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異世界で潰れかけの宿を任された俺、 朝粥と売れ残り食材で街の食卓を変えていく 〜はずれスキル『食材帳』の料理人〜  作者: 青い海の人


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【第3話】 この宿、俺が立て直す

その夜、灰白亭には珍しく長く灯りが残った。


旅人二人は追加でパンを頼み、隅の大男は結局もう一杯スープを飲んだ。派手な売上ではない。

だが、ミアが帳場で硬貨を数える手つきは、恒一が最初に見た時よりずっと生きていた。


「銀貨一枚と、銅貨十四枚……」


彼女は机に並べた硬貨を指先で弾き、もう一度数え直した。


「見間違いじゃないわよね」


「硬貨は増えたり減ったりしないだろ」


「この宿ではたまに減った気がするのよ」


「それは気のせいじゃなくて経営が悪いだけだ」


「分かってるわよ」


ぴしゃりと返してから、ミアは机に突っ伏した。


「でも、久しぶりなの。夕食だけでこれだけ入ったの」


「普段は?」


「ひどい日は銅貨五枚とか」


「終わってるな」


「言い方!」


だが、否定はしなかった。


恒一は空になった鍋を洗いながら、店内を見回した。


客席は全部で八卓。

二階に客室が六つ。

建物は古いが、広さだけなら十分ある。


うまく回れば、食堂だけでもかなり人を受けられる規模だ。

それなのに、今の売上がそれでは厳しい。


「固定費は?」


「こていひ?」


「毎日じゃなくても、必ず出ていく金だ」


「ああ……薪、水、塩、食材、補修、税。それと借金返済」


「借金、いくら残ってる」


「聞く?」


「聞く」


ミアは少しだけ目を伏せた。


「銀貨百八十七枚」


「重いな」


「重いのよ」


銀貨の重さはまだ感覚では分からない。

だが、彼女の言い方だけで十分だった。


「返済は毎月?」


「十日ごと」


「細かいな」


「貸した相手が優しくないの」


優しい金貸しなど、たいていこの世にいない。


恒一は洗った器を拭きながら考えた。


今夜の客は、たまたまだ。

旅人は流れる。

大男も毎晩二杯飲んでくれるとは限らない。


必要なのは、もっと地味で、もっと強い導線だ。


毎日、人が自然に寄る理由。


「朝は何を出してる」


「出してない」


「は?」


「泊まり客が少ないから。前は出してたけど、手間のわりに赤字でやめた」


「パンだけでも?」


「焼き置きの固いのを出して文句を言われた。二度と泊まらないって」


「だろうな」


「分かってる!」


ミアは椅子の背にもたれ、天井を仰いだ。


「前の料理人も言ってたのよ。朝は儲からないって。安くしないと売れないのに、安くすると材料代も出ないって」


「その人、うまかったのか」


「……最初は」


「最初は?」


「途中から雑になった。人が減って、焦って、もっと雑になって、辞めた」


よくある話だった。


売れない。

焦る。

質を落とす。

もっと売れない。

壊れる。


店はそうやって静かに死ぬ。


「朝食、やろう」


「え?」


「宿でいちばん信用になるのは朝だ」


「でも赤字だって」


「やり方次第だ」


恒一は布巾を置いた。


「豪華にする必要はない。温かい汁物、ちゃんとした主食、少しの塩気。腹が起きる飯があればいい」


「言うのは簡単よ」


「だから考える」


そう言って、恒一は食材帳を開いた。


今はもう、勝手に浮かぶ文字にも少し慣れてきていた。

白いページに、薄い光で文字が並ぶ。


――記録済み食材:六点

――灰塩(並)

――アニオン(玉ねぎ類似根菜)

――白豆類似乾物

――乾燥獣肉(低級)

――葉物(苦味弱)

