第九話 迫りくる新たな影
ご無沙汰しております。次章(?)開始です。
今回少し長めかもしれません。
目を閉じる前に見たのは、故郷の空だった。
締め付けられるような感覚と小さな衝撃、そして一瞬の浮遊感。その瞬間、私はこの体が故郷の大地から離されたことを認識した。
学校を卒業してからの、のんびりとした生活は嫌ではなかった。いつまでも仲の良い両親や友達との毎日は、幸せだがどこか退屈だった。それが実は最高の幸せなのだとわかっていたが、後悔はない。
気分を変えよう。
それよりも次に目を覚ましたら、そこにはどんな風景は広がっているだろうか。
青空だろうか、それとも海だろうか。一緒だったらいいな。街が見えたら、故郷との違いを探してみるのもいいかもしれない。不安と好奇心が入り混じる。
だけれど、観光気分というわけにはいかないだろう。優先されなければならない事案がある。
意識がはっきりし始める。
さあ、目を覚まして始めよう。新たな地での、自分のやるべきことを。
「そう、私は、天の声に選ばれたものだから…!」
開いた目に飛び込んでくる、雲と、その下に広がる海と陸。そこに見える街。
憧れにも似た熱い何かが体中を駆け巡るの感じながら、私を乗せた飛行機は、日本へと降り立とうとしていた。
と、思考の中に小さな波紋が広がるのと同時に、その発生地点が浮かんでくる。イメージとしては、頭の中に大まかな地図が現れて、発生地点にマーカーが二つ現れる。
あの声が言っていた、能力者同士が近づいたときに発生する共鳴反応だと理解した。
問題は、その二つの反応が、降り立とうとしている成田空港の付近にはなく、そう、あえて言うなら、この弓型列島の、こう、真ん中から少し左側…西部側にあった。
「…え?」
漫画やアニメによくある首都決戦的なイメージが、がらがらと音を立てて崩れた。
携帯と時計によるコールで目が覚める。
ぼーっとしたこの瞬間、自我というものがあやふやになり、今の自分というものでさえ、あれ、自分っていったいなんなんだ? と思考がぐにゃぐにゃになる。滅茶苦茶疲れたり、眠り足りなかった場合によく起きる。
そういえば昨日のあれは夢だったのだろうか、と頭のどこかで「分かっていながら」とつぶやく自分の声を認識しながら携帯の画面を見る。日付はしっかりと一日経っていたことから、やはりあれが現実であったことを悟らされた。
「やっぱり夢じゃないよ…な?」
身体を起こそうとして、隣の柔らかい匂いと暖かさに気付いた。それを認めたとたんに微睡んでいた頭が急激に覚醒する。
なぜか僕の布団に、カフカが潜り込んでいた。
薄ピンク色のパジャマに身をくるみ、掛布団の中で体を軽く丸めて幸せそうに寝ている。
そのすごく無防備な姿に、「うおっ!?」と悲鳴を上げて身を引いた。
すると、カフカがすっと目を開けて、ふふっとほほ笑んだ。
「あ、実里さんおはようございます」
「おはよ……ところでなんで僕の布団に?」
「トイレに行った後、部屋を間違えたみたいでして」
「ふうん?」
で。『色欲』の能力、読心を使って本音を見てみると。
『一時間ほど前に入っちゃいました。実里さん、ドキッとしました? しました?』
てへぺろっと悪戯っぽい表情を浮かべるカフカに、僕は冷めた心で布団は剥がしの刑を執行した。
「ひゃう! 朝から情熱的ですよぅ実里さん!」
「昨日今日会ったばかりの男の布団にもぐりこむな!」
「滅茶苦茶生生しい怒り方しないでくださいよぅ。冗談です」
「これ、僕みたいな人間じゃなかったら笑い話で済んでないからな?」
天使なので何かあっても返り討ちにするだろうが、一応釘は刺しておく。そうでないとこっちの理性が弾け飛んだときが怖いからだ。
「はぁい。それにしても、一日でよくここまで使えるようになりましたね」
「……能力の制御に苦労しないからじゃないかな?」
「なるほどぉ」
『実里さん、困っててかわいいです』
反省している様子が見当たらない。
「いい加減にしないと朝ご飯抜くよ?」
