第三十七話 VS「???」 夢神の屋上
申し訳ありません、大変長らくお待たせいたしました。
「障壁……か」
耳元で綺麗な声が囁き、微かなコーヒーの香りが鼻先をくすぐった。
その時ようやく僕は女性に密着されていることに気が付き、胸に感じた温かさの正体が彼女の掌だと思い至った。
「うわっ?!」
悲鳴を上げながら大慌てで飛び退き、距離を取るために一歩、二歩と下がるけれど、すぐに背中がフェンスにぶつかった。まずい、昇降口へと逃げればよかった。
それより今、一瞬で目の前に現れなかったかあの人。
【―右から行くか】
「?!」
脳裏に声が響くのと同時に、前方目がけて転がるように跳ぶ。直後、後ろでコンクリートを踏む軽い靴音が聞こえた。
【そこだ】
手を伸ばすイメージを読み取り、立ち上がらずに横っ飛びに回避する。
【左―斜め左上―右―……】
受け取った思考の通りに回避していく。たまにフェイントも混ぜてくるけれど、本当に狙ってくる場所を見破っているのでギリギリ避けられる。ただ、態勢を立て直す暇もなく、ふらついて転びそうになり、何とか受け身を取って、
【やはり心が読めているな】
「!」
立ち上がったその時には、女性がすぐ目の前に迫ってきていた。ご丁寧に右手を僕の胸に当てるように伸ばしている。
「くぅっ?!」
再びコンクリートの床を転がって距離を取る。ぐるぐると天地が回る視界の中、コートの裾を靡かせ、速足でこちらに向かってくる相手の姿が見えた。
素早く起き上がりながら、伸ばされた腕をすり抜けるように昇降口まで駆け抜ける。
しかし、
【逃げられんぞ】
いつの間にかドアの前で仁王立ちしていた……!?
【手間を省きたいんでな……】
どこまでも涼しい顔のまま、息一つ乱さずに女性はこちらへ一歩踏み出す。
それに合わせて僕も一歩後ずさろうとして、足の重たさを感じて小さく呻いた。
まずいな……こっちは心を読んで先手を打っているのに、相手の行動が速いからずっと動きっぱなしで息があがっている。普段は動かさない筋肉を酷使したのか、体の節々が痛い。明日は筋肉痛でのたうちまわるかもしれない。
無事、ここを切り抜けられたら、の話……だが。
「僕は貴女と戦うつもりはありません!」
【問答無用!】
取り付く島もなかった。静かでブレのない心の声が脳裏に響く。
こうなったら、やるしかないようだ。
もしかしたら戦うかもしれないと口では言っていたけれど、どこかで『皆がいるから何とかなる』と思っていたことは否めない。ましてや、いきなり遠く離れた場所に飛ばされ、一対一になる状況なんて想像すらしていなかった。
相手の能力は何かわからないけれど、このごく短い間に見せた数々の異変から、瞬間移動やワープが使えるらしい。
けれど、カフカから聞いている『七大罪の力』では、どれもそんな能力はなかった。だとすれば、相手の人はもしかしたら別の異能の使い手かと一瞬考えて、大罪の力は他の能力や魔法などを無効化するはずだと思い出す。
一秒にも満たない間に普段からは想像もできないほどの速さで思考が浮かんでまとまって消えていくけれど、結局は何もわからない。
じゃあ、この人の力は……なんて考えていたら、
【『隠れ蓑』の機能低下に能力制限……この状況下で心を読まれるというのは本当に面倒だな】
「ッ?!」
紅い瞳が瞬時に目の前に現れる。
寸前でこちらへ近づこうとするイメージを読み取り、すぐさまバックステップで下がることができた。
【―むっ?】
追撃も動きを止めずに全身を使って回避をする。
【心を読むだけでなく、観ることもできるのか】
今にも舌打ちをせんばかりに苛立った思念が飛んでくるけれど知ったこっちゃない。
それよりも、こちとら人生で一番必死に体を動かしているのに、全く振り切れない。動きもわかるくらいに鈍ってきた。フェンスに追い込まれないように注意しているせいで、集中と緊張感の二重苦で結構キツい。
何よりも、もっと別のところで焦りを感じていて、それが精神的な疲労を大きくしている。
能力はとうの昔にスイッチを入れているのに、何故か彼女の体温は一度も上がらず、キレのいいダンスのような動きも一向に止まらない。
心の声は聞こえているのに、他は全く手ごたえを感じることができず、焦りと疲労だけが増していくこの悪循環に、心が折れそうになっている。
【―……次で終わりにしよう。疲れただろう】
こちらの葛藤などお構いなしに、彼女は僕の背後から襲いかかる算段を立て始める。
また瞬間移動を使ってくると予想し、行動に移そうとした直前。
意識していなかった横のコースから、紅い瞳が僕を覗き込んでいた。
【だからさっき思った(・・・)だろう】
「な!」
慌てて避けようとしたけれど、足がもつれてよろけてしまった。
しまった、と思った時には視界がぐるんと回って空を映しだし、
【私の本心は読めていないと】
「ぅァあッ!!!」
倒れる寸前、突き出された右腕を渾身の力を以て右掌で払い除ける。
【何ッ?!】
勢いを保ったまま床を転がり、すぐさま立ち上がったところで、
【これで終わりだ、少年】
目の前にあの人がいて、押し出すように右手が伸ばされて。
胸に温かい感触を覚えた。
その瞬間、ラウラさんの姿が脳裏に浮かんだ。
ラウラさんが、消えることになったら僕は……―!
心の悲鳴が思考の中で反響し、同時に胸の奥で何かが蠢くような衝動を感じて―
変更点があります。
第三十二話「緋色の共鳴」:謎の女性が共鳴反応で見つけたのは『傲慢』ではなく『強欲』でした。
第三十五話「茜色の邂逅」:
変更前
『カフカ、半径二十メートル以内に、能力者がいる!』
『どこですか?!』
思考の発信源は、自然とわかった。
変更後
『カフカ、このカフェに、能力者がいる!』
『どこですか?!』
『わからない。でも視線が合った女の人がいるんだ!』
その時、思考の発信源が何故かわかった。




