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第三章 Ⅰ

 第三章

 テミロス同盟諸国連合の盟主的立場を担うカスティーオ選定公国。現状では、カスティーオ公爵家から代々国主を輩出しているが、二百年程前までは王国だった。政体の変化には、とある事情に基づく歴史的事件が関係していた。

 王制末期、比較的裕福な同国だったが、王家は有力貴族や、台頭し始めた地方の富農、商工業者、兵力としても発言力を持ちつつあった自由農民(土地を持つ者も持たない者もあった)等の為、権威はともかくも実権は弱体化していた。まるで趣味の様に設けた多種多様な税制も不満のタネであり、廃止せざるを得なかったもの多数だった。経済的にも厳しかった王家は、そこで一つの手を打った。水量の豊かな河川や湖を利用した、大規模な農地開墾事業だった。普通なら、それは善政として賞賛されるべき事だったろうが。それを担ったのは、王国周辺の比較的貧しい国、地域の住人達だった。そうして開墾した土地からの収穫物は、取り巻きの政商達に独占的に扱わせる。そうして得た財力で、軍事力の増強に努めた。当然それは、有力貴族達を圧迫する方向に向けられた。農産物の価格は下落し始め、富農や商人、自由農民達を苦しめた。周辺の国や地域は労働力を奪われ、開墾事業の従事者達は、当初の約束などどこ吹く風と、劣悪な労働環境に置かれていた。つまり、王家はごく身近な者達以外の全てを怒らせたのだった。偶発的に上がった戦火は燎原の火の如く広がり、一年余りで王家は僅かな支持者達と共に国を追われた。この王家は流転の後、アリスト王国の礎を築く事となる。

 さて、王家を追放したのは良いが、新たな指導者をどうするべきかが問題となった。この政変(と言うべきか?)に参加した様々な勢力の間で様々な綱引きが行われ、結果的には後の世に選定公会と呼ばれる会議を開催し決定する、という事になった。ところが、有力貴族達はともかく、各階級勢力が代表を選出しようとして揉め、まとまりを欠いた。所詮は烏合の衆に過ぎないのだった。貴族達の切り崩し工作にしてやられた、という面も多分にあった。周辺国、地域にあっては、更に発言権は弱く、開墾事業に従事した者達は、潜在的な敵として実質的に排除された。結果的に会議は有力貴族達が主導権を握り、華々しい戦果を上げたカスティーオ公爵家当主が、国主として選定された。ここにカスティーオ選定公国は誕生した。会議のあり方に不満をならしていた周辺国や開墾事業の従事者達に対しては、一部に広い自治権を認めた上での公国内への編入、一部の従事者達への自由農民資格の付与等を行った。これもまた切り崩し工作だった。以後、選定公会は幾度か開催され、国の重大事が決議される事になる。テミロス同盟諸国連合に参加する決議も、その場で行われた。アリスト王国と浅からぬ因縁を持つ同国にとっては、丁度良い盾が手に入ったといえた。


 陽炎の中に何か、赤黒いものが揺らめいていた。巨大なそれは、彼女の視界を埋め尽くさんばかりに聳え立つ。ディテールは判然とせず、しかし彼女はそれの正体を知っていた。それは破滅そのもの。その姿を目にした者に、情け容赦のない破滅をもたらすもの。彼女は身じろぎ一つせず、それを見上げている。勇気でなく、絶望に囚われた故に。と、それが一条の光を放った。それは、見る間に膨張し、全てを呑み込んでいった…。

「んんー、ああっ!」

ベッドの上で双眸を開いたエレナは、すぐに周囲を見回した。まだ薄暗い陽光に、時間を推し測る。まだ起床には少々早い時間だったが、もう眠れそうにない。ゆっくりと上体を起こし、一つ伸びをする。ベッドを下りると寝間着を脱ぎ、椅子の背もたれに掛けられたエプロンドレスに着替える。夢見の悪さをリセットする為に数度、両頬を叩いた。口角を上げ、笑顔の練習。

 ダイニングに行くと、水甕から木製のボウルに水を掬い、洗顔をする。たゆたう水面に映る彼女の表情は笑顔だが、それが無理をしている上でのものだと、彼女は知っていた。彼女の耳に入ってくる噂話の類は、世相が確実に暗い方へ向かっている事を示すものが、その大半を占めていたから。連合は今、瓦解の兆しを見せ始めていた。アリスト王国が組織化に成功した火竜兵団は、予想以上に人々の恐怖心を煽っていた。それは森や田畑を焼かれた実損害以上に深刻だった。連合からの離脱、そこまで行かなくとも中立という名の王国側への鞍替えを検討し始めている国、地域が出始めているという。このままゆけば、このカスティーオ選定公国が孤立するのではないか?その様な不安を拭い去ろうとでもする様に、タオルで彼を何度も擦る。少し赤くなってしまった。

