第三十二話 デート開始
いい、実里ちゃん?
女の子とデートする時は、特別なことはしなくていいの。
二人で一緒の時間を楽しむことが大切なの。
いつだったか、言われたことがある。
その時の僕は、そんな恋人ができるのかな、と漠然と考えるだけで、そこまで気にも留めていなかったけれど、覚醒した直後に思い出すということは、結構緊張しているのかもしれない。
まぁ悩んでいても仕方ないか。デートと言っても、一緒になって歩きまわるだけ。特別なことはなにもいらない。
だから大丈夫……なはず。
そんな、不安と覚悟を抱えて瞼を開いた、次の瞬間、
「実里さん」
僕の隣で寝そべっている、天使のにっこり笑顔が視界に飛び込んできた。
「ぐーてんもるげん、実里さん。お気分はいかがですか?」
枕元の目覚ましを確認する。うん、起床予定時刻の五分前。ちょうどいい頃合いに目が覚めてくれた。色々な意味で。
「エリスさんも誘おうと思ったんですけど、枕を抱えて熟睡されていたので私一人で来ちゃいました」
うーんと背を伸ばす。急に起きあがると体によくないらしいから、ゆっくりと上半身を起こす。
「実里さんは寝相が本当にいいですね。理想的な寝返りでした」
くるくると手首を回して、それからぐっぱと手の開閉運動。
「寝顔も可愛らしくて……実里さん?」
僕の異変に気が付いたらしいカフカが布団から出ようとするけど、その前に僕の掌がカフカの頭を掴んだ。
「い・い・か・げ・ん・に・し・て・ね?」
「あ……ハイ」
こうして、天使の顔をした堕天使を鎮めることに成功した。
「それにしても本当に仲がいいわねあんた達」
朝食の席でエリスさんがやれやれとため息をついた。半眼でこっちを見ないでよ、よくわからないけれど心が痛い。
「エリスさん、僕は決して何もしていないからね」
「ま、でしょうね」
どことなく諦観のような感情をうかがわせる声音だけれど、特に怒っている様子はなかった。
よかった、不純異性交遊のレッテルを張られなくて……ッッ。
「そうなんですよね。実里さん、すごく優しんですよ」
「カフカ、その発言は下手をすると火に油を注ぐことになるからやめて」
元凶たるカフカは呑気に目玉焼きをトーストに乗せて齧っている。卵抜きの朝食を作ってやろうかと思ったけど、実行できない自分の甘さを何とかしたい。
そもそも、何故かカフカは最初から僕に対して無防備すぎるのだ。最低限のラインは守っているとは思うけれど、いつも距離が近いし、今朝みたく、たまに布団に侵入してくる。しかも、絶対に対面になるように寝転がっているのだから、たまったもんじゃない。
「でも実里さん、何だか難しい顔をしていましたから、つい心配で」
「ほう?」
で、本音は?
『びっくりしたら悩みも吹き飛ぶかなって』
心を読んでみたら、てへぺろっという言わんばかりのセリフが……。
右手の指をコキリと鳴らして見せると、カフカはひきつった笑顔を浮かべた。
「実里さん、能力の使用が上手くなってますね」
「あぁ、誰かさんのおかげで自分でもびっくりするほど馴染んでるよ」
まぁカフカなりの励ましなんだろうけれど、それが通じるのは男性読者の多い漫画やアニメの中だけだ。リアルでやったら色々とアウトになる可能性大だから、本当にやめてくれ。オペレーターの仕事でそこまでやらなくていいんだよ。
「とにかく、あぁいうのは本当に好きな人にしてあげてくれ。マジで、頼むから」
「はい、わかりました!」
注意したはずなのに、ものすごくいい笑顔を浮かべるカフカ。本当にわかっているんだろうか。
と、視線を感じてエリスさんを見ると、呆れた表情はそのままに、悪戯っぽい眼差しを向けてきていた。
「建築士ねぇ」
「え?」
「なんでもないわよ」
よくわからないけど、エリスさんの見守るような生暖かい眼差しに気恥ずかしさを感じて、思わず目を逸らしてしまったけど。
そんな、賑やかな朝食が過ぎて行った。
現在、午前七時二十分を過ぎたあたり。
出かけるのにはピッタリな、よく晴れた土曜日の朝だ。
『どうやら、動いたようだよ』
「動き出したか……」
協力者からの連絡を受け取り、寝床から体を起こす。軽く伸びをしてから、壁にかけていたコートに袖を通す。
これで彼らに近づいても、こちらの反応を知られることはない。しかも、私の気配や存在感も薄めてくれる加護が付与されている。
期間限定の力ではあるが、これがあれば今までの仕事も楽だっただろうな、と柄にもなく苦笑が浮かぶ。
協力者の万能さに畏怖すら浮かぶが、そんな凄まじい力を保有しているとは思わせないような茶目っ気を感じさせる喋り方をする。
今まで会った中で、一番敵に回したくない人物だ。
『さて、君とあの子たちの間に新しい縁ができることを願っているよ』
「私もそう願っています」
梅雨の土曜日にしては清々しい快晴の空を見上げなら、切にそう思った。
『晴れてよかったですねー』
「そうだね」
カフカは、家を出る直前からエリスさんと一緒に姿を消して、僕の隣を浮遊している。
