第一章 Ⅰ
いよいよ物語の始まりです。妖しい声に誘われた少年は、どうなるのでしょうか?
第一章
夢の余韻すらなく、彼は目覚めた。薄らぼやけた視界。自分が眠っていただけだったのかと、何か大変な事があった様だったが、あれは酷い悪夢だったのかと、彼は納得しかけた。霞のかかった様だった視界が、明瞭さを取り戻してゆく…。
「へ?」
そう、口にした筈だった。しかし、それは甲高い鳥の鳴き声の様に、彼の耳には聴こえた。否、実際にそうだったのだが。
「ここ、どこ?」
視界の中にあったのは、鬱蒼とした森だった。頭上は拓けており、幾つか雲が浮かぶ青空から降り注ぐ陽光で明るいが、木立に視界を遮られ、その向こうは見通せない。首を左右に振ってみて、違和感を感じた。視界の変化の仕方が、いつもと違う。座っている様なので、立ち上がってみる。体が重たい。もっとも、そう感じるのはいつもの事ではあったが。しかし、やはり視界の変化の仕方が、いつもと違う様だった。随分と、長身になった様なのだ。
「何?一体、どうなってるの?」
自分が何か呟く度、先程から何か甲高い鳴き声がしているな、という認識しかないのは、当然自分の声はこれではない、と無意識に判断しているからだった。それはともかく。腕を動かそうとして、ここでも酷い違和感を感じた。何と表現すべきか?仮想痛の逆というのか、二本の腕の他に、まだ一組、腕が生えたかの様な。試しに腕を伸ばしてみる。伸びはするが、指は動かない。どうした事かと、右手へと視線を巡らし、愕然とした。
「え、えっ!?」
彼の腕は、白鳥の様な翼となっていた。白い羽がびっしりと生えている。しかし、裏側には、白の中に一筋、瑠璃色の線が走っていた。左手も同様であった。
「な、何これぇ!?」
軽くパニック状態に陥り、彼は両腕をバタバタさせた。体が、軽くなった。尚もバタつかせると、数メートル、宙に浮く。
「え、飛んでる!?」
違和感の元となっていた、もう一組の腕も、動いているのが感じられる。必死でバタつかせていると、前方へ動き始めた。かなり激しく動かしている筈だが、疲労は感じない。体は徐々に加速してゆく。森の上に出ると、さほど離れていない所に湖があるのに気付いた。近付いてゆけば、さほど広くもない事が判る。湖面は青い鏡と化し、その上を通り過ぎる彼を映し出した。湖面を覗き込んでいた彼は、何度目かの驚嘆の声を上げた。
「ええっ!?」
映し出された鏡像が信じられず、戻ろうとする。しかし、その為の体の動かし方が判らず、空中でジタバタする。高度が落ち、木に衝突しかけて、ほぼ無意識に四本の腕を思い切り伸ばし、羽ばたいて高度を戻す。翼の折り畳みを加減して、体を傾ける様にすると、緩慢な右旋回を始めた。再び湖面の上を通り過ぎる。
「やっぱり…」
湖面に映っていたのは、巨大な鳥であった。白鳥か何かの様な、しかし、彼の知る鳥には無い様な特徴があった。飛行機の主翼にあたる翼の後方に、一回り小さい、水平尾翼の様な翼が。その更に後方には、蜥蜴の尻尾の様なものが伸びている。飛行の為に、何か寄与しているとも思えない。そして、白色に一筋、アクセントの様な、瑠璃色のラインが。それは全長の六分の一程を占める首の付け根を頂点として、両主翼の先端まで伸びている。腹部の下、主翼と水平尾翼の間辺りにある脚は、恐竜か何かのものの様に逞しく、鶏の足の様に前二本、後ろ一本の指が見られる。
「何、これ?僕、鳥になったの!?」
