第三章 Ⅱ
アラド達と別れて一日余り、風竜フラッパは今後の事について考えていた。当初の目的通り、人の住む場所へ向かうか?しかし、その人に痛い目に遭わされたのだ。もちろん今回の場合、完全に非は自分の方にあったのだが。しかし、たとえ自分に非が無くとも、同様な目に遭わされる可能性を考えれば、迂闊に近付く気にはなれなかった。この世界での人と風竜との関係性がどうなっているのか、今一つ判然としないのだから。とはいえ、無目的に彷徨うのは虚しかった。逡巡の結果、アラド達がしきりに口にしていたネアラという女性を、探してみる事にした。この女性さえ探し出せれば、新たな展望が拓ける。そんな、何の根拠もない希望に、しかし賭けてみる価値はあると思われた。彼女との、最近の記憶を探ってみると。四年近く前、何者かに追われアリステポリスから脱出し、連合の支配地域で別れたのが最後だった。どうやら火竜が関わっており、自分を巻き込みたくない為に別れたらしい。確かに火竜絡みなら、勘弁して欲しかったのだが。今でも連合の勢力圏内に居るかは不明だったが、まずはそこから始める事にした。そこは小さめの湖を抱え込む森の中であり、他に何頭かの風竜が棲息している様だった。そこから鳥を使い、ネアラを探す。鳥と同調可能な距離がどれ程か不明だったが、試しながら、根気よく繰り返してゆこう。いや、たとえ探し出せなくとも、別段構わないのかも知れなかった。人を探すという行為自体が、生きる目的になってくれるならば。また、それはこの世界について知る、という知的好奇心も満足してくれるだろう。幸い、傷も大分癒えていた。数日ぶりに、風竜はその巨大な翼を羽ばたかせた。久々の空は、思いのほか心地よかった。
天体観測や地磁気によるナビゲーションにも慣れ、順調に大空を行く。途中、フラッパより小柄の風竜を見掛けた。挨拶の咆哮を発するが無視された。その意味が通じなかったのか、あるいは個人主義なのか?いや、それどころではなかったのだ。不意に翼を畳み急降下するや、白鳥の様な大形の鳥の背後にピタリ、と着ける。逃げようとする鳥に、しかしその風竜は余裕で追い付き、パクリ、一呑みした。口の端から、羽根が舞い散った。フラッパが、風竜本来の食事風景を目にした瞬間だった。風竜は満足げに何度か大きく羽ばたくと、咆哮をあげ飛び去った。とうてい自分には出来そうにないと、改めて認識したフラッパだった。
二日余りを飛び続け、ようやく記憶にあった場所に辿り着いた。そこには三頭余りの風竜と、少なくとも一頭の水竜が棲息していた。風竜達は基本的に個人主義らしかったが、時として二頭以上で餌取りの為に協力する事もあった。一頭が水竜の気を惹いている間に、他の風竜が水面近くの魚を口に詰め込むのだった。そうして得た餌は、必ず等分していた。なるほど、これが風竜が賢い、と言われる所以か、とフラッパは感心した。こうして、改めて風竜という存在の習性を目にするうち、自分も同様に振る舞うべきなのか、という疑問が湧いてくる。しかし同時に、自分は今のままでいる事にこそ意味があるのではないか、とも思う。逡巡の後、ひとまずこの問題は棚上げ、という結論に落ち着いた。
自身が移動しながら鳥と同調するのは困難なので、一カ所に留まる事にして、ともかく手当たり次第に呼び掛けてみる。森の外れにある、見捨てられた古い砦は、もちろん人影は無くどことなく居心地が良かった(屋根は殆ど崩落していたが)。距離や種類など、同調の条件は今一つ判然としなかった。特定の鳥との同調が可能かも不明。しかし、ひとまずそれは問題ではなかった。なぜなら彼は、その伝書鳩に同調出来たのだから。意図的に、その見知らぬ伝書鳩を指定出来た筈はなかった。単なる僥倖に過ぎない。それは、探索を開始して三日程経った時の事だった。
夕暮れ時、鳩部屋に伝書鳩が戻った事を示す鈴の音がし、アラクネは二階に上がった。確かに、伝書鳩は戻って来ていた。微笑と共に近寄りかけて、違和感に動きが止まる。鳩は、彼女の方をじっ、と見詰めてきていた。普通ならば、忙しなく動き回っている筈なのに。
「…同調、しているのか?」
ゆっくりと、伝書鳩に近付いてゆく。右手を差し出せば乗ってくるが、やはりじっ、と彼女を見ている。明白に、鳩以外の何者かの意志が働いていた。
「何者だ?まさか…フラッパか?」
鳩が頷いた、様に見えた。胸に細波が起こる。もう何年も前に、自分の都合で別れた旧友が、ごく近くに居るらしいのだ。種族を越えた、友と呼べる存在が。
「会いに来て、くれたのか?」
小さく頷く鳩。足の金属筒を外し、引き出しに入れる。この後、本来なら鳥籠に移す所だが、尚もアラクネは話し掛けた。
「今、どこに居るのだ?」
問われて僅かな間があった後、羽ばたきだした鳩に。