チームメンバーには見えるように調整してくれているので、通りすがりの人が無反応の中、僕の横を音もなくふわふわと移動する姿はなんというか、シュールだ。慣れているはずの光景なのに、ちょっとだけ可笑しさのようなものを感じてしまう。というか、これに慣れてしまっている自分が怖い。
ちなみに、カフカの服装は、襟元と袖口に紺色のラインが入った白のセーラーワンピースだ。カフカのふんわりとしたオーラや見た目と相まって、声に出しては絶対に言わないし表情にも出さないけれど、素直に可愛いと思う。
対してエリスさんは、オレンジ色のパーカーとデニムのハーフパンツというシンプルながら、アクティブな印象を与える組み合わせだ。可愛さと一緒に、元気を分けてもらえるような不思議な魅力を感じられる。
なんというか、ホームステイに来た姉妹と遊びに出かけている気分になる。
それから数分ほど歩き、ショッピングモールに着いた。
『では、私たちはオーエンさんと合流しますから、後は打ち合わせ通りに』
『何か異変を感じたら連絡しなさいよ?』
「あぁ、わかってるよ」
カフカたちと別れ、待ち合わせ場所である入口へ向かう。
ここはこの辺りでも有名な場所で、店の多さもさることながら、海を眼前に控え、駅も近いため訪れる人の足が途絶えることはない。
土日はさらにそれが増え、僕たち以外にも待ち合わせ場所にしている人たちでいっぱいだ。
ラウラさん、この中から見つかるかな……と歩いていると、
「実里君」
丁度、向こうからラウラさんが小走りに近づいてきた。
水色のジャケットに白のスカートで、いつもは凛として大人びた印象を受けるけれど、今日の彼女は高校生らしい可愛さがあった。
「おはようラウラさん。待った?」
「ううん、今来たところ。実里君の反応があったから。私の方こそ待たせちゃったかな?」
「僕も今来たところだよ」
こういうやり取りをしていると、事情を知らない人からは中二病と思われるだろうなぁ……何で僕だけ感じ取れないんだろう……能力の成長とか関係あるのかな。
そんな風に考えて気を紛らわせていると、ラウラさんが僕の服装を見て、
「香乃君、かっこいいね…っその服っ!」
「そうかな?」
デニムのジャケットに、ベージュのスキーニーパンツというありきたりな出で立ちなんだけど。
「ラウラさんも……普段と印象が変わって……似合ってる、すごく」
「ありがと…」
そこで少し間が空く。
僕は頬がなんだかしゅわしゅわしたというか、不思議な感覚だし、ラウラさんも頬が少し赤い……気がする。
くっ、服装を褒めるなんてよくある話なのに、どうしてこうじれったいような空気になるのか。
「カフカさんたちは?」
「さっきオーエンさんと合流しにいったよ」
よかった、流れが通常に戻った。
互いに顔を見合わせ、ようとして、ちょっと逸らし気味になる。
顔を覗かれたら、きっと照れてしまう。
何気ない風体で入口近くに立っている時計を見れば、時刻は八時五十分。予定より、十分ほど早いけれど。
「じゃあ、行こうか?」
「うん」
何となくぎこちないような、じれったいような、もどかしいような……あれ、言葉の意味が重複しているぞ……思考が混乱しているらしい。ラウラさんとは二回ほど二人きりで歩いたことがあるし、その後もカフカたちと一緒だったけれど登下校していたじゃないか。
「あ、ちょっと待って」
ちょっとばかり緊張した思考を戻していると、ラウラさんが小さなイヤホンとボタンのようなものをくれた。
これは、まさか……。
「これでリーシェたちと通信できるから」
「リアルで見るの、初めてだよ」
通信機セットだった。
本当におとり捜査とかしている気分になりそうだよ。
使い方を教わり、通信機を耳と襟に装着したところで、
『聞こえていますか? 今、貴方の耳に直接語りかけています』
「うん、聞こえているけど、そこは頭とか心じゃないかな」
通信機からカフカの声が聞こえてきた。カフカとだけなら能力による思念会話ができるので、機械を使っての会話は、なんというか新鮮だ。カフカ、携帯持ってないからなぁ。
『正常に動作しているようですね。何かありましたらこのように連絡します。実里さんたちもよろしくお願いしますね』
「わかった」
『それと実里さん、円迎寺さんのこと、褒めてあげましたか?』
「おま、それ言うか」
この通信、ラウラさんにも聞こえているんじゃないのか? そう思ってラウラさんの方を見ると、小さく首を傾げられた。どうやら、ラウラさんへの通信は切ってあるようだ。
『実里さんの事ですから、大方見惚れてしまって』
「テスト通信終了!」
確かに見惚れてたけど褒めたよ! と心の中で盛大にツッコむ。
通信機のスイッチを切ると、待ってくれていたラウラさんがきょとんと眼を丸くして僕を見ていた。
「……どうしたの?」
「なんでもないよ―」
「?」
いぶかしむラウラさんだったけど、特に気にすることもないと思ったのか、「じゃあ、今度こそ行こっか?」と歩き出し、僕もその隣に並ぶ。
こうして、僕とラウラさんの作戦……もといデートが始まった。