「ごめんなさい、反省してます」
『からかいすぎましたね。実里さん、ごめんなさい。実里さんの寝顔がかわいかったもので、つい……』
ようやく、多少は反省してくれたようだ。っていうか、天使を説教するって、やっておいてなんだが……いかがなものだろうか。
あと、ついじゃないよ。やめてくれ。恥ずかし過ぎるから。
『でも、元気なようでよかったです』
……まあ、心配してくれるのは、正直にいうとうれしいけれど、さ。
どっと肩から力が抜けるのと同時に、怒る気も消えた。
「はぁ……。んじゃ、顔洗ったら……ええと、新しいタオルが洗面台横の棚にあるから。それをこれから使ってくれ」
「はぁい」
「それと、ヘアブラシも新品が一番下の段に入ってるから、そっちを使って」
「了解です」
こんな感じで、二日目の朝が始まった。
「そういえば、昨日はどたばたして忙しかったから聞いてなかったけどさ。僕の力って、あの二つ以外にまだあるのかな?」
食パン、目玉焼き、プチトマトにレタスといったごく普通の朝食をとりながら、カフカに尋ねる。
僕に宿った七大罪の力は『色欲』。その力は、相手の思考が文字や音声として認識できる『読心』と、体温を操作する『体温操作』の二つだ。
二つとも、ぱっと聞いただけでは『色欲』らしい色っぽいイメージはないけれど、よくよく考えてみれば、心が読めれば行動の幅が広がり、相手に好かれやすい状況を作り出せるかもしれない。『体温操作』は……いろいろと用途があるかもしれないが、こちらは本当によくわからない。僕の浅い知識では……いや、まさかな、基礎体温がうんたらとかそんなわけないよな?
やめておこう。浅はかな知識で考えるのは危険だ。あ、もしかしたら風邪を引いた人の症状を楽にするためとか、熱中症の人を助けるためとか? それ全然罪じゃない。ものすごく善行だ。
「そうですね」
カフカはポーチからメモ帳を取り出してペラペラめくり始める。
「あの、そのメモ帳貸してくれたら勝手に読むんだけど」
「だめですよぅ。ここにはこちらの人が見ちゃいけない内容だってあるんですから」
見たら怒りますからね、と母親のように注意してくる。果たしてその警告を無視した後に訪れるであろう天使の怒りを考えると、こっそり見るのもやめておいた方がよさそうだ。それに、人のメモ帳を見るのはよくないし。
「えーとですね。『色欲』には、『読心』、『体温操作』、『触覚操作』がありますね」
「『触覚操作』って、もしかして感覚を操れるの?」
「はい。痛み、痒みをはじめとする感覚を操れます。もちろん度合の調整も可能です」
「すごいな……」
ああ、これあれだ。一番『色欲』っぽい。要するに感じさせれるんだろうな。考えるな、感じろ、って。
「ふふふ、実里さんが何を考えているのかわかりますよ? 実里さんも男の子ですねぇ」
「うるさいよ」
にやつくカフカを睨み、話をもとに戻すべく咳払いをする。
「こっちの力はわかった。じゃあ他の力はどうかな? 例えばラウラさんの力とか」
「円迎寺さんの『強欲』は、欲するものを、純物質、エネルギー、魔力など関係なく入手できる力です」
「マジでか……ってか魔力? 魔力ってあるの?」
「ありますよ」
やっぱりあった!
天使の口から魔力という単語が出てきたこともそうだけれど、魔力が実在するという事実の方が衝撃だった。
「ですが、今回の能力集めで魔力を持った輩は滅多なことでは絡んできません。情報規制を行いましたから。魔力なんか絡んできたらいろいろややこしいですよ? そんな力を持つ輩が相手になったとき、私や実里さんたちは大丈夫ですけど、周囲の一般人が巻き込まれたら大惨事です」
「確かに……って、僕たちが大丈夫ってどういうこと?」
「七大罪の能力者は、大罪系の力のみに影響を受けます。それ以外の超能力や魔法、催眠術などが一切無効化されるので、魔法攻撃を受けても大丈夫なんです。殴る蹴るの物理攻撃は普通に効きますけど」
絶句した。それって、漫画みたいなファンタジー世界じゃほぼ無敵ってことなのでは?