――黒麦類似粉物


「……黒麦?」


「なによ」


「この粉、何から挽いてる」


「倉庫の? 黒麦よ」


「名前そのままだな」


「何だと思ったのよ」


倉庫から持ってこさせた袋を開くと、灰色がかった粗挽き粉が入っていた。

手触りは重く、精製も甘い。だが香りは悪くない。


食材帳の文字が変わる。


――黒麦類似粉物

――吸水高/発酵弱/焼成で香ばしさ増加

――推奨:薄焼き・粥・団子


「パンが固くなる理由、これか」


「なに?」


「発酵が弱い粉なのに、膨らませようとしてる」


「……あ」


「向いてないことをやると、余計まずくなる」


「それ、耳が痛いわ」


「宿全体の話じゃないぞ。今は粉の話だ」


「今わざわざ言う必要あった?」


恒一は少し笑って、袋を閉じた。


この食材帳は、やはり便利だった。


何でも生み出す能力ではない。

だが、今あるものの正しい出口を示してくれる。


料理人にとって、それは派手な魔法よりよほど強い。


「朝は粥にする」


「かゆ?」


「黒麦を煮る。豆も少し混ぜる。塩は抑える。上に香りのいい油か、刻んだ葉物。もし卵みたいな安い食材があるなら理想だ」


「卵は高い」


「じゃあなしだな」


「即答ね」


「朝飯は続けられないと意味がない」


ミアは少し考え込み、帳場の下から古い板を引っ張り出した。

そこには仕入れ値らしき数字と、雑な計算が並んでいる。


「黒麦は安い。豆もまだいける。問題は薪よ。朝から鍋を回すと燃える」


「前日の火をうまく残せばいい」


「残せる?」


「やる」


「……やるって言うわね」


「その代わり起こしてくれ。寝坊したら終わる」


「起こすわよ。容赦なく」


話がまとまりかけた、その時だった。


棚の上で、こと、と乾いた音がした。


ミアが振り向く。


「なに?」


「今、音しなかった?」


「したな」


二人で見上げると、棚の端に置いた食材帳が、ひとりでにぱらりとページをめくっていた。


ミアには、風もないのに紙が動いたようにしか見えないらしい。

だが恒一には、そこに浮かぶ文字がはっきり読めた。


――簡易再現を開放しました

――条件:一度成功した調理に限る

――効果:味の基礎再現補助

――補足:素材の質が低い場合、完全再現不可


「……へえ」


「なによ、その顔」


「ちょっと面白いことが分かった」


「一人だけ納得しないで」


「たぶん、さっきのスープと同じ系統の味を少しだけ安定させられる」


「どういうこと?」


「毎回、ゼロから勘で当てなくていいかもしれないってことだ」


「そんな都合のいい話ある?」


「俺も今そう思ってる」


正直、信じきっているわけではない。

だが、試さない理由もなかった。


恒一は鍋に少量の水を張り、先ほどと同じ材料を少しだけ入れた。


アニオン。

乾燥獣肉。

豆。

塩湯。


そこへ、食材帳に手を添える。


すると手のひらの下で、じんわりとした熱が広がった。


「……おいおい」


「だから何よ」


「静かに」


「今いちばん静かにしてるの私なんだけど」


鍋の匂いが、少しだけ変わる。


ほんの少しだ。

火加減も、順番も、人の手が必要なのは変わらない。


だが、味の芯がぶれにくくなる感覚があった。

まるで、失敗しやすいところにだけ薄く線が引かれているような。


料理そのものを代わりにやってくれるわけじゃない。

けれど、基礎の再現を支えてくれる。


「……十分だな」


恒一は小皿に取り分け、口をつけた。


さっきの出来には届かない。

だが、似た方向にはちゃんと乗っている。これなら毎回のぶれをかなり減らせる。


「どう?」


「使える」


「便利なの?」


「かなり」


「何が起きてるか全然分からないんだけど」


「俺も半分くらいしか分かってない」


「半分も分かってるなら十分じゃない」


「そうかもしれないな」


ミアは胡散臭そうな顔のまま小皿を受け取り、ひと口すすった。


