紅い目の娼婦の話
やあ、作者のEKAWARIです、ばんははろ。なんとなく書きたくなったので、筆の勢いとかだけで書いてみました。なんてことのない話ですが、よろしければどうぞ。
それはとても月が紅い夜の話でした。
彼女がそう言ったのはのは随分と昔のことだ。ただ、今空を見上げるその紅い目は僕を見てなどいない。いや、盲目である彼女が見れるはずがないのだ。白い髪に真っ白な肌、彼女はアルビノだった。
生まれつき真っ赤なその目は、元々普通の人間のように人を見ることなど出来ないのだと、いつか彼女は言った。光が眩しくて外になんて出れないと、そう言った。馬鹿みたいよね、そもそも私がここを出るわけがないのに。
そうやって笑う彼女が儚くて、僕は思わずその細い肩を抱きしめる。
「どうしたの?」
あどけない顔で、おっとりとした声を出す。
「好きだ」
「馬鹿ね」
仕方ない子だこと。そう言いながら彼女は笑った。そっと白魚のような手を僕の首に伸ばす。
「貴方と私は所詮一夜の関係なのに」
「こういうときは、嘘でも肯定するものなんじゃないか?」
からかうような口調でそう言って、盲目の彼女が怖がらないように優しく時間をかけてその体を包み込む。声だけなら完璧に取り繕えている自信がある。でも、一方で今の僕は酷く情けなく泣き出しそうな表情をしているに違いないのだ、こういうとき今は彼女の目が見えなくてよかったと思う。いや、見えていたとしても健常者のようには見えなかったという彼女には、僕の顔はもしかしたらわからないのかもしれないけれど。
「それを貴方は望んでいたの?」
「いや。君だけは有りの侭でいてほしい」
「本当に馬鹿ね」
呆れたような声で笑い、女は厚い唇を僕の唇に重ねる。
「所詮私は娼婦なのに」
僕と彼女は幼馴染だった。
貧乏な飲み屋の一人息子の僕と、娼館の娘だった彼女。
本来なら親が娼婦というわけではなく、あくまで娼婦館を経営していた館の主である彼女が娼婦に落とされることなんてなかったはずだろう。きっと、娼婦への扱いをレクチャーされながらも、跡継ぎとして扱われたのではないかと思う。
ただ、そう生きるには彼女はあまりにも異端だった。
白い髪に白い肌、真っ赤な瞳。生れ落ちたときからあまりに人と違っていた。おまけに、その目は普通の人間のように見えているわけでもなく、太陽に弱く、人ごみに紛れ込めるわけでもない。結果、内気な少女になるのも仕方ないことだった。親の職業で馬鹿にされることすらあっただろう。そして彼女の親はそんな娘をもてあましていた。
異端には子供こそが敏感だ。自然、彼女はいじめのターゲットになった。
彼女を初めて見たのは6歳の春のときだ。親父から言われて酒の配達をした帰り、自分達より少し年上くらいの少年が3人彼女を囲って暴行を加えていたのを見たのが始まり。
「お前ら、女の子相手に何やってるんだよ!」
僕は怒った。相手が年上だとか、相手は数が多いとか気にもせず掴みかかって殴った。逆に何度も殴りかえされもした。でも、許せなかったのだ。うちは貧乏だったけど、母ちゃんはいつも女の子を大事にしないといけないよと言っていた。親父も女の子を守ってこそ男は一人前なんだと言ってた。両親が自慢だった僕はそれを信じた。やがて、根負けしたのだろう、いじめっこ3人はどこかへと去っていった。
「だいじょうぶ?」
おずおずと呼びかけられた声に、思わず振り向く。
「ああ、こんくらいなんでもな・・・」
そのとき僕は固まった。
見たこと無いくらい真っ白な肌に、白い髪、そして初めて見た紅い紅い瞳。その頃の僕はアルビノという名前すら知らなかった。
「・・・ごめん、なさい」
視線に気付いたのだろう、下を見ながら彼女は消えそうな声でいった。
「な、なにがだよ」
動揺しながらも言葉を返す。顔中痣だらけの少女は「きもち、わるいよね」と確かにそういったのだ。
衝撃が走った。そして、彼女の姿を見て固まった自分を恥じた。
