪文の詠唱が開始されたと見るや、フラッパは機先を制した。空中で、まるで目に見えない鉄棒にでも掴まっているかの様に縦回転するその尻尾が、火竜の頭部を上から強打したのだった。火竜の頭部が顎から足場に叩き付けられる。と、頭をもたげた火竜は、数度頭を振りフラッパへと咆哮を叩き付けた。これまでと状況が一変したのは明白だった。見物人達の表情が、恐怖に引きつる。
「まずい、覚醒した!」
魔術師の焦燥の声。その声を後目に、火竜は火炎を吐く準備動作に入る。フラッパは羽ばたき距離を取り始めた。火炎が自分に向け放たれるのを、華麗に回避する。大広場を囲む高層の建物に引火した。悲鳴や怒号が上がる。大広場はパニックに陥り始めた。我先に出口へと向かおうとし渋滞を起こす者、喚き散らしながら柵を揺すり、兵士達と小競り合いを始める者、どうして良いか判らず、ただもみくちゃにされている者…その間にも、火竜はフラッパ目掛け火炎を放ち続け、回避される毎に火災は広がっていった。苛立ち飛び立とうとして、足場に拘束されている為より怒り狂った火竜が暴れ、足場は嫌な軋轢音を立て始めた。ただ置かれていただけの柵が引き倒され、暴徒化した見物人達を制圧するのに精一杯の兵士達は、だからフードを目深に被った二人の男女が一塊となって、処刑台の足場の上に飛来する様に、注意を払ってはいなかった。それに合わせる様に、フラッパが再び処刑台の前に降下してくる。しかし火竜も息切れなのか、火炎を放っては来ない。こうして訪れた僅かな膠着状態の間に、処刑台の上で何が行われていたか。
飛来した男女がフードを脱ぐと、緊張していた兄妹の表情が明るいものとなった。
「助けに来た」
ネアラはアラドの首枷に手を翳すと、呪文を唱えた。地系列の魔法で、金属を脆い物質に変換した。手枷にも同様の事をする。手早く済ませるとエレノアに移る。
「格好良かったぞ!」
グラッススが、短剣の柄頭で首枷を叩き壊しながら、アラドに囁いた。ネアラも同様にエレノアを解放すると、何事か囁いていた。二人は一塊となって、来た時と同様に飛び去った。
「さて、我々も退散するとしようか」
フラッパの尻尾が伸びてきた。根本に近い所に、幾つも瘤の作られた縄が、何重にも巻かれている。グラッススは縄を掴んだ。瘤で出来た尻尾との隙間に指を掛ける。それを真似てアラドも掴まった。と、フラッパは殊更に力強く羽ばたき、高度を上げると大広場を一目散に飛び去った。
さてここで、まだ触れておかなければならない人物達がいる。一人はアポロス。もう一人はゴーン。まずはアポロスについて、この時何をしていたか触れる。火竜が咆哮を上げるや、彼は助祭の手を取り、出入口へと小走りに向かった。
「し、司祭様!?」
柵を出ると、司祭の速度が上がった。大広場に繋がる通りを暫く走り、やがて横道に入る。暫く曲がりくねった中を行くと、ようやく止まった。
「貴方はここに居て下さい。私は、これから宿舎に向かって司祭様達に脱出を促します」
「何故ですか!?」
「火竜が暴れ出す危険があります。街を脱出しなければ」
「ですが、火竜は足場から動けないのでは?」
「仮設の足場がいつまで保つか判りません。もし解き放たれてしまえば、どこまで被害が及ぶかは判らないのです」
「なるほど…でしたら、私も!」
「宿舎は大通り沿いにあるのですよ?火竜が暴れるにはお誂え向きです」
「でしたら、司祭様こそここに!」
「私にも、司祭としての矜持があるのです。良いですか、もし、怖じ気づいて貴方を使いに送ったとすれば、私ば自分が許せないでしょう」
遠くから、微かに喧噪が聴こえてきた。事態が切迫してきていると知れた。
「判って、くれますね?」
ニコリ、と微笑みかけられ、尚も食い下がれる筈もなかった。小さく頷く。
「…理統べる主よ、どうか司祭様にご加護を」
聖印を切った。
「有難う。では、お願いしますよ」
一つ両肩を叩き、踵を返すとアポロスは走り出した。
通りに出ると、しかしアポロスは歩調を緩めた。周囲を窺い待つ事暫し。
「来ましたか」
フラッパが飛来した。建物にぶつからないよう翼をギリギリまで畳み、高度を下げてくる。右足が伸ばされると、地上から数十センチの高さになった。アポロスは少し助走をつけ、それに飛びついたのだった。フラッパが高度を上げると、今度は屋根の上からその背中に飛び移る者達の姿が。ネアラとエレノアだった。
