表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界で潰れかけの宿を任された俺、 朝粥と売れ残り食材で街の食卓を変えていく 〜はずれスキル『食材帳』の料理人〜  作者: 青い海の人


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/18

【第4話】最初の朝食

灰白亭の朝は、暗いうちに始まった。


まだ空は青くも白くもない。

夜と朝のあいだの、冷たい時間だ。


厨房の火口の前で、恒一は腕を組んでいた。


鍋はもう火にかかっている。

昨夜から水に浸しておいた黒麦と豆が、ゆっくりと温まり始めていた。


「……早い」


背後でミアがぼそりと言う。


髪はぼさぼさで、目は半分しか開いていない。

だがちゃんと起きてきた。


「起こしたのはお前だろ」


「起こすとは言ったけど、こんな時間だとは思わなかった」


「朝食だからな」


「夜じゃないのは分かるわよ」


ミアはふらふらした足取りで厨房に入り、桶の水を一口飲んだ。


「本当に来ると思う?」


「誰が」


「客よ」


恒一は鍋の蓋を少しずらした。


湯気がふわりと立つ。


黒麦の香り。

豆の甘さ。

ほんの少しだけ、鳥脂の匂い。


「来なかったら?」


ミアが聞く。


「その時は俺たちが食う」


「それ、かなり悲しいわね」


「腹は満たされる」


「慰めにならない」


ミアはため息をつき、棚から器を取り出した。


木の器。

全部で十個。


「多すぎない?」


「足りないよりいい」


「誰も来なかったらどうするのよ」


「明日食う」


「三食黒麦粥?」


「悪くない」


「私は嫌」


言いながらも、ミアは器を並べ始めていた。


鍋の中で、黒麦がふくらんでいく。


水を吸った粒が少しずつ柔らかくなり、豆もほどけてくる。


恒一は木べらで底を返した。


重い。


だが、その重さがいい。


黒麦は腹に残る。

豆は甘みを出す。

そこへ塩をほんの少しだけ。


食材帳のページが静かに光った。


――推奨:弱火維持

――撹拌頻度:中

――塩投入:現在


「便利すぎるな」


「だから何なのよ」


「いや、独り言」


塩湯を少し落とす。


味が立つ。


最後に、刻んだ葉物をひとつまみ。


緑が浮いた。


「……できた」


「早い」


「粥は時間をかける料理だ。最後は一瞬だ」


ミアは鍋を覗き込んだ。


「昨日より匂いがいい」


「昨日は夜だったからな」


「朝だと違うの?」


「朝は鼻が正直だ」


「よく分からない理屈」


「料理人の理屈だ」


ミアは器を一つ持ち上げた。


「盛る?」


「まだ」


「まだ?」


「客が来てからだ」


「冷めるわよ」


「匂いが飛ぶ」


「同じこと言ってる」


その時だった。


扉がぎし、と鳴った。


二人とも同時に振り向く。


入ってきたのは、あの大男だった。


昨日の客だ。


「……朝からやってんのか」


恒一は少し笑った。


「やってる」


「匂いで分かった」


大男は席にどかりと座った。


「あるなら食わせろ」


ミアが恒一を見る。


恒一が頷く。


「一人前」


ミアは鍋から粥をよそった。


湯気が上がる。


朝の光が窓から差し込み、その湯気を白く浮かび上がらせた。


大男は木匙を持ち、すぐに口へ運ぶ。


そして――


動きが止まった。


「……どう?」


ミアが聞く。


大男は、ゆっくりもう一口食べた。


それから言った。


「腹が起きるな」


恒一は少しだけ笑った。


それは料理人にとって、かなりいい言葉だった。


「酒のあとでもいける」


「それも狙いだ」


「値段は?」


ミアが言う。


「銅貨三枚」


「安いな」


「朝だから」


大男は頷いた。


「毎日食える値段だ」


その時、また扉が開いた。


今度は、見知らぬ男だった。


市場へ向かう途中らしい。

作業着で、肩に袋を背負っている。


「……飯ある?」


「あります」


ミアは即答した。


少しだけ声が震えていた。


だが、ちゃんと宿の声だった。


男は席に座った。


大男が隣から言う。


「食っとけ。腹に落ちる」


「へえ」


それから、もう一人。


今度は若い女だった。

両腕で壺を抱え、扉のところで少し息を整えている。


「持ち帰りできる?」


ミアは、完全に目を見開いた。


「……できる」


恒一は鍋を見た。


黒麦粥は、まだ半分以上残っている。


でも、減り始めている。


ゆっくり。


だが確実に。


「……ねえ」


ミアが小声で言った。


「なんだ」


「これ」


「うん」


「もしかして」


恒一は鍋を見た。


湯気が、また静かに立つ。


「最初の朝食だ」


ミアは、少しだけ笑った。


「そうね」


灰白亭の朝は、まだ始まったばかりだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