君の知らない君
私は私ではない。私の体の持ち主は私ではなく、私はショックで生まれた別人格である。
この体の主は先日事故に遭いその時のショックで人格が眠ってしまったらしい。前の人格の記憶をある程度引き継いでいるが人間関係等はさっぱりだ。人物を見て誰なのかは分かるがその人物の嫌いなものやどんな事を話したのかなどがわからない。そして、前の私の人格の記憶が一切ない。
ついさっき両親が来て、体をかなり心配してくれていたが五体満足で怪我もしていない。私は話したらボロが出ると思い、『疲れてるから』と言って帰ってもらった。
このまま私が私のフリをして生活するのはかなり困難だと初めは思ったが、身体の動きがだんだんと鈍くなっている事を考えるともうすぐ元の人格に戻るだろう。そうなってくるとやりたい事は済ませておきたい。元に戻る時、私は第2の人格として居座り続けるのかそれとも無になるのか。
考えるだけで怖くなったので窓を開けて空気を入れ替えることにした。春風が部屋を満たして桜の花びらが入ってくる。私は初めて春を感じた。暖かい風とじんわり暖かい日光。春めくという感覚が少しだけわかった気がする。窓から見える桜を見ながらぼーっとしているとお腹が鳴ったのでさっき両親がくれた果物カゴから無作為にりんごをとり、皮を丁寧に剥き6等分した。断面に蜜が見えていて随分といいりんごなことがわかる。噛むと甘い果汁が口に溢れた。味の記憶があるとはいえ実際に食べるのとは訳が違う。止まらず私は2つ目に手をつけた。
すると病室の扉が勢いよく開いた。息を切らし両手には大きな花束を抱えている。病院のルールを無視して廊下を走ったことがよくわかる。
「よかったよかったよかった!」
バタバタと私のベットに近づきさっきまで両親が座っていた椅子に腰掛ける。彼は私の彼氏に当たる人物で私が目を覚ましたと聞いて急いで来てくれたんだろう。走ったせいで髪もスーツもグシャグシャだ。
彼は花束を棚に置き私の目を見つめた。
「医者から聞いたけど大丈夫か?頭とか痛くない?腕とか大丈夫なのか?」
「だ、大丈夫。全然痛くないよ。ほら、手とか動くし後遺症もないよ。だから、ほら、落ち着いて」
私がそういうと彼は安心したように息を漏らした。この人は本当に前の私が好きなんだろう。少し申し訳ない。
「目を覚ましてよかった。俺、出張してて事故の後も見舞いに来るの遅れて、本当に怖かった」
彼の目から涙が溢れて泣き出してしまった。そのまま布団に顔を埋めて泣き続けたので頭をゆっくり撫でてあげた。ただ、彼は切り替えが早くすぐに泣き止んで、姿勢を正した。
「よし、じゃあ本題に入ろう。君は誰?」
思考が止まり、声が出なかった。彼の目は真剣そのもので茶化しているわけでもなさそうだ。ここで嘘をついても何もいいことがないし、さっきから足の感覚がないので時間もない。私は真実を打ち明けることにする。
「私は事故のショックで生まれた人格」
理解できてなさそうな顔だ。ポカンとした顔がなかなか面白い。私は思わず笑ってしまった。
「アハハッ、何その顔」
「ハハ、ちょっと理解が追いつかなくて。俺の知っている人格には戻らないのか?」
「心配しなくても大丈夫、もう直ぐ入れ替わるから。それにしてもなんでわかったの?」
私は一番気になった事を前のめりで聞いた。
「事故に遭う前はもっと話し方がおっとりしてたんだ。でもそれは事故で色々パニックになったからかなとも思ったんだけど確信に至ったのは今手に持ってるりんごかな。大嫌いなリンゴをわざわざ自分で皮を剥いて食べるわけないし好き嫌いは事故でも変わらないと思ったんだ」
「なるほどね。そればっかりは対策しようがないな。バレたらパニックになるかと思って隠したけど意外と冷静だね」
「俺にどうこうできる問題じゃないし。俺は君を信じてるから」
こんないい彼氏を持って前の私はさぞ幸せだっただろう。どうやらこの空間に私の居場所はないらしい。
感覚の喪失が腰のあたりまできた。もう直ぐこの体は元も人格に返される。
私が生まれた意味はなんだったんだろう。考えても仕方がないことだが私は目の前の彼に意地悪がしたくなった。
「ねえ、もうすぐこの体はあなたの知ってる私に入れ替わるんだけど、私ってなんのために生まれたと思う?」
無理だ。答えられるはずもない。本当にないんだから。私はきっと消える。じわじわ消えていく感覚がそれを確信させる。また事故でもあったらその時に出てくるのかそれともその時に出てくるのはまた別の私か。
私はまだ、春風に揺られ、日を浴びて、このりんごを食べたい。消えたくない。消えたくない。
ただ、この呪いの質問だけは撤回したくて私は口を開いた。
「ごめん、忘れt、」
すると彼は花束から一本赤色の花を抜き出した。その花をもう握れない私の手に握らせてギュッと包み込んだ。
「この花束は俺の大事な人にあげるものだからあなたにはあげられない。でも、君は俺の大切な人の一部。だから、これは俺からのプレゼント。君が生まれた意味は俺と話して俺があなたを覚えていること」
まっすぐなその目は嘘など含んでいない純粋な目だった。安心と喜びで涙が出そうになったが時間だ。必死に堪えて私の思いの全てを一言にのせた。
「ありがとう」
彼女の意識が消えて俺はベットに寝かせようと布団を被せると彼女は目を覚ました。
目を擦りながら周囲を確認している。俺の顔を見るなり安心したのかゆっくり起き上がってきた。
「おはよう、、、あれ、どうしたのこのりんご。誰か来てたの?」
「うん。その人はりんごが好きでね」
「私の知り合いにいたっけ?そんな人」
「君の知らない君は、どうやらりんごが大好きらしいんだ」




