第三十八話 VS『???』 決着と対話と白き影
―そこまで―
声が聞こえてきた。
鈴のように透明感があるのに凛とした声音。
それと同時に、湧き上がっていた何かがさっぱりと消え去り、不安や焦燥から解放されていく心地良さを覚える。
ふと、背中が何かに支えられていることに気が付いた。女性は僕の後ろに視線を向けており、目を少し見開いている。振り返ろうとして、後頭部に柔らかい何かが当たり、更に肩ががっしりと固定される。どうやら誰かいるみたいだ。
コーヒーの香りと何故か身をゆだねたくなるような柔らかい温かさに、今までの状況がまるで夢のように思えてくるほど安心してしまう。だから後頭部に当たっている何かへは意識を向けないでおく。
それにしても、どこかで聞いたことのあるような声音だけれど……思い出せない。
―やりすぎだよ。試すにしても、ここまでしなくてもいいんじゃないかい?―
「それは……」
表情は変わらず、女性能力者が気まずそうに言い淀む。試すって何の話しだ? それよりも、今どういう状況なのか……ってそうだ!!
大慌てで自分の胸元に視線を向けて、
「え?」
女性の手が僕の胸に添えられているけれど、その間にはほんの少しだけ隙間があった。まるでそこに透明な壁があるように。もしくはパントマイム。
「言っておくが、私はおどけていないぞ」
僕の思考を読んだように女性が掌を拳に象って小突いてくるけれど、胸の前で音もなく止まり、時に弾かれたような動きを見せる。
自分でも触れてみるけれど、何も異常はなかった。
「これは……?」
―君の仲間が張った障壁だね。物理的な事象はもちろん、魔法を含めた異能力全般も弾き返す優れた防護術だよ―
木漏れ日のような心地よい声音が頭上からとんでもない解説してくれる。
―これがある限り、心臓部への脅威はほぼ無効化されるし、『色欲』を奪われることもない―
「そう……なんだ……」
その時、カフカの顔が自然と脳裏に浮かんだ。こんなことをするのはあいつくらいしかいないし、思いつかない。本当に助けられてばかりだな。
教えてくれていなかったのはいつも通りか。もし知っていたらここまで焦ることはなかったんだけどなぁ。
―そもそも、この空間では相手に危害を加えることができないんだけどね―
ほっとして、カフカの秘密主義な部分に対してやるせない気持ちになっていたら、謎の声が淡々とそんなことを言い出した。
…………………は?
思わず顔を後ろに向けようとしたけれど、首が思うように動かない。女性の方を見れば、「あぁ、通りで」と肩を竦めていた。
―ここは私が作り出した聖域だから、無用な争いはできないよ。能力の使用も、相手に直接的に危害を加えるものについては無効化している。あぁ、私がここにいる間は、君たちの『大罪の力』は自分に影響を及ぼすもの以外、全てレジストさせてもらっているよ―
あぁ、なるほど。通りでさっきは『読心』以外の能力が全く通用しなかったわけだ~ってそうじゃねぇ!?
この人……えと、人でいいんだよな? 一体、何を言ってるんだ?
能力を無効化している……? 他の魔法や超能力を無効化する『七大罪の力』を? 嘘だろ。
そう言えば、この人(?)が現れてから『読心』に何も引っかかっていない。聖域という言葉も気になる。
この人、本当に何者なんだ?
―それより、目的を遂行したらどうだい?―
「……そうですね。少年……おい、聞いているのか?」
呼びかけられて我に返った。
見上げると、能力者の女性が僕を見下ろしていた。
ところで……僕はいつまでこの態勢でいればいいんだろうか。なんて、一気にやってきた諸問題から現実逃避していると、
「先ほどは済まなかった。私は、お前の能力を奪うつもりはなかったんだ」
「はぁ?」
嘘付けという言葉を飲み込めた自分自身を褒めちぎりたい。口調と表情からは感情がほぼだだもれだけれど。
「まぁ怒るのも無理はない。だが、本当の話しなのだ」
本当の話しって言われても……。
……………………。
あ、『読心』は使えないんだった。
半月の間、『読心』を一度も使わなかった日はなかったため、普通だった頃のコミュニケーション能力しかないこの状況に違和感を覚えてしまった。
それでも、絶望的とは思わないのは、以前からカフカが能力まかせにならないようにと、使用制限をしてくれていたからだ。おかげで、実際に能力がほぼ使えない状況下でも、多少不安と緊張感があるだけで済んでいる。
もう、本当にカフカには頭が上がらないなぁ。
閑話休題(まぁそれは置いといて)。
仕方ない、素直に聞くしかないか。
『生理現象操作』と『体温操作』で強制的に心を落ち着かせる。それにしても本当に便利だな、この能力。
「……どういうことですか?」
「……うむ。先ほどまでは、お前を試していたんだ。お前がどんな人物なのか、ここしばらく観察していたが、それだけでは信用できなかった。だから、こうやって話し合う機会をもらった」
そう言って僕を受け止めている背後の誰かに視線を向けた。くすりと、頭上から小さな笑いが聞こえてきた。
え、話し……合い?
