第四章 Ⅱ‐Ⅱ
隊長の家は、街の郊外にあった。人家も疎らな、寂しい地域の一軒家がそうだった。借家で、家賃の安さが決め手だったと周囲には言っていたが、隊長ともあろう者が、その様な本部から離れた所に家を持つのはどうか、という話もあり、その批判を躱すため本部に寝泊まりする事も多かった。それでも数日に一度は帰宅するよう、心掛けてはいたが。
「…」
帰宅した彼が玄関扉の前に立った時、中から普段より賑やかな話し声が聞こえてきたのに、反射的に剣の柄に右手を掛ける。近所付き合いと呼べる様なものもなく、病弱の娘が伏せっているという理由で、部下さえ招いた事もない。それには、大変大きな理由があったのだが。音を立てないよう注意深く玄関扉を開き、廊下を忍び足で進む。明るい少女の声が漏れている左側の扉に手を掛け、僅か、開いた。
「何をしているのだカイサル、自分の家であろうが?」
少し揶揄する様な口調でそう問い掛けてきたのは、懐かしく、また驚くべき人物の声だった。
「ネアラ、か?」
呟き扉を開くと、テーブルを挟み、上座の方から銀髪の、見目麗しい女性が視線を向けてきているのに気付いた。
「あら、アナタ、お帰りなさい!」
手前の、ふくよかな彼と同年配の女性が立ち上がった。隊長の妻だった。
「お帰りなさいませ、お父様!」
その隣に着席していた少女も立ち上がり、一礼した。これが娘だろう。しかしとても病弱には見えない。目元に少しきつめな印象がある。
「何故、ここが?」
鎧を脱ぐのを妻に手伝って貰いながら、ネアラを正視しつつ訊ねる。鎧や剣は、母娘により運び出された。椅子を引き、ネアラと正対する様に着席する。
「何故、貴女がここに居るのか?」
ネアラは制止する仕草をした。
「その前に。こうして再会出来た事を喜びあいたいのだが、貴方はいかがか?」
自分の来訪を喜んでくれるかと、静かに訊ねてくる。過去のいきさつから、自分が歓迎されているか気になるのだろう。
「もちろん。しかし、よくここを探し当てたものだ」
「そうだな、私の耳は優秀、という事か」
口角を僅かに上げてみせる。神秘性すら感じられた。
「…まぁ、貴女ならさもありなん、といった所か…」
「ネアラは、私達の助力を求めて来たのだ」
そう言ったのは、戻って来た娘だった。隊長の隣に腰掛ける。
「それは…遂に動く、という事で良いのか?」
眉根に皺を寄せ、ネアラに向かい確認した。
「そういう、事だな」
「もちろん、受けるのだろう?」
「…」
ネアラと娘からの視線を浴びて暫し瞑目し、沈思黙考していた隊長だったが、やがて静かに目を開く。
「…返答は、一晩の猶予を頂けないだろうか?」
「?」
「!何故だ!?」
娘に詰め寄られ、隊長はその真正面に向き直った。
「この四年余りの間に、私にも立場というものが出来たのです。動くとなれば、それに終止符を打たねばならぬのです。それについて、考える時間を」
娘に対して丁寧に、目上の者に対する様に説明する。こう出られて、二の句の継げる娘ではなかった。
「そうか、そうだな…」
座り直す。
「…明日の昼頃、返答を伺いに参る」
ネアラは立ち上がった。見送りに立ち上がりかけた父娘に、お構いなく、とばかりに右手で制止し、ダイニングを静かに出て行った。
玄関扉を出た所で、ランプを手にした隊長の妻に呼び止められた。
「ネアラさん…」
振り返れば、少し寂しげな表情をした彼女が、それでもしっかりとネアラを見返してくる。
「…二人は、行くのでしょうか?」
「…ご主人からは、明日返答を頂く」
「そうですか…あの人の事ですから、今の生活をどうするか、考えた上で返答したいのでしょう」
「そうだな…貴女は、大丈夫か?」
「私は、あの人の意志に従うだけですから。この四年余りも、結構気に入ってはいましたけれど」
そういって見せた笑顔は、決して無理に作ったものではなかった。隊長の態度を見ても判る通り、少女は二人の実の娘ではない。その事を隠しながら、それでも親子としてこの四年余りを過ごしてきたのだ。あまつさえそれを結構気に入っている、と言ってのける。この女性は、決して弱くはない、とネアラは思った。
「…迷惑を掛ける」
「お気になさらずに。成すべき事がおありなのでしょう?」
「…」
無言のまま、向き直るとネアラは歩き出した。少し離れると、風を纏い中空に舞い上がる。瞬く間に、暗闇の中に見えなくなった。




