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異世界で潰れかけの宿を任された俺、 朝粥と売れ残り食材で街の食卓を変えていく 〜はずれスキル『食材帳』の料理人〜  作者: 青い海の人


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【第2話】 潰れかけの宿と、最悪のスープ

鍋の中で、刻んだ根菜が小さく踊っていた。


火は強すぎない。

油は少なめ。

乾燥肉の脂と塩気を先に鍋へ落とし、そのあとで根菜を重ねる。


焦がさないように。

けれど、水を入れすぎて甘さを逃がさないように。


木べらで鍋底を返すたび、匂いが少しずつ変わっていく。


古い厨房だった。


道具は足りない。

調味料も乏しい。

火口の癖も、鍋の重さも、まだ手に馴染みきってはいない。


それでも、順番さえ間違えなければ、味は立つ。


「水」


「はい」


言った瞬間に、ミアが桶を差し出してきた。


恒一は、わずかに目を上げる。


反応が早い。


気が強いだけの素人ではない。

見て覚える頭はある。そうでなければ、一人で宿なんか回せないだろう。


恒一は鍋へ水を注いだ。

じゅわ、と音が変わる。


「豆は?」


「あるけど、昨日の残りしかない」


「十分だ。潰れてないやつだけ拾ってくれ」


「選べってこと?」


「そう。割れてるのは後で別に使う」


「……細かい」


「飯はそういうもんだ」


ミアは口では文句を言いながらも、素直に豆を選り分け始めた。


その横で、恒一はさっきの手帳――食材帳をちらと見る。


焦げ茶の、地味な帳面だった。

革に似ているのに、紙とも木ともつかない奇妙な手触りがある。


開いたページには、また勝手に文字が浮かんでいた。


――調理補助を開始しますか?


恒一は眉をひそめる。


やはり、文字は自分にしか見えていないらしい。


「……開始」


「なに?」


「いや、独り言だ」


そう答えた直後、ページの下へ新しい文字がさらさらと流れた。


――記録済み食材:三点

――アニオン(玉ねぎ類似根菜)

――乾燥獣肉(低級)

――白豆類似乾物


さらに、その下。


――推奨:弱火加熱/塩投入は後半/葉物は火を止める直前


恒一は無言で、棚の隅に押しやられていたしおれた葉物を見た。


「……便利すぎるだろ」


「だから、さっきから何なのよ」


「本当に独り言だって」


ミアは明らかに怪しんでいたが、それ以上は追及しなかった。

代わりに、選り分け終えた豆の器を差し出す。


「これ」


「ありがとう。助かる」


「……そんな素直に礼を言われると気持ち悪いわね」


「ひどいな」


「路地で死にかけてた人のくせに、急に偉そうなのよ」


「厨房ではだいたいこうなる」


豆を鍋へ落とす。

ことり、ことり、と乾いた音がした。


見慣れない食材ばかりのはずなのに、不思議と手が迷わない。

食材帳の文字が頭のどこかへすっと入ってきて、知識というより、感覚に近い形で馴染んでいく。


これは、現代の食材を取り寄せるような派手な力ではない。


だがたぶん、

理解した食材をより正しく扱えるようになる力だ。


それだけでも、料理人にとっては十分すぎる。


「塩を見せてくれ」


「高いわよ」


「使うなって?」


「使うなら慎重に、ってこと」


渡された壺の中の塩は、粒が荒く、色も少し濁っていた。

精製が甘い。苦みまではいかないが、雑味がある。


恒一は指で少し取り、舌にのせる。


しょっぱい。

だが角が立つ。


その瞬間、食材帳の文字がまた増えた。


――灰塩(並)