「そんなことない!!」
気付いたら全力の力で彼女の肩を握り締めていた。
「いたい・・・」
「あ、ごめんっ」
ぱっと離れる。思えばこれが家族以外の女の子に触れた初めてだ、思わず赤面する。
「・・・わたし、こんなかみやめのいろだよ?」
「キレイだよ」
きっぱりと言い切った。
「だって、ルビーと同じ色している。キレイだ」
そう僕が言うと彼女ははじめきょとんとして、それからふわりと笑った。
「―――ありがとう」
正直なことを言えば、彼女は別に容姿に恵まれているわけじゃない。大きくも小さくもない目に、若干太めの眉。ちょっと小さい鼻、ぽっちゃりと厚めの唇をした丸顔で、体だって痩せっぽちだった。
顔や姿はどうしようもなく人並みで、ただ色だけが他の人と大きく違っていた。
でも、その出会った日の笑顔はあんまりにも綺麗で、僕はそう、その笑顔を見た瞬間から既に彼女のことが好きになっていたのだ。
時々、家の手伝いの合間をぬって彼女の元にいく。二人で何をするでもない。一緒にいるのにずっと無言で背中を合わせて過ごしただけの日だってある。
それでも幼い僕にとってそれは幸せだった。
幼い彼女は母親が経営している娼館ではなく、僕の家の近所にある父親の実家に預けられていた。彼女を訪ねる人は他にはいなくて、それが彼女の特別みたいで僕は嬉しかった。
そして、8歳になった春が近い冬解けの日、彼女は珍しく夜に僕を呼び出した。
どきどきとしながらも、僕はその彼女の言葉に従ってこっそりと彼女の家に行った。
彼女はあどけなく笑いながら、「今日は一緒に寝てほしいの」とそう言った。僕は「う、うん」と返事をかえして、彼女の布団の横に添い寝する。ばくばくと、心臓が煩くて、誤魔化すように彼女が見ていない窓のほうを向く。まるで彼女の目の色みたいに、月が真っ赤だ。
「こんな夜のことをいうのかな・・・」
ふと、そんな彼女の声が聞こえて、そろっと彼女の顔を見る。その、あまりに儚い様子に、鼓動の高鳴りは一気に醒めた。
「それはとても月が紅い夜の話でした」
そういって語られる寝物語。まるで唄うように朗々と彼女は言葉を紡ぐ。それがまるで神聖な儀式のようで、僕は彼女の言葉を一言一句違わずに耳で拾った。
彼女が語ったのは一つのなんてことはない悲劇の物語だった。
神様の嫉妬を受けて人食いの化け物に堕とされてしまった女の話。女は泣きながらかつて愛したもの全てを食べてしまう。ただ一人残った夫だけは食べたくないと、でも獣の本性が妻を邪魔する。夫は変わり果てたその魔物が愛した妻だとわかって、自らを差し出し、そして、妻は自ら崖に飛び込んだ。夫は妻を追いかけ崖の下にたどり着いて、そして元の美しい人であった頃の姿に戻って死んでいる妻の亡骸を抱えながら泣いた。それを見ていた別の神様が二人を哀れに思って、妻の亡骸を空へと引き上げた。その血が月にかかって、月は時々紅く染まるようになったのだと、そんな話。
「だからね、月が紅くなるのは夫婦の死を嘆き悲しんでいるからなんだよ」
「そっか」
「・・・うん、そうなの」
そう言って彼女は寂しそうに笑った。その真意を思えば何故その時聞き出さなかったのか。
次の日、彼女の家に訪ねると、彼女はいなかった。父親は彼女がどこにいったのかを最後まで僕にいうこともなく、ただ忌々しそうに追い出した。
それから10年近い歳月が流れ、僕は一度も娼館に行ったことがないという噂を聞きつけた悪友につれられて、初めてその界隈を訪れることにしたのだ。
本当は僕はこういうところが好きじゃない。母ちゃんは娼婦なんて碌でもないといってたし、娼婦を買うほど金があるわけでもないし、何より人間を物扱いする商売であることが嫌だったのだ。そういうことを言うと「堅物」と呆れた様に言われるだけではあったけど。
「よし、初めてのお前には、珍しい奴をあてがってやるよ」
「はぁ?」
「まあ、ついてみてのお楽しみってことで」