「まあ、今はそれより能力の説明ですから、この話はここまでで」
「ああ」
本当はもうちょっと詳しく聞いてみたかったけれど、仕方がない。
「さて、話を戻しますが。…『強欲』の能力はかなり強力です。しかし、それをもってしても能力を取り出すことはできません。能力者同士で取り出すには、相手に直接触れる方法しかないのです」
「そっか……それであの時、いきなり能力が取られなかったんだ」
「そういうことです。…あ、食べる時間がなくなっちゃいますね。今はこれくらいにしておきましょう」
言われて時計を見ると、七時四十一分。いつもならまだのんびりしている時間だ。学校までは十五分ほどの距離なので、もう少し話をしていても十分余裕はあるのだが、
「……いや、そうだね」
ふと思ったことがあったので、昨日と同じく、早めに出るとしよう。
「参考になったよ。ありがとう。帰ったら、他の能力についても聞かせてよ」
「昼休みにでも伺いますよ? それとも、一緒に登校でも」
「だめだってば。学校は関係者以外は立ち入り禁止だって!」
「ですが、昨日みたいなことがあったら……」
「あー……でもまあ、世界中に能力者は散らばってるんだし、昨日の今日でそれはないと思いたいけど」
「うーん、だといいんですが……」
そう心配そうな顔するなよ。カフカが不安そうな顔したら、こっちはもっと不安になるよ。
「円迎寺さんの話では四日前に能力を手に入れたということでしたが、大罪の力がこの世界に飛び出したのと同時期です。とすれば、他の能力者も一日か二日の誤差で宿しているはずです」
「僕も昨日だったしなぁ」
「はい。……円迎寺さんは行動が早い方でしたが、それは同じ国の同じ地域に実里さんがいたからです。遠く離れた異国の能力者がどう行動を起こすかは未知数ですが、何の当てもなく探し回ることはしないでしょう」
「だったらいいじゃないか。瞬間移動するような能力とかあれば別だけど」
「それはないです」
「じゃあ、もうしばらくは平穏だね」
そう言っても、カフカは「うーん」とメモ帳を見て唸っている。
「まだ不安要素があるの?」
「ええ。実里さんは、他の能力者と戦うことはしたくないんですよね?」
「ああ、もちろんだよ」
そもそも、能力を集めるのに、どうして他の人と戦わなくてはいけないのだろうか。無理やり取り出せば大切なものが失われると知れば、誰も戦おうとしないはずだし、それよりも、全員が集まってから能力を取り出す方法を模索する方がよっぽど建設的だ。
「ラウラさんだって、最初から戦うつもりじゃなかったんだ。しっかりと話し合えば、他の人とも戦わないで済むかもしれない」
「それは甘い考えなのではないですか?」
カフカの指摘はもっともだ。能力者全員が話の分かる人とは限らない。
「その時はその時さ。カフカだってサポートしてくれるんでしょ?」
「ええ、もちろんです。私は実里さんのオペレーターですから」
それを聞いて安心した。天使のサポートがあるというのはすごく心強い。
「それじゃあ、これからもよろしく」
「はい、お任せください」
と、そこで思い出したことがあった。昨日、カフカの居候を認めたときに少し話しておくべきだったのだが、丁度いいし、今話しておく。
「カフカ、今日の帰りにさ、君の服を買おうと思ってるんだけど」
「え?」
目玉焼きの黄身を器用に白身からくりぬいていたカフカが顔を上げる。
「近くにショッピングモールがあるから、そこで普段着とか下着を買おうかと」
「いいんですか……?」
「うん」
幸いなことに、両親からは生活費をいくらかもらっている。僕が無駄遣いをしないことを知っている両親は、そこそこの金額を出発前に銀行に入れてくれているので、そこから少しだけ使うのだ。
カフカは頬を赤くし、目を閉じて嬉しそうにはにかんだ。
「ありがとうございます、実里さん」
その言葉に、不覚にもドキッとしてしまったが、極力表には出さないようにした。
なんだかふわふわとした、こう、甘酸っぱいような、そんな空気の中の朝食は、いつもよりもおいしい気がした。




