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第四章 Ⅱ‐Ⅰ


 アリスト王国のスティト男爵領は、辺鄙な場所にあった。王国西方の山岳地帯に近く、連合との国境からも遠い。政変後も、割合とのんびりした空気が漂う、ささやかな領地だった。その、最大にして男爵家の本宅がある、男爵領中心の街ユーマ。その大通りを、喧噪のなか二人の男女が歩いている。二人とも金属鎧姿に帯剣し、男爵家の家紋を一部取り入れた紋章の刺繍が施された腕章をしている。それは胸甲等にも描かれていた。ユーマ警備隊の紋章だった。

「今日も世は事もなし、という所か」

先を行く男性が、周囲に視線だけ送りながら穏やかな表情で言った。年の頃は三十代か。肩幅は広く、頑丈そうな長身は、背後に従う女性より頭一つ分近く差がある。黒髪を短く刈り込み、左耳の耳たぶが少し欠けているのが見えた。

「暢気な事を。この付近にも、反逆者達の隠れ家があるかも知れないのですよ?」

女性の方は十代だろうか。少女と言って良い、幼さの残る顔立ち。一見細身だが、上腕や太股など、必要な筋肉は鍛えられている様だった。

「反逆者か?この付近で活動した所で、何がどうなるものでもあるまいに」

「活動しなくても、力を蓄えているかも知れません。もし、その様な事が知れたら…」

自分達が責任を問われるかも知れない、と、恐ろしくて口にするのが躊躇われた。

「心配性だな。そんな事は王室特務隊に任せておけば良い。協力要請でもあれば、その時考えれば良い事だ。まぁ、自尊心の高い彼らが、そんな事をするかは疑問だがね」

「隊長さん!」

宿屋の軒下から、エプロン姿の可愛い少女が声を掛けてくるのに視線を向けると。

「ああ、アナ」

二人が少女に近付いてゆくと、宿屋から同じくエプロン姿の厳つい中年男性が姿を現わした。宿屋の主人だった。「ああ、隊長さん」

「やぁ、ドミニク。腰の方は大丈夫なのかな?」

「まぁ、何とか。ところで…」

急に声のトーンを落とす主人。その様子に、僅かに隊長の表情に厳しさが宿った。

「何か、気になる事でも?」

口調は変わらず、しかし主人にトーンを合わせる。主人は小さく頷いた。

「…四日前から、うちに泊まってる戦士風の三人組なんですがね。何て言うか、臭いがね?募兵に応じて、王都に向かう、って話なんですが」

「四日も腰を落ち着けてると?」

「へぇ。何度か、似た様な臭いの連中が訪ねてきては、一緒に出掛けてくんで」

「どこへ行くか判りますか?」

少女もトーンを合わせて訊ねるが。

「それは何とも。訊いても睨まれるだけですからねぇ」

「その者達は、今は?」

隊長が宿屋を指しつつ訊ねるが、主人は首を振った。

「ついさっき、訪ねてきた奴と一緒に、出掛けました」

「そうか…判った、こちらで調べてみよう」

一つ頷き、隊長は主人と握手を交した。二人は足早に宿屋を離れていった。

「これは…ひょっとすると、”野イタチ団”が来たかも知れないな」

人通りの少ない横道に入ると、隊長がポツリ、呟いた。

「”野イタチ団”!?」

少女の声に、緊張が漲る。その名は、凶悪な噂と共に語られていたから。主に王国辺境を荒らして回る強盗団。富農や豪商などの邸宅に押し入っては、一家、使用人に至るまで皆殺しにするという。その為目撃情報も少なく、その全容に関しても不明点が多いという。

「頭目の渾名と言われている”エメラルド・アイ”にしても、外見がその通りなのかは判らないのだしな」

欠けた左耳の耳たぶを弄りながら、考え深げに隊長は呟いた。

「もし、本当に”野イタチ団”だったとすれば、どうなさいますか?」

少女は不安を隠しきれずに訊ねた。しかし隊長はそれを咎め立てる事もしない。

「もちろん、私達のするべき事をするだけだ。相手が誰であろうと、この剣に懸けて悪行を見過ごしはしない。そうだろう?」

腰の剣を抜く。片手半剣は刃渡り八十センチ以上あるが、隊長と比べるとこぢんまりとして見える。

「もちろんです!この剣に懸けて!」

少女もそれに応じ、片手剣を抜く。二人は剣先を軽く打ち合わせると鞘に納めた。

「さて、まずは、警備隊総出で目撃情報の収集、だな」

二人は歩調を早め、本部へと急いだ。

 二日後の夜、盛り場で、ちょっとした騒動が発生した。居酒屋で、旅の者と地元住民が酔った勢いで口論となり、瞬く間に掴み合いの喧嘩となった。警備隊隊員達が駆け付けた時には、街頭で暴動状態となっていた。警備隊は住民の助力も得て、それを鎮静化しようと躍起になっていた。それと時を同じくして、そこから離れた高級住宅街の、中でも特筆すべき立派な門構えの邸宅の前では。