「あっ、待って欲しい」
上から優しく撫でつける。なぜなら。
「お師様ぁー、食事の用意が調いましたよー」
階下から、エレナの声が。アラクネは聞いての通り、とばかりに視線を外した。
「少し、待っていて欲しい」
一旦鳥籠に入れ、部屋を出て行った。
食事を済ませ、三十分程でアラクネは戻って来た。鳥籠から鳩を出し、部屋を出た。隣の部屋の、鍵の掛かった扉を解錠し、入ると施錠する。
彼女の左手の平に生まれた小さな炎に照らし出されたそこは、危険な薬品の保管室だった。左右に頑丈そうな保管棚が並び、奥には小さな机が一つ。その上にはバスケットが一つ、ポツリと置かれていた。窓に歩み寄り、炎を消すと全開にする。
「さぁ、導いて欲しい」
右手を突き出すと、鳩は飛び立った。机上のバスケットを掴み、彼女が新たな呪文を唱える。と、その周囲を風が渦巻き出す。窓枠に上り、外へと身を躍らせた。落下する事なく、頭上を周回している鳩に続く。朧な星明りに照らされた大小二つの影が、街の外へと飛翔していった。
市街地を離れ街道を外れた草原に、フラッパは横たわっていた。アラクネがその傍らに着地すると、鳩は街へと飛び去った。
「…久しいな…」
瞑目したフラッパの頭を撫でる。ふとその手が止まった。
「…いや、少し縮んだか?」
自分が知る風竜より、一回り小さい気がした。あるいは、フラッパではないのかと訝しんでいると、フラッパは目を開いた。
「鳩は戻ったか。久しいなフラッパ、で、良いのか?」
訊ねてみる。風竜が小さく咆哮し、主翼を広げてみせる。首の付け根から伸びる、瑠璃色の模様を示す様に。
「やはり…まぁ良い、少し、待っておれ」
傍らのバスケットから、何かを取り出した。大きな轡状の装具だった。
「口を開けて欲しい」
フラッパは素直に従った。装着する革バンドはやはり、少し緩かったので、丁寧に調節し装着する。はみの部分に触れながら何か低く呟くと、淡く青白い光を放った。
「よし、良いだろう。何か、話してみて欲しい」
じっとアラクネを見上げていたフラッパは、やがて小さく咆哮した、つもりだった。
「これって、魔法の道具って奴かな、って、うわっ!?」
その声は、確かにフラッパの口から発せられていた。誰のものか判らない、大人の男性の声。轡に込められた魔法の、デフォルトのものだろう。驚いたフラッパが、翼をばたつかせる。
「ふむ、上手く働いている様だ。これは一種の翻訳装置だな。まぁ、厳密には違うのだが。それにしても…依然と、少々言葉遣いが違う様だが?」
「ええと、色々あって。と、それはともかく。貴女がネアラさん?」
「…そうだ。ここでは、アラクネと名乗っているが」
自分の事を知らない風なのを訝しみつつ、ひとまず会話に乗ってみる事にした。
「?なぜ?」
その質問に、彼女の表情が幾分険しくなる。本来のフラッパなら、よく知る事情の筈だったから。
「堂々と、本名を名乗れる筈がなかろう?私はかつて、この国の敵だったのだぞ?いや…」
更に何か言い掛けて、彼女は口を閉じた。今でも、自分は王国に戻れる機会を窺っているのだ、との言葉を呑み込む。
「…ああ、そうだった。誰かに追われて、王都を脱出したんだよね?こちらに来て別れたけど」
その言葉に、やはりこの風竜は私の知る存在に間違いないと再確認する。その内容は、彼女とフラッパ、一人と一頭だけが知る筈の情報だったから。
「あの時は済まなかったな…私の都合で…」
「まぁ、僕が近くに居たら目立つだろうしね。とにかく、こうして再会出来て良かった」
「良かった?何か、問題でもあるのか?」
「問題?いや…んん、でも、やっぱり、問題なのかな?」
「歯痒いな」
曖昧な物言いに、少々彼女の口調がきつくなる。フラッパは少々焦った。
「ええとね。僕は今、何をしたら良いか、判らないんだ」
「?好きな事をして生きれば、良いのではないか?」
「いや、その好きな事が、まず判らないし。だからね、とりあえずネアラ、っていう女性を探してみようと思って」
「ほう、私を?それで、次はどうするのだ?」
「うーん、どうしよう?」
思案投げ首、といった風のフラッパ。アラクネことネアラは、じっとその様を見詰めていたが。
「…急ぐ用が無いのなら、どうだろう、暫くここに留まっては?積もる話もあるだろう」
「うん、別に構わないけど?」
「そうか。ならば、明日もこの時間にここで会えないか?」
「判った。明日、この時間ね?」
羽ばたき出すフラッパに。
「ちなみに、普段はどこに居るのだ?」
「ここから少し離れた、古い…砦?だけど」
「そうか…では、また明日」
「それじゃあ」
羽ばたきが強くなり、フラッパは中空に浮かんだ。風を右手で避ける様にしながら、彼女は静かに見送ったのだった。