それから、ゆっくり目を細める。


「……ほんとだ」


「なにが」


「さっきのスープに近い」


「だろ」


「怖いんだけど」


「魔法のある世界で今さら何を」


「それとこれとは別!」


しかし、その怖さの下に期待があるのも分かった。


毎回奇跡みたいに当てるんじゃない。

再現できる。


それは店にとって、生命線だった。


宿屋の料理は、一度の名作じゃ足りない。

昨日うまかったから今日も入る。

今日も悪くなかったから、今度は泊まる。


その積み重ねでしか、客は戻らない。


「よし」


恒一は言った。


「明日の朝、黒麦粥と豆の塩煮、それから薄焼きにする」


「薄焼き?」


「この粉は膨らまない。でも薄く焼けば香りは出る」


「クレープみたいな?」


「甘くないやつだな」


「分かった。じゃあ仕込みは?」


「今から半分やる。朝は火を入れるだけに近づける」


「今から?」


「商売する気なんだろ」


「……する」


「なら寝不足は歓迎しないが、今夜は必要経費だ」


「やっぱり偉そうなのよね」


「厨房ではな」


「それ、便利な言葉だと思ってない?」


言いながらも、ミアはもう立ち上がっていた。


倉庫から黒麦を運び、豆の量を量り、古い鍋を磨き直す。

その動きには、さっきまでの惰性が少し減っていた。


店が回る時の顔だった。


恒一も袖をまくる。


異世界に飛ばされ、腹を空かせ、わけの分からない帳面を拾った。

その上で今やっていることが、結局は閉店後の仕込みなのは少し可笑しかった。


案外、自分はどこへ行ってもこれをやるのかもしれない。


「ねえ」


豆を洗いながら、ミアが言う。


「もし明日、誰も朝ごはん食べなかったらどうする?」


「その時はその時だ」


「軽いわね」


「軽くない。けど、一回やらないと次もない」


「……そうね」


少し間があいてから、彼女は小さく付け加えた。


「明日、誰か来るといい」


「来させるよ」


「どうやって」


「匂いと値段と、あと運だな」


「最後が雑」


「商売はだいたい最後そこが強い」


その時、二階からぎし、と床板の鳴る音がした。

泊まり客のどちらかが部屋で動いたのだろう。


宿はまだ、眠りきっていない。

死んではいない。


黒麦を水に落とすと、粒が鈍く沈んだ。

豆も加える。


明日の朝には、少し柔らかくなっているはずだ。


食材帳が、また静かに文字を浮かべる。


――連続調理を推奨します


恒一は、豆を洗う手を止めずに黒麦の袋を見た。


鍋で煮れば腹に残る。

薄く焼けば香りが立つ。

しかも、どちらも今の灰白亭に出せる値段に収まりそうだった。


「……看板にするなら、朝粥と薄焼きだな」


「今度は何?」


「いや。悪くない組み合わせだと思って」


「そんなの、まだ早いわよ」


「早くても目標はあった方がいい」


「……そうかもね」


ミアは手を止め、少しだけ遠くを見るような目をした。


灰白亭。

色あせた看板と借金しかない宿。


けれど明日の朝、そこへまた湯気が立つなら。

その匂いで、誰かが足を止めるなら。


恒一は鍋に蓋をのせた。


「寝るぞ」


「急ね」


「朝が早い」


「そうだった」


灯りを落とす前に、ミアは帳場の銀貨をもう一度だけ見た。


たった数枚。

けれど昨日までは、なかった枚数だ。


「おやすみ」


彼女が言う。


「おやすみ」


「寝坊したら水ぶっかける」


「優しさがないな」


「経営に必要ないものは削る主義なの」


「その割に、路地の男は拾うんだな」


「……それは、たまたま」


ミアはそっぽを向いて階段を上がった。


恒一は少し遅れて、暗い食堂を見回す。


机、椅子、帳場、冷えた暖炉、洗った器。

何もかも古く、足りていない。


それでも、明日の朝の仕込みだけはできている。


それだけで、店は昨日とは違っていた。

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