 女性魔術師は、それから三十分程してダイニングに入ってきた。コンロではひよこ豆の煮物が食欲をそそる香りを漂わせている。

「ふむ、美味しそうだ」

鍋の中を一瞥し微笑と共に呟くと、ボウルに張った水で、顔を洗い始める。

「お口に合えば良いですけど」

サラダにする野菜を切りながら、エレナは軽い口調で答えた。

「安心しろ、お前の作る料理が、口に合わなかった事など無い」

言って、手を拭くと少女の頭を軽く撫でた。幸福そうに少女は満面の笑みを浮かべた。少女にとって、このアラクネと名乗る女性魔術師は、薬剤師としての師匠である以上に、随分と前に失ってしまった家族、中でも母親の温もりを持つ大切な人物だった。

 食事が始まっても暫くの間、沈黙を二人は押し通した。話したくなる様な、明るい話題がなかなか見付からなかった。しかし、アラクネには、エレナに話さなければならない事があった。それが明るい話題ではなかったから、躊躇っていたのだった。

「…一つ、心を決めておいて欲しい事がある」

深刻そうな口調に、エレナは顔を上げた。鋭い目差しに射竦められ、面が強張った。

「何で、しょうか?」

声も強張る。何か、人生を変えかねない程の重大事でも告げられようとしているのは判った。ゆっくりと、アラクネは語を継いだ。

「…このままゆけば、遠くない将来、募兵が開始されるだろう。そうなれば、私も応じざるを得なくなるかも知れない。その時には、この店を頼みたい」

「…まさか、そんな…」

「ここを任せられるのはお前しかいない。必要な事は一通り、教えた筈。薬品のレシピも残してゆく」

「ちょ、ちょっと待って下さい!私にお師様の代わりなんて!」

パニックになりかけたエレンの手に、アラクネは手を重ねた。

「あくまで最悪の場合の話だ。この自治州なら、募兵に応じないかも知れない。その権利はあるからな」

「そうですか?そうですよね、ここは自治州ですし…」

エレナが安堵の色を見せたのも束の間、アラクネは更に続ける。

「だが。王国軍が公国領内にまで進入すれば、話は別だろう。交通制限権をちらつかせてでも、中央は圧力を掛けてくるだろうな。ふっ、食肉とは余計に縁遠くなりそうだ」

最後は冗談めかしているが、その手の下でエレナが固く拳を握りしめる。交通制限権とは、公国が指定した地域に対して、段階的に人や物の交通を制限出来る権限の事だった。つまり、ある地域を陸の孤島と化せる権限だが、場合によっては公国側に不利に働きかねない弊害もあり、使い所の難しい公国側の切り札だった。

「そんな…何故、お師様が…」

「戦場にあっては、一人でも多くの魔術師が欲しいものだ。生命の息吹き教団の司祭や助祭と同様にな。私の場合には薬品も扱えるのだ、尚更だろう」

「でも…もし、お師様が、亡くなられたら…私は…」

大粒の涙が、頬に溢れ出す。アラクネは、優しくそれを掬い取った。

「あくまで最悪の場合だぞ?それに、私はそう簡単に死なない。お前に見せた事は無いが、私はなかなかこれで優秀なのだぞ?」

低く呪文を唱える。掲げた左手の平に、仄かな炎が灯った。

「大きな火炎を敵目がけ放つのは、比較的優しいのだ。力量を問われるのは」

再び何事か低く唱えると。炎は細長くなった。一旦元に戻ったと思えば、手の周りを回転し始め。再び掌に戻ると、それを握り締め。開くと、もう炎は消えていた。

「この様な、微細な制御なのだ」

「…はい…」

エレンは、うっとりとアラクネの操る炎に見ほれていた。初めて師が見せてくれた魔法なのだった。

「ともかく、重ねて言う。私は無事戻ってくるつもりだが、それまでこの店を任せられる者は、お前の他にない。近所の方々とも協力しあい、私が戻る時まで、どうか守って欲しい」

そっと、エレナの頬に触れる。もはや決定的だった。涙を拭い、エレナは頷いた。アラクネが微笑する。

「そうか、良かった。私は、お前を誇らしく思う」

言って、食事を再開する。上手く丸め込まれた様な気がしながらも、エレナもやはり食事を再開した。


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