湖上空を旋回しつつ、彼は自分の置かれた状況を、どう解釈すべきか判断しかねていた。これは夢なのか?それが一番安易な解釈ではあったろう。しかし、未知の肉体に対して、これ程リアルな身体感覚を伴う夢などあり得るだろうか?では、夢でないとすれば、これは現実なのか?しかし、フラッパと名乗った存在が何者であれ、現実にこの様な動物が存在するなど、見聞きした事はない。いかに自分が世間に疎かったとはいえ。ならばあるいは、ここは異世界なのか?自分は死に、天国か、あるいは地獄にでも転生したのか?幾ら考えたところで、答えが出る筈もない。ノーヒントでこの謎に正解出来る者など、いるとも思えない。
「ああっ、一体どうなってるの!?答えてよ、フラッパさん!!」
咆吼に、森から一斉に鳥が飛び立つ。ここは唯一人、事情を知りうる人物に登場願うよりなかった。
「ねぇ、フラッパさん!!」
『本当に、貴様は騒々しいのぉ』
あの暗闇の中と同様に、不意にその声は彼の意識内に響いた。
「フラッパさん!?一体、これってどういう事ですか!?」
『どういう事とは?はて、説明した筈じゃが?体を交換すると。今は貴様がフラッパじゃよ、肉体はな』
「ちょっと待って下さいよ!これ、貴方の体だったんですか!?」
『そうじゃが?』
「じゃあ、一体ここはどこなんです?まさか地球とか、言いませんよね!?」
『むろんじゃ。そこはコンカラー大地と呼ばれておる。とにかく広大な陸地じゃ。全体がどうなっておるか、誰も知らん』
「ちょ!じゃあ、どこの惑星なんですか!?」
『判らんな。そもそも、惑星などという概念も無い様じゃ。昼や夜、天候、気候等の移り変わりはあるがな』
「いや、自分の住んでる世界を探求しようっていう知的生命体は居ないんですか!?」
『知的生命体と呼べる存在ならば、幾らでもおるぞ?貴様の今居る場所からは離れておるが、人の住む大きな街もある。そもそも、知的生命体というならば、貴様もそうであろう?』
「そうかも知れないけど!」
『この世界は、暮らすには良い所じゃ。気候も温和なところが多く、食料も手に入れるのは容易じゃ。今の貴様の様な、竜と呼ばれる巨大な生物も多数棲息しておる』
「竜?これが竜なの!?僕はてっきり」
『火を噴き、蝙蝠の羽を持った大蜥蜴か?そういう類もおるな。まぁ良い、まだ時はあろう。その世界に住む四種の竜について説明しておくか。一つは火竜。今言った様な存在じゃ。とにかく好戦的じゃから、用心するんじゃな。一つは風竜、今の貴様じゃな。飛ぶ事では火竜を凌ぎ、竜の中で最も賢いとされる。一つは地竜。地上を闊歩する。何種類か存在するが、共通して鱗は硬く、熱に強い。武器に加工する事もあるな。そして最後に水竜。長い体と鋭い歯を持つ、湖等に住むヌシじゃ』
「湖?僕は今、湖の上を飛んでるけど…」
何気なく見下ろせば、俄に湖面が波打ち始めた。ウツボのあちこちにエラを付けた様な、巨大な生物が姿を現わした。
「ああ、これね…」
『気を付けるが良いぞ。迂闊に水面に降下しようものなら、巻き付かれ水中に沈められるでな。そうなれば、まず助からん』
「水面に降りられるの?水鳥みたいに?」
『可能ではあるがな。よいか、水中が騒がしくなったら、即座に退散じゃ』
「肝に銘じておきます…」
『ひとまず、教えておくべき事はこの程度かの?後は、必要な時、記憶を探るが良いわ』
「記憶を?どうするの?」
『簡単じゃ。知りたい事を念じれば良い。映像が浮かんだり、音が聞こえてきたりするわ』
謎の声は、少し面倒になってきた様だった。それでも、彼にはまだまだ知らねばならない事があった。
「じゃあさ、そもそも、ここはどこ?人の住む街って、どっちへ行けば」
『ええい、記憶を探れ!我には我の、新しい人生があって多忙なのじゃ!』
「ちょっと、そんな、無責任な!」
彼は謎の声に呼び掛けた。しかし、何と呼び掛けようと、謎の声は答えてはくれなかった。