第二章 Ⅵ
夜が明けようとしていた。防水布を両肩に掛け火の番をしていたアラドは、山の稜線の向こうから姿を現わし始めた太陽を、眩しげに見上げた。一日、と言ったが、結局一日半余りを風竜の傍らで過ごした。その間、二人は風竜に川で捕った魚を与え、傷の状態を確認し、様々な事を語りかけた。例えば今、自分達が戦っている相手の事を。四年余り前、アリスト王国王宮内で、対連合政策を巡り和睦派が台頭していたのを駆逐した、主戦派による政変。その中心だった、当時一官吏に過ぎなかったゾルダンス。当時から黒い噂の絶えなかったこの現摂政が、自分達の最終的に倒すべき存在だと。当時、現国王の父である和睦派の擁護者、先王アウグストⅤが急速に体調を崩し、それを見計らったかの様に連合の軍が王国領内へ侵攻したとの一報を受け、和睦派の中でも随一の知略と人望、勇猛を兼ね備えたウッズマンが、現地部隊の支援、指揮の為、迅速さを第一義として百に満たない戦力で現地へ向かった。その勇姿を見送って数日後、敵の伏撃によりウッズマンの一団が消息不明になった、との第一報が入った。国王崩御、政変勃発と、ただでさえ不安のなかにあった私兵団内に更なる同様が広がるなか、状況確認及び救出の為、魔術師ネアラにその弟子オイラント、戦士グラッスス、生命の息吹き教団司祭アポロス、狩人エアリア、工兵レビン、そしてどうしても、と同行を主張したウッズマンの長女カレンが、風竜フラッパと共に旅立った筈だがあの後どうなったのか、と訊ねてみても、意思疎通の難しい現状で、望む様な情報は得られない。それは確かに残念な事ではあったが、しかし既に織り込み済みで、重要なのは自分達が風竜にとって味方、少なくとも敵ではないと理解して貰う事だった。怪我の様子を見つつ、フラッパと意思疎通を図れていたらしいネアラ達についても、自分の抱いていた仄かな憧れを語ったりもした。横に腰掛けたエレインの冷たい視線を気にしつつ。兄妹にとって眼前のこの風竜は、大変心強い協力者になって貰える可能性を秘めており、あるいはネアラが姿を現わす可能性も期待出来たのだが…そちらは裏切られた。
「さて」
焚き火を消すと、傍らで防水布にくるまって横になり可愛い寝息をたてている妹の肩を、優しく揺する。
「ん、んんっ」
小さく身じろぎし、声を漏らした。
「起きろ、そろそろ移動するぞ」
尚も、今度は少し強めに揺すると。
「んん…お兄様…」
寝ぼけ眼のエレインとほぼ同時に、風竜も目を覚ました。丸めていた体を伸ばすと、主翼を広げて咆哮を一つ。羽ばたきの風に、上体を起こしたエレインの髪が揺れる。
「はは、起こす手間が省けたか」
笑顔で風竜に声を掛ける。風竜はじっ、とこちらを見返してきた。立ち上がり、アラドはゆっくりと近付いていった。
「立ってくれ。怪我の様子を見るから」
立ち上がった風竜の下に潜り、傷の様子を確認する。やはり竜と言うべきか、驚異的な回復力だった。傷口は殆どが塞がり、殆ど判らない程。失われた羽根も生え揃い、もはや問題はなさそうだった。
「…凄いな…」
下から出て来たアラドは、風竜の頭を優しく撫でた。その生命力に素直に驚嘆した。昔、親の読み聞かせてくれた竜の物語。長ずるにつれ身につけた生命の知識の中に埋もれてしまった竜の持つ神秘性を、僅かばかり掘り起こしたかの様な気分になる。
「我々は行かなければならない。貴君はどうする?同行してくれるか?」
もはや単なる戦力といったレベルでなく、僅かな時間の内に、兄妹は風竜に共感を覚えていたのだった。ちょっとした触れ合いもあった。昨夕、兄妹は交代で川に浸かり体を洗った。数日ぶりにさっぱりしたが、川の水は暖かいとはいえず、すっかり体が冷えてしまった。震えている二人を見かねたのか、風竜は片方の主翼を広げると、入るよう頭を振り促した。主翼に包まれ、二人は一時間余りを過ごした。親鳥の懐に抱かれる雛鳥の様に、風竜の体温が二人に力を与えてくれている様な気がしたのだった。そんな事もあって、別れを惜しみ一縷の望みをかけ発した問いだったが、風竜はじっと見返すばかりだった。それを否定と取ったアラドは小さく溜息をつくと、次には数度、軽く自分の両頬を叩いた。全ては人の勝手、人の都合に過ぎないと、自分の失望を戒める。風竜が、驚いた様に僅か目を見開いた。
「そうだな…判った。運命が導くなら、また会う事もあるだろう」
振り返れば、エレインは野宿の後始末を終え、出立の準備を整えていた。荷物を持ち、近付いてくる。
「風竜さん、左様なら」
照れ臭そうに、風竜の鼻先に軽くキスする。風竜は目を細めた。
「有難うね」
「さぁ、行こう」
踵を返し、歩き出した。暫くすると、風竜が僅かな咆哮をあげる。二人は振り返り、僅かばかり見詰めた。見詰め返してくる風竜は最後の挨拶を済ませたのだと、兄妹は向き直り、再び歩き出した。その様を、風竜はいつまでも見送っていた。
ススキの原を抜け、兄妹は自分達が護送されていた街道へ、戻る事にしていた。ゴーン達と鉢合わせする可能性も懸念されたが、まさか一日半以上も消息不明となった地点の付近に留まっていたなどとは考えるまい、という意見で兄妹は一致していた。下りてきた崖を、ほぼ同一ルートで登ってゆく。思ったよりもルートは取り易い。途中休みながら、一時間近くを掛け街道に辿り着く。人通りがないのを確認すると街道の上に立った。元来た方へ少し戻れば分岐点があり、そこを曲がれば小さな街がある。そこへ行けば、仲間との通信手段が使える筈だった。歩き出した。と、間もなく、背後から馬車の音が近付いてくる。チラリ、振り返れば、カーブの向こうから二頭立ての荷馬車が姿を現わした。御者台と荷台に一人ずつ、中年らしき男性達の姿があった。一仕事終えた帰路なのか、荷台は空の様だ。男性達が向けてくる双眸の、その眼光は鋭く、兄妹は面を伏せた。馬車が通り過ぎると、上目遣いに確認する。荷台の男性は興味を失った様に、前を向いていた。歩調を緩め、馬車が道の向こうに消えるまで見送る。
「…嫌な感じだな」
アラドが小さく呟き、歩調を元に戻す。兄妹は街へと急いだ。