そうやって心底楽しそうに笑うこいつの気持ちがわからない。何が楽しいっていうんだ。
「おや、あんた久しぶりじゃない」
「あ、おばちゃん。今日はさ、我が親友殿がまだ一度も娼婦遊びしたことないっていうからさ、連れてきたのだ」
にこりと笑う40がらみの女性。おそらくはこの娼館のオーナーだろう、と友人は親しげに話しを進める。思わずため息をそっとこぼす。
「相手はこっちで選んでいいのかい?」
「いんや。『白』空いてる?」
「ああ、あの子ね、物好きだねえ」
呆れたような女の声に、今から頭が痛くなる。
「白!出番だよ、早く来なっ」
そして静かな声で「はい」と言ってやってきたその彼女の顔を見た瞬間、驚きに目を見開いた。
10の歳月を経ていても間違うはずがない。その、白い髪、白い肌、紅い瞳。彼女だ。なんで、彼女がここに?いや、娼婦だって?彼女が!?心臓が嫌な音を立てる。煩い。黙れ。
「アルビノだって。珍しいだろ?・・・およ、どうしたの」
「なんで・・・」
思わず駆け寄って、その細い肩を掴んで僕は怒鳴っていた。
「なんで、君がこんなところでこんなことをしているんだ!!」
「あ、あの・・・」
おずおずと細い肩が震える。
「ちょっと、ちょっと、ちょっと」
女将が呆れたような声して割り込んでくる。
「あんた、うちの娘にいきなり何するんだい。乱暴するんなら帰っておくんな」
「おい、お前らしくないぞ。どうしたんだよ?あーあ、怯えてんじゃないか、大丈夫?」
ひょこりと彼女の顔を覗き込む友人。
「お前ももうちょっと気をつけろよ。この子・・・ただでさえ目が見えないんだから」
え?目が見えない・・・?だって、確かに普通の見え方はしないけど、見えてるって言ってたはずなのに。ぐるぐると、頭の中が定まらない。
「あの・・・どこかでお会いしたことがありましたか?」
そういって全く焦点が合わない目が真実を語っていて、僕は不覚にも泣き出しそうになりかけながら、それを意地だけで隠した。
考えてみれば当然だったのだ。
10年も経てば人はかわる。僕はあれからずっと背も伸びたし、顔つきも体つきもかわった。髭も生えるようになったし、声変わりだってした。あの紅い目に誰も写せなくなった彼女が、10年前の幼馴染のことがわからなかったとしても、一体誰が責められようか。
初めて抱いた彼女の体は、抱かれなれているそれで、わかりきっていたはずなのに、そんなところでも彼女が娼婦だと思い知らされて悲しかった。
でも、やっぱり彼女は彼女だった。
何も映さぬようになっても、紅い瞳はルビーのように綺麗で、娼婦なんて職業についているのにどこまでも明け透けで、あどけない。
なけなしの金を集めて度々彼女の元に通って、一夜の契りを交わしながら「キレイだ」と「好きだよ」を繰り返した。まるで思い出にすがっているようだと、自分を自嘲した。
最初はお世辞だと思ったのか、普通の客へ接するような言葉を吐いていた彼女も、やがて僕の本気に気付いたのか「馬鹿ね」そう言った。寂しそうに自嘲する微笑をうかべながら。
僕は彼女の幼馴染だと一度も名乗ったことはない。いつか、気付いてくれるんじゃないかと、そんな奇跡にすがっていた。
こうして彼女の元に通うようになってもう一年になるだろうか。母親は僕が娼婦の元に通っていることに嘆き悲しんで、怒ってなじって、それでも僕はやめようとしなかった。
はじめは面白がっていた友人も「そろそろやめておけよ」そう言った。ああ、そうだな。僕に彼女を身請けするような金なんてない。まわりが心配するのも当然なのかもしれない。真面目な働き者で通っていた僕と、娼婦の彼女。周囲から見たら女にかどわかされていると感じてもそれは仕方ないのかもしれなかった。
そして、紅い月を見ながら、彼女の部屋から出ようとしたその時、ぽつりと彼女は言った。
「もう、来ちゃ駄目よ」
「・・・また、来るよ」
「本当に馬鹿な子」