「何とか、上手くいった様だ」
尻尾に掴まっているグラッスス達を確認すると、ネアラはフラッパの背中に俯せとなった。エレノアもそれに倣う。
「行くよ!」
フラッパが一言呟くと、更に高度を上げランスル上空を離脱して行った。
さて、次はゴーンの番だ。フラッパが飛び去った後の処刑台から兄妹の姿が消えているのに、最初に気付いたのは彼だった。その背筋に冷たいものが走る。最初に思い浮かんだ言葉は、『全て終わった』だった。自分は再びあり得べからざる大失態を犯したのだ、と。もっとも、実際にはそれは彼の失態ではなかった。彼が責任を持つべき役目は兄妹の、ランスルまでの護送であって、処刑にはただ立ち会っただけなのだから。しかし、自分の所属する組織が、そんな申し開きの通用する場所でない事は痛感していた。まるで彼が手引きしたかの様に言い立てる者など、幾らでも出てくるだろう。証拠の有無など無関係に、そうする者にとっては、それこそが真実なのだ。擁護者など端から望むべくもなく、彼は立場を失い、牢に繋がれ、今度は自分が処刑台に上がるハメになりかねなかった。それを回避する方法など、彼には一つしか思い付かなかった。
「ええい、風竜めが!」
一つ吼え、軋る足場を降りていった。火竜に気を取られ、彼の行動に注意を払う者は無かった。早足で大広場を出、どうするべきか考える。
「宿か…」
ゴーン達王室特務隊は、王権代行所の建物内にある宿泊施設を一部が利用出来る。一般隊員達は近くの宿を利用するが、ゴーンは部屋を割り当てられていた。役目を終えた彼らは、明日の朝までリラックスしている筈だった。問題は王権代行所内と、市門の門番だった。今このタイミングで荷物を持ち出すのは難しいだろう。馬と、後は最低限の物だけにしておこう。市門の方は焦り気味に、「風竜を追っている」とでも言っておけば大丈夫か。単騎なのは、とりあえず動けるのが私だけだった事にすれば良い…そうやって街を脱出する為の算段を考えながら、自然と早くなって行く歩調で市政庁へと急いだ。
五人の人間を乗せたフラッパは、無事カレンの待つ丘まで戻って来た。着地寸前に足から飛び降りたアポロスは、手を振っていた少女へと歩み寄った。
「失礼ながら、カレン・アインリヒト様ですか?」
「アポロス司祭様であるな?」
凛々しい表情と口調に戻ったカレン。休憩時間は終わったのだ。
「はい。お懐かしく存じます」
一礼する。私兵団内にはあっても、彼は部下とはまた違う立場だった。だから誰にも告げず教団本部に戻ろうとも、彼に文句を言える者は無いのだった。
「カレン様っ!?」
アラドの声。兄妹が、走り寄ってくる。少し息を切らせつつ、カレンの前に片膝をついた。グラッススとネアラがその背後に立つ。
「ご無事で何よりで御座いました!」
「お久しゅう御座います」
「貴君らこそ、無事で何より」
微笑を浮かべ、兄妹の肩を軽く叩く。二人は深々と頭を垂れた。
「カレン様、今は一刻も早く」
ネアラが促すのに。
「む、判っておる。皆の者、ここを退くぞ!」
一同は頷き、動き始めた。荷物を纏めフラッパの背に乗せると、自分達も乗り込んだ。
「で、どうするの?」
振り返り、ネアラに訊ねたフラッパに。
「喋れたのだな…」
意思疎通に苦労した事を思い出したアラドが、少し顔を顰めると。
「魔法の道具が必要だったんだよ」
弁解がましいフラッパだった。
「まずは街へ行き、必要な物を揃える。それから、最後の友を迎えに行く」
「了解」
フラッパは羽ばたき始めた。六人の人間を乗せながら、初めこそ苦労したものの、しかし風竜は力強く、天空へと舞い上がったのだった。
ランスルにおける顛末の報告を、アイスブレイクは渋面を作りながら聞いていた。死刑執行時飛来した風竜は、特徴から馬車列を襲撃したのと同一であろう事、受刑者が極めて短時間で救出された事や首枷等の残留品の状態から魔術師が、しかもかなり有能な人物が関与していたであろう事、火竜により引き起こされた火災は街の警備隊所属の魔術師達により消火され、僅かながら負傷者があったほか、死者はゼロだった事、結局火竜を鎮めるのに三十分近く掛かった事など。今回の件に関し、市長はかなり強い表現で遺憾を表現していたと、最後に付け加えた。