――塩味強/苦み微量/不純物あり

――推奨:直接投入より湯に溶くこと


「……なるほど」


「今度は何が分かったのよ」


「この塩、そのまま入れると雑になる」


「分かるものなの?」


「分かる」


恒一は小鍋へ湯を少し張り、塩を落とした。

底へ沈む重たい粒を残し、上澄みだけを鍋へ回しかける。


たったそれだけのことで、味の輪郭は変わる。


見ていたミアが、わずかに目を丸くした。


「そんなやり方、見たことない」


「だろうな。でも悪くないはずだ」


「はず?」


「今あるものでやるなら、だ」


恒一は鍋の蓋を少しずらし、火を落とした。


ここからは急がない。


急ぐと、だいたい全部が死ぬ。

さっきの灰色のスープが、まさにそれだった。


厨房の外では、隅の席の大男がさっきから妙に落ち着かない。


「おい、まだか兄ちゃん」


「うるさい。匂いが逃げる」


「匂いは逃げねぇだろ」


「気分の問題だ」


大男は不満そうに鼻を鳴らしたが、席には戻らなかった。

もう酒の匂いより、鍋の匂いを追っている。


いい兆候だ。


客が少ない店ほど、最初に掴むべきは鼻だ。

舌はそのあとでいい。


恒一は最後に葉物を細く刻み、火を止める直前に鍋へ落とした。


緑が一瞬だけ鮮やかに浮き、それから湯気の奥へ沈んでいく。


「器」


「はい」


今度のミアの返事は、少しだけ素直だった。


木の器によそったスープは、さっきまでの灰色とは別物だった。


色は淡い飴色。

表面に浮く油も濁らず、刻んだ葉物が湯気の中でわずかに揺れている。


貧しい材料しか使っていないのに、ちゃんと食い物の顔をしていた。


恒一は一つを大男へ、もう一つをミアへ差し出す。


「食べてみてくれ」


「え、私も?」


「当たり前だ。作る側が食べないと、次が良くならない」


ミアは少しだけ黙ってから、そっと器を受け取った。


大男は待ちきれない様子で、すぐにひと口すすった。


その瞬間、ぴたりと動きが止まる。


「……おい」


「どうだ」


「これ、同じ鍋から作ったのか?」


「材料は同じだ」


「いや、そういう意味じゃなくてよ」


大男はもうひと口、今度はゆっくり飲んだ。


目尻が少し下がる。


「腹に落ちるな」


「そういうのが大事だ」


「塩っ辛くねぇのに、薄くもねぇ」


「肉の出汁を先に立てたからな」


「豆もちゃんと豆の味がする」


「潰れてないのを選んだからだ」


大男は器を両手で持ったまま、しみじみと言った。


「久しぶりだ。ちゃんと飯を食った気がする」


その一言で、厨房の空気が変わった。


恒一はミアを見る。


彼女はまだ、スープを口に運べずにいた。

まるで何かを怖がるように。


「冷めるぞ」


「……分かってる」


ミアは小さく答え、慎重にひと口飲んだ。


次の瞬間、その肩がぴくりと震える。


ふた口目は少し早かった。

三口目には、もう止まらなかった。


器を置いたあとも、彼女はしばらく何も言わない。


恒一も急かさない。

こういう沈黙は、だいたい悪くない。


「……おいしい」


「うん」


「すごく悔しい」


「それも分かる」


ミアは器を見つめたまま言う。


「私、同じ材料で何度も作ったのに」


「たぶん、ずっと急ぎすぎてた」


「急がないと回らないのよ、この宿」


「分かる。でも、急ぐために雑にすると余計に客が減る」


ミアは唇を噛んだ。


反論したそうだった。

けれど、目の前の器がその反論を許してくれない。


「これ、売れると思う?」


「売れる」


「そんな即答する?」


「する。高い料理じゃないのがいい。毎日でも食べられる」


「毎日……」


ミアは、さっきまで誰もいなかった客席を振り返った。


この宿に必要なのは、豪華なごちそうじゃない。

また来たいと思える、普通の一杯だ。


その時、表の扉が軋んだ。


全員がそちらを見る。


入ってきたのは、荷物を背負った二人組の旅人だった。

くたびれた外套、泥のついた靴、疲れ切った顔。


宿を探しているのは明らかだったが、店の中の様子を見て、少しだけ足を止める。

流行っていない店に入るか迷う顔だった。


だが次の瞬間、鍋から立つ香りがふっと流れた。


「……なんだ、いい匂いだな」


「飯、やってるのか?」


ミアが息を呑む。


恒一は何も言わなかった。


ここは宿の主人の場所だ。


ミアは一瞬だけ固まり、それからきゅっと背筋を伸ばした。


「い、いらっしゃいませ。お食事、できます」


少し声は上ずっていた。

でも十分だった。


旅人二人は顔を見合わせ、空いている席へ腰を下ろした。


「温かいものを頼む」


「はい。すぐに」


ミアが振り向く。

目が合う。


その目には、さっきまでなかった光があった。


まだ弱い。

けれど確かに、消えかけた炭の下に火が戻るみたいな色だった。


「……もう二人分、作れる?」


「もちろん」


恒一はそう答えて、鍋へ水を足した。


食材は乏しい。

金もない。

宿は死にかけている。

自分の身元だって怪しいままだ。


けれど今、この厨房には湯気がある。

そして、待つ客がいる。


それだけで十分だった。


食材帳のページが、ひとりでにめくられる。


――初回調理成功

――記録が安定しました

――簡易再現が可能になりました


恒一は目を細めた。


「簡易再現、ね」


「また独り言?」


「いや」


鍋の湯気の向こうで、旅人が席につく。

ミアは慌ただしく器を用意し、大男は勝手に得意顔で語り始めている。


「ここのスープ、今うめぇぞ。さっきまで死んでたけど」


「営業妨害なのか宣伝なのかどっちなのよ!」


「宣伝だ!」


「半分合ってる」


恒一は思わず笑った。


不思議なくらい自然に。


それから食材帳を閉じずに、鍋を見ながら静かに言う。


「少し、勝ち筋が見えた」


「何それ」

 ミアが聞く。


恒一は、湯気の向こうの食堂を見た。


死にかけた宿。

けれど、諦めてはいない宿。

そして今、温かい一杯で客を迎えられる宿。


「この宿を生き返らせる方法だ」


ミアはきょとんとして、それからふっと笑った。


今日初めて見る、年相応の顔だった。


「じゃあ、貸しは増額ね」


「高くつきそうだな」


「当然でしょ」


そう言いながら、彼女は器を洗いに向かった。


鍋の湯気が、ゆっくりと天井へ昇っていく。


灰白亭はまだ死にかけている。


でも、もう完全には死んでいなかった。

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