―話し合うって、拳で語り合うの間違いじゃないかい?―
「拳は……使っていません」
確かに直接的な暴力は使ってないけれど、瞬間移動という反則級の能力を使って散々っぱら追いかけてくれたせいで、精神的にも肉体的にも疲労がすごいんだけれど。
僕と背後にいる誰かの視線を受けた女性は、痛いところを突かれたようにそっと瞳を横に逸らした。そんなに気まずく思うなら最初からしないでよ……。
「で、だ。少年……ここからが本題だ」
女性の視線が僕に戻される。
陽光を受けて、瞳が鮮やかなオレンジに輝いている。そこに映るのは、
「お前の能力を、私に譲ってほしい」
何かを決心した、そんな感情。
初めての光景なのに、どこかで見たことがあるなぁと思ったら、脳裏に再びラウラさんの姿が浮かぶ。
半月前、能力が宿って、ラウラさんと戦ったあの日、彼女はこんな表情で僕に同じようなことを言ってきたっけ。
そう言えば、ラウラさんもこの人も髪が長いし、大人な雰囲気が似ている。というか、目の前の人は正真正銘大人の女性だろうけれど。
またもや閑話休題。
「お断りします」
「まぁ、そうだろうな」
僕の答えは予想済みだったようで、微動だにしない。
さもありなんと頷いていた。
「だが悪いようにはしない」
「言いも悪いもないんです。貴方は知らないかもしれませんが、もし能力が奪われたら、その人の大切なものが消えるんですよ」
それが僕たちに宿った力の最大級のデメリットの一つ。物品か、それとも生命なのかはわからない。それでも、僕たちの大切な何かが消える。
この返答は予想していなかったらしく、能力者の女性が微かに眉を寄せる。支えてくれている誰かも「ほう?」と意外そうな声を漏らす。
「だから僕は、いえ僕たちは今まで同盟を組んで、残りの能力者たちが襲撃してきたときのために集団行動を取っていました。でも、このままじゃだめだと思って、今日は仲間と一緒に遊んでいる姿を貴女たちに見てもらおうと思ったんです。僕たちは、貴方たちと敵対しない人物だと少しでもわかってほしかったんです」
まぁ、これで友好的な人物だと思ってもらえるとは、正直そこまで期待していない。けれど、さっきの「試す」発言で、希望が見いだせた。
この人は、もしかしたら……。
「僕たちは能力を奪わないで、この事件を解決するつもりです。どうやって取り出すかは、その時にまた仲間の一人が考えてくれると思います」
カフカなら、何か知ってそうだし。
……あれ、そう言えば随分前に、能力集めについて何か言われたような気がするけれど、何だったっけ。結構重要な事だったような……うん?
いや、それよりも今は目の前の交渉に集中だ。
「……その仲間というのは、『強欲』か?」
「いえ、違います」
「ならば、その胸の障壁を作り出した奴か?」
答えようかどうしようか本当に一瞬だけ迷っていると、女性は「まぁいい」とつぶやき、
「では、正直に答えてくれ。少年、お前の仲間に、『傲慢』と『怠惰』はいるのか?」
言われて正直に答えていいものかどうかほんの少し迷った。
エリスさんとオーエンさんと仲間になっていることを、仮にも敵対した人に教えるべきか。普通なら教えないという選択が最善なんだろうけれど……。
「……ええ、います」
「……そうか」
僕の答えを聞いてそっと目を伏せると、彼女の肩がほんの少しだけ下がったように見えた。
そうして、三呼吸くらい置いてから、
「わかった……完全にお前を信用した訳ではないが、残りの能力者をお前たちと共に待とう」
開かれたその瞳は、夕焼けを受けて穏やかに輝いていた。
つまり、それは―……。
喉がひきつったように声が出せない。肩だけでなく体全体の力がどっと抜けて、床に倒れそうになるけれど、ずっと支えてくれている誰かのおかげでこれ以上かっこ悪いところを見せずに済んだ。
「ありがとう……ございます」
何とか絞り出せた言葉に、女性も後ろの誰かも苦笑を漏らした。
初めて見せてくれたはずの表情なのに、どこかで見たような気がする。デジャヴュ?