「捨て置け!火竜の利用は国策なのだ!それより、ゴーンはどうしたのだ!?」
帰隊の予定日が来ても一向にゴーンの支隊は王都に戻らず、ランスルに置き去りにされた隊員達から、隊長が消息不明となったが今後の行動についてどうすべきか問い合わせがあり、初めてゴーンが消息不明となっている事が判明したのだった。
「隊員からの報告によりますと、市門を一人、騎馬で出た模様です。風竜を追跡すると、門番には説明していたそうで。ならば暗くなる前に戻るだろうと思っていたのだが、戻らなかったと」
書面に視線を落としたまま、部下が報告する。
「何を暢気な!何故追わなかった!?」
「それは、彼らが自分達の役目ではないと判断したのでしょう。翌朝まで自由と言い渡されていたそうですし、隊長も、ひとまず風竜がどちらの方角に向かったか確認する程度で戻ってくるだろうと。翌日姿を現わさなかったので、王権代行所に状況を確認し、また周辺を探索したが発見出来なかった、との事で」
「前に一度、風竜にしてやられた事を忘れたのか、隊員共は!?」
「たとえ追跡に参加していたとしても、とうてい追いつけたとは思えませんが?」
「…ふん!ともかく、奴がどれ程の愚か者だろうと、一度はランスルに戻った筈だな?荷物等はどうなっている!?」
「大部分は残されており、馬のほか一部の貴重品のみを身につけ発った様ですが。隊員の一人が通りを行く彼を見掛けたそうですが、まさか市外へ出るとは思わなかったと」
「つまり、奴めは一人部隊を離脱し、消息不明となった。これは重大な隊律違反だな?」
「はい」
「ならば。即刻捜索隊を編成し、草の根分けても探し出せ!良いか、我々の手で、ケリをつけるのだ!」
「了解しました。彼の支隊は如何なさいますか?」
「可及的速やかに本部へ出頭させろ。私自ら、弛んだ規律を締め直す」
「…何卒、お手柔らかに。欠員が出ては、捜索に支障を来しましょう」
同情する様な表情を浮かべつつ、部下が釘を刺す。
「判っている。下がれ」
追いやる様に手を振った。
「はっ」
敬礼し、部下は退室した。溜息をつくと、アイスブレイクは立ち上がった。窓辺に立つと、王城が間近に見えた。アリステポリスに存在する王室特務隊統括本部。王城敷地内の一角を占めるここには、通常余り人がいない。その配下には、大別して少人数のグループで行動する探索方と、ゴーンの率いた支隊の様な実働部隊があるが、大抵出払っている。本部には、経理や事務の様な、あらゆる組織に共通な部署のほか、情報分析や管理、指令の伝達等に携わる人員、訓練中の新隊員等が居るばかりだった。視線を下げれば教練場が見えた。久々に騒々しくなるな、と少し嬉しげな総長だった。
「…それにしても」
面倒を掛けさせる、と胸中で呟くが、しかし、と思い直す。これは好機ではないか?今回の一件で、奴が反逆者共と通じている事は明白になったと言って良い。たとえそうでなくとも、使えるかも知れん。支隊長ではなく、囮として。もちろん、その為には早急に足取りを掴まねばならないが。アイスブレイクは、少々焦っていた。摂政の肝煎りで組織された王室特務隊の(その為多くの人材が、摂政の用意したものだった)総長として反逆者の、わけても元アインリヒト私兵団員の摘発に精力を傾けて三年余り経つが、未だ首魁クラスの捕縛に至っていないのだった。もちろん反逆者は他にも居て、それなりの実績を上げてはいたが、正直そちらはどうでも良かった。その実彼は、アインリヒト領主の座を狙っていた。決して良い出自を持たない彼には、これは千載一遇の好機だったのだ。もちろん領地を平穏に治めるには、元アインリヒト私兵団が邪魔だった。領内に入り込まれ、領民を煽動でもされれば面倒な事になるのは明白だった。今は王都から代官が派遣され、王国軍が駐留しているが、王国内の治安回復という手柄を手土産に、摂政にアインリヒト領の下賜を願い出るつもりだった。というより、もう既に話はついていたのだ。ウッズマンを、偽物の敵襲来情報で国境近くに誘き寄せる前に。その一団を伏撃したのは、彼の部隊だったのだ。もちろん、ゴーンは知るまい。
「…上手く、使えれば良いが」
口角を片方だけ上げ、邪悪な笑みを浮かべるアイスブレイクだった。