それは泣いているような乾いているような不思議な声。まるで、いつかの夜みたいだ。
「でもね・・・・・・嬉しかった」
その声は風に溶けるように響いた。
「出て行け!!」
ガシャン、そんな音を立てながら親父は俺をテーブルへと思いっきりぶん投げた。
「貴様みたいな馬鹿息子の顔など、見たくもない!!」
そのまま、バンと閉め切られる扉。僕はそれらに一切逆らわなかった。ただあるのは罪悪感。
元々俺の稼ぎで娼婦通いをするほうが無理があったのだ。再三やめろと、次にやったら親子の縁を切ると忠告されてきたはずだ。そして今日、親が用意した見合いの席で、よりにもよって相手の女性の目の前で好きな女がいるのだと、だから無理だと答えた。その惚れた女が誰のことなのか親父達にわからない筈が無い。だから、これはわかりきった終わりだった。
馬鹿な話だとわかっている。初恋の相手だとしても、幼馴染だとしても、相手は僕が誰かわからなくて、ただの娼婦と客だと思っているのだから、それのために人生を棒に振るなんて、誰が考えても馬鹿げているじゃないか。
はは、そうして帰る家すらなくしたのか、僕は。
これからどうしよう。金がないんじゃ彼女に会いにもいけないのに。
それとも・・・いっそ浚ってしまえたらよかっただろうか。
馬鹿な話だ。8歳だったあの日、彼女が最後に僕に送った信号に気づかなかったのは僕だったというのに、今更だ。
そう思っている間もどんどん足は歓楽街のほうへ向かう。
嗚呼、そういえば、彼女に贈り物とかしたことなかったな。ルビーの瞳の彼女には、きっと真っ赤な薔薇がよく似合う。今日、会えなくても、それでも花を渡すくらいは許されるだろうか。そして、僕は花屋に向かって、足を進めて・・・。
「え?」
人ごみに足を止めた。
そこには、白く長い髪を撒き散らしながら、紅い花を咲かせた一人の若い女。
ぐちゃりとはみ出している内臓、馬車の男が何事かを怒鳴っている。全部聞こえない。だって、その顔、その目は・・・。
「なん、で・・・」
真っ白なその手を掴む。真っ赤な瞳は何も映し出していない。ひゅーひゅーと、女の口から声が聞こえる。生きている。
「なんで、どうしてだ。なんで、君がここにいるんだ!?なあ、おいっ」
盲目の彼女、太陽に弱いアルビノの彼女は、娼婦になってから一度も外に出ていない。そのはずだった。なのに、なんでここにいるんだ。理解が出来ない、からからと喉が渇く。
グシャ。そんな音が聞こえ、目の前の女がか細い悲鳴を上げる。馬車の男は彼女を轢いたままどこかへと去って行った。
「なんでっ・・・!」
滂沱の如く涙が次々に流れる。大きくなってからこんなに泣いたことなんてない、自分のどこにこんな涙があったのかわからない。ただ、子供のように嗚咽をあげ、泣き叫んだ。
そっと、白い手がのばされる。痙攣しながら、僕の手を優しく撫でた。その顔は笑っていた。
「・・・・・・・・・そ・・・・っ・・・か」
か細い声で、今にも消えそうな声で彼女が言葉を紡ぐ。
「う・・・ぁ、っぁああ」
「・・・・・き・・み・・・だ・・った、ん・・・だ・・」
今にも命をこぼしてしまいそうなのに、その声はどこか幸せそうで、頭の中がぐちゃぐちゃになる。
「い・・・ま・・・まで、・・きづ・・くて・・ごめ、・・・・・・んね」
ふるふると僕は頭を左右に振る。彼女の紅い目には見えてない、そんなことすらどうでもよかった。
「・・・あ・・・りがと」
そう言って笑った彼女の顔は、あの日見惚れた綺麗な笑顔だった。
その後男がどうなったのか、それは知らない。
そう、これはただそれだけの話。
紅い瞳の娼婦と、あまりに愚直すぎた男の、どこにでもありふれた話。
それでも紅い月は謡う。彼らへの鎮魂歌を。
了
どうもご読了いただき有難うございました。
今回、登場人物に名前を出さないというテーマで取り掛かってみましたが、中々大変でした。感想いただけたら嬉しく思います。