「まぁよろしく頼む」
「はい、こちらこそ」
女性がそっと差し出してくれた手を握るために、腕を伸ばそうとした、その時。
僕たちの間に突然、何の前触れもなく何かが出現した。
「「?!」」
―ぁ―
白い布を頭からすっぽりと被った何者かが僕の手を掴む。そして、僕の後ろを一瞥する。
『嘘吐き』
―え、これは違―
脳裏に響く、性別不明の不思議な声の、静かなつぶやき。
僕を支えてくれている誰かが何か言おうとしていたけれど、聞き終わる前に景色が何の前触れもなく切り替わる。
「実里さん!」
「実里君!」
カフカとラウラさんの顔が視界にアップで飛び込んできた。
思わず仰け反って、いつの間にか座っていた椅子ごと後ろへ転倒しそうになったけれど、二人が慌てて引っ張ってくれたおかげで助かった。
周囲を見回せば、先ほどとあまり変わっていない昼過ぎのカフェの景色があって、街の喧騒が耳に入ってきた。
「っそうだ、あの人は?!」
あの女性が座っていた席へ視線を向けたのと、険しい表情の彼女が踵を返したのはほぼ同時だった。
「待ってください!」
追いかけようと席を立ちあがった時には、もう姿がなかった。多分、瞬間移動を使ったんだろう。
あまりの事態に体中からさっきとは別の意味で力が抜けて、ため息と共に椅子へと座りこんだ。
「後もう少しだったのに……」
「え?」
頭上にクエスチョンマークを乱舞させて首を傾げる女性陣に、僕は屋上―聖域での出来事を話した。
話しが進むにつれて、皆の表情が驚きと感心したものに変わっていき、同盟が結ばれるところで喜びの声があがり、白マントが乱入したところで一気に落胆した。
誰もが声を発することもできず、居たたまれなさとやるせなさに肩を落としていると、いち早く気を取り直したラウラさんが口を開いた。
「つまり、その白マントさえ邪魔しなければ、新しい能力者が仲間になってくれていたんだね……」
「……うん」
「誰よ、そいつ……」
つぶやきながらエリスさんが拳をワナワナと震わせている。その隣でオーエンさんは天を仰いで「Oh,my God……」と嘆いていた。カフカに至っては驚愕と落胆とやるせなさをない交ぜにしたような表情で何か思案しているようだった。
表面的には冷静さを取り戻しつつあるラウラさんは、眉間を指でもみながら、考えが纏まったらしくため息をついたカフカに視線を向ける。
「カフカさんはどう思う?」
「どうもこうも……私の理解の範疇を超えています」
「だよね……」
「ですが、いくつかわかったことがあります」
カフカの言葉に、僕たちの視線が集中する。
「謎の能力者に協力してくれた誰かですが……実里さんをワープさせたのはおそらくその人でしょう。大罪の力の中で空間転移をそこまで自由自在に操れる力はありません。円迎寺さんの『強欲』が遠方の標的を取り寄せることができますが、あくまで手元に引き寄せるだけです」
「つまり、前に言ってた、魔力とか他の能力の持ち主が介入してるってこと?」
「はい。ですが……」
カフカの言葉に、ラウラさんたちが難しい顔をし始めた。
「……実里さんは、その人が助けてくれた、と言っていましたね。顔は見ていないとのことでしたが、何か気になる点などありましたか?」
「えぇと……」
言動すべてが突っ込みどころしかなかったんだけれど、その場合はどれを報告したらいいんだろうか。
「とりあえず、僕たちの事を色々と知っているみたいだった。それに、あの屋上はその人が作り出した聖域で、話し合う場として用意していたみたい。後は、どこかで聞いたような声だったかな……」
「なるほど……そうですか」
「もしかして、カフカの知り合いとか?」
何となく言い方が気になったので、それとなく訪ねてみただけなのに、カフカだけでなくラウラさんたちも困った顔になる。
何を言っているんだこいつ、みたいな視線を向けられても困るんだけど。
「実里さん、もしかして『読心』を展開されていないんですか?」
「え? あぁ、うん」
聖域では無効化されると聞いてからオフにしたままだった。
「変に冷静だから変だとは思っていたけれど……」
「知ったら知ったで大騒ぎになりますぅ」
エリスさんとオーエンさんが口ぐちに言い合っているけれど、本当に何の話しだろうか。
首を傾げていると、ラウラさんが皆を代表するように口を開いた。
「実里君、さっき武宮先生に会ったの」
「そうなんだ?」
いきなり武宮先生の話しが出てきたので面食らう。
「それでね、武宮先生は」
ラウラさんの言葉が途中で止まる。僕の後ろに視線を向けていて、他のメンバーも同じようにして固まっている。
振り返ると、
「やぁ香乃君」
武宮先生が僕を見下ろしていた。
エリス「ダリナンダアンタイッタイ……?!」
カフカ「イカダナンデスヨネ……?」
ラウラ「二人とも……」




