第16話 失われた形見
セド・ライヒェルトがそれに襲われたのは、突然のことだった。
となりの警備区画で人数が足りなくなったことを聞き、可愛い女の子と親しくなれたら……という軽い気持ちで向かった。
当然、危険があることは想定していなかった。
現場に向かっている途中、側面の森林地帯から、黄色の光が突っ込んできたのだ。
教育校に入ってからの三年間で、捕らえられたエーテル燃焼体を見たことはあったが、実際に戦ったことはなかった。
セド自身も感じていたが、一撃目をかわすことができたのは奇跡的だった。
何かが突っ込んできたので、反射的に体制を低くしただけだ。
肩を掠っただけで制服が破れ、突風が通り過ぎる。
「ゔぁッ……! 何だ!?」
何事かと顔を上げると、黒と黄色のエネルギーを振り撒く、四つ足の獣が見えた。
その存在は長い尾をなびかせ、鋭い爪と牙を覗かせながら低い唸り声をあげている。
四つ足で立つ姿はセドより低いが、それでも体重は彼よりも重いだろう。
ハッとして、腰に配備されている刀剣を抜いた。
こんなに抜きづらかっただろうか?
思わずそう思うほど、ぎこちない動きで剣を体の前に構える。
そして急いでエーテル燃焼の温度を上げ、エネルギーを上空に放出した。
ゆらゆらと拡散しながら煙のように上がる粒子を誰かが発見してくれるだろう。
だが、目の前の存在に勝つことができないのは、彼自身がわかっていた。
おそらくエーテル燃焼体のレベルは黒硫黄Ⅱ程度。
彼だけでは、数分も持たない。
構えた刀剣は支給されたもので、彼の体の半分程度の長さはあったが、酷く頼りなく感じていた。
「こ、これはヤバいな……」
逃げ切れるだろうか?
セドがそんなことを考えていると、後ろからも気配を感じた。
急いで振り返り、とっさに刀剣で体を守る。
同じエーテル燃焼体が二体、彼を囲む形で広がっていた。
三体に囲まれ、最悪に近い状況に追い込まれたことを悟る。
思わず、包囲網を抜けようと動いた。
だがその瞬間、背後に位置する一匹が、空気が震えるほどの速度で襲いかかってきた。
構えた刀剣が、鋭い爪に押されて激しい音が鳴る。
そして目の前いっぱいに、セドに食いつこうとする牙が現れた。
「グァァァッッ……! 誰か……!」
体重差は数倍以上、一瞬で押し込まれ、背中を地面に叩きつけられた。
爪が制服を貫通し、肩に食い込む。
燃焼エネルギーを付与した刀剣で牙を防いでいるが、一瞬でも気が抜けば食い付かれるだろう。
しかも、敵は後二体いるのだ。
「チクショウ! こんなカッコ悪い死に方かよ……!!」
必死に構えた刀剣で押し返しながら、口走る。
顔はすでに恐怖で歪み、目の端には自然と涙が浮かんだ。
これは、本当に死んだか……?
セドが死を意識した瞬間、周囲から声が聞こえてきた。
「おい! 大丈夫か!?」
上空に放ったエネルギーを確認して、隣の区画の警備部隊が駆けつけてきたのだ。
助かった!?
目の前の獣を押し留めながら希望を見出す。
だが、助けに来た隊員たちは刀剣を抜いているものの、そこから動くことはできなかった。
各自が残り二体のエーテル燃焼体に睨まれると、その場に足を止めざるを得ない。
彼の元へ向かうということは、自分が残り二体と戦うということなのだ。
「……クソッ!」
駆けつけた警備部隊の一人が、震える声で悪態をついた。
駆けつけた隊員たち全員が理解している。
これは、怖気付く自分自身に対しての失望と、もどかしい気持ちに対して向けられたものだ。
黒硫黄二人で辛うじて抑えることができるエーテル燃焼体が、三体いる。
迂闊に手は出せない。
「うおおおお!!」
意を決して、一人が睨み合っていた一体に斬りかかった。
だが、そのエーテル燃焼体は一瞬で加速し、刀剣を振り下ろすよりも早くその隊員の目の前に迫る。
「うっうわぁぁっっ…!!」
彼もまた、酷く情けない声をあげ、爪で押し倒された。
「クッッ離しやがれ!!」
近くの隊員が、そのエーテル燃焼体に背後から斬りかかる。
だが、エーテル燃焼体が纏っている黒と黄色の粒子に弾かれ、切り裂くことができない。
その隊員も黒硫黄レベルの燃焼エネルギーを刀剣に纏わせていた。
しかし、同じ黒硫黄でも燃焼レベルに差がある。
「ハァッ、ハァ……クソッ!」
エーテル燃焼と刀