「早くマクフライを出せ!」

厳つい若者達五人が、門の前で騒いでいた。それに正対する、邸宅の警備員達。

「道理の判らない者達だな!用件があれば、明日商会に出向いたらどうだ、と言っている!」

中でも年嵩の男性が、腰の剣に手を掛けたまま、何度目かの文句を投げ返した。

「ここが生鮮食品の価格を不当に釣り上げてるのは判ってるんだ!違うって言うなら、ここに出て来て説明しろ!」

そうだそうだ、と若者達はリーダーと思しき者の言葉に乗って囃し立てる。近所迷惑この上ないが、暴力的ではないため警備員達も対応が難しい。下手に蹴散らしでもすれば、悪は自分達、という事になってしまう。

「だから、用件があれば明日」

「どうせ逃げ隠れするんだろうが!」

若者達は、あくまで口先だけは勇ましいのだった。

 住宅街の裏通り、その喧噪を聴きながら、件の邸宅の裏門へと急ぐ者達があった。人数は六。どれも一癖ありそうな雰囲気を纏った戦士だった。間近に見える左手の横道。その奥がそうだった。

「ここまでは、順調だな?」

ランプを手に先頭を行く若者が、確認する様な口調で呟いた。ボサボサ頭の黒髪を、バンダナで纏めている。

「こんなに簡単なら、”野イタチ団”だって繁盛する訳だな」

少し年長の男性が、言って低く笑った。

「気を緩めるのは早い。本番はこれからだ」

若者は、一同に向かってランプを掲げた。若者の、黒く潤んだ様な瞳が、順々に見回してゆく。無言のまま、一同は頷き返した。向き直ると、横道に入ってゆく。しかし、彼らは裏門まで辿り着く事はなかった。先客があったのだった。

「はは、もし来なければどうしようかと、思案していた所だったが」

閉じられた門に寄り掛かっていた人物が、声を掛けてくる。足元のランプには、黒い布が掛けられていた。取り上げ布を外すと、長身の厳つい男性が暗闇に浮かび上がった。ユーマ警備隊隊長だった。昼間と同じ鎧姿。ただし、門柱には長物が立て掛けられている。ハルバート。槍と斧を合成した様な武器だった。

「何だ、あんたは!?」

「まぁ、名乗る程でもないが。カイサル、この街の警備隊で隊長をしている」

光の中の顔に、一瞬若者は懐かしさを覚えた。昔、何処かで見掛けた様な。しかし、彼の顔見知りがこの街にいる筈はなかった。故郷から遠く離れた地だったから。思考を切り替える。目の前にいるのはただの官憲、敵なのだ。

「…あんた、一人か?」

「今は、そうかな?」

若者の口元に、邪悪な微笑が浮かんだ。傍らの仲間に一瞥をくれると、仲間は小さく頷き返し、抜剣しつつ飛び出した。

「はぁっ!」

剣の間合いに入る寸前、ランプを置いていた隊長も抜剣する。剣戟の甲高い音が、暗闇に吸い込まれる。

「ふむ、なかなか」

鍔迫り合いをしながら、涼しい顔で隊長は事も無げに呟いた。

「へっ、強がりやがって!」

一旦離れ、再び打ち込もうとする戦士。その一撃を躱しつつ、隊長は相手の左肩を押した。隊長の左脚は、その背後から両足を刈っている。背後に倒れる戦士。隊長は、どういう訳か剣を収めた。

「うっ!」

強か腰を打った戦士が、小さく唸った。

「やはり、こちらよりは」

数歩下がり、ハルバートを手に取る。立ち上がりかけた戦士の顔面に、石突きを叩き込んだ。

「ぐぁっ!」

戦士は気絶してしまった。

「寝ていたまえ」

残る戦士達の前へ立ちはだかる隊長は、ハルバートを何度か扱くと構えた。

「私の得意はこちらでね」

穂先をピタリ、とバンダナの若者に向け、一歩踏み出した。

「けっ、そんなモンで!」

人数差を埋められるか、と皆まで言わず、若者を取り巻く戦士達は一斉に襲い掛かった。長物なんぞは懐に入り込んでしまえば無力、だと思っていたが。

「ふんっ!」

気合い一閃、神速の突きが繰り出されると、声も上げず二人が倒れた。本人達が意識出来ぬ間にその太股を突かれ、理由も判らぬままに倒れたのだった。それでも残る二人は隊長の懐に潜り込んだ。

「とったぁ!」

してやったり、とばかりに振り下ろされた剣を鉄製の柄で受け止める様に弾き、もう一人の突きを石突きで胸甲を強打し躱す。攻撃に隙が出来た瞬間、ハルバートが宙に円を描いた。二人とも腕を切られ、剣を取り落とす。

「もう、これで止めた方が良い。次は、殺さざるを得ないからな」

残された若者の、その手に掲げたランプが投げ掛ける光の中で、瞬く間に仲間達は無力化されていた。隊長の構え直したハルバートの穂先は血に濡れ、ぬらぬらと鈍い光を反射していた。一歩ずつ、若者へと歩み寄る。手傷を負った者達は応急措置に忙しく、隊長の邪魔をしている場合ではない。いや、今手を出せば、確実にハルバートの餌食となるだろう。

「!あんた!」

不意に、若者の中で懐かしさの正体が判明した。確かに、相手は顔見知りではなかった。そうなる以前の、むしろ憧れの人物だったのだ。

「?何だね?」

「あんた、グラッススだろ!?アインリヒト私兵団にいた!」

瞬間隊長の目つきが、心なしか殺気めいたものを帯びる。

「何の事だ?私はカイサルだが?」

「いや、あんたはグラッススだ!観閲式で、あんたの剣舞を見た事があるが、その槍捌きだった!俺も私兵団に入りたくて、訓練積んでたんだぜ!」

「…さっきから、何の話を」

「アインリヒトの当主がいなくなって、私兵団は解散になっちまって、俺は、この腕を売る為に故郷を出たんだ!その結果がこのザマだ!どうしてくれんだよ!?」

「気でも触れたのか?全く道理が通らない」

「うるせぇ!てめえらがしっかりしてねぇから!」

ランプを捨てると抜剣し、斬り掛かってゆく。繰り出される槍を捌き、接近を試みるが。

「ふむ、なかなかの腕だ」

数度、剣と穂先が交錯し、隊長は斧と穂先で剣を絡め取る。剣は若者の手を擦り抜け塀に当たり、甲高い音を立てた。無防備となった若者の首めがけ、穂先が突き出される。

「ぐっ!」

穂先が若者の喉を突き破ると、口から血を噴き出し、若者は脱力した。跪いた若者から穂先が抜かれると、前のめりに倒れた。その様を、その仲間達は呆然と見ていた。

「…さて、お前達は、この若者が何か言っていたのを耳にしたか?」

酷く平板な口調だった。それが却って恐ろしく感じられた。一同押し黙っていると。

「…この若者が、何故こういう目に遭ったか、教えよう。それは、武器を持ち、私に向かってきたからだ」

言うなり、頭上でハルバートを一回転させてみせる。血が飛散し、戦士達の体を汚した。目や口に入った者もあった。それの意味する所は一つ。お前達の返答一つで、この若者の様になるのだ、と。

「どうだろうか?」

「…俺には、何も聞こえなかったな…」

一人がそう口にするとほぼ一斉に、気絶した一人を除き異口同音に何も聞かなかった事を表明する。そう、自分に信じ込ませようとする様に。彼らを取り調べ、領主の裁きが下るまで、この隊長の監視下にあるのだ、その場しのぎでは済まない。隊長は呼び子を取り出し、吹き鳴らした。

「隊長!」

一番最初に、あの少女が隊員数人を連れてやって来た。

「ああ、他は大丈夫だったか?」

ハルバートを肩に立て掛け、隊長が問う。

「!これは!」

その場の状況に一旦言葉を失う。

「やはりこちらが本命だった。しかし、まぁ、他にも賊が居ないとも限らないが」

「こちらは大丈夫でした。おい!」

背後の兵士達に、戦士達を連行するよう指示を出し、少女は俯せの若者の元に歩み寄る。

「この者は!?」

「まぁ、賊のリーダーだろうな。結構な腕だった」

ハルバートを叩いてみせる。

「そうでしたか?出来れば生け捕りにして頂きたかったのですが」

「無理を言わないでくれ。ああ、久し振りに疲れたな、帰るとしよう」

「…そうですね」

呼び子を耳にし駆け付けた隊員達に後を任せ、二人は現場を立ち去ったのだった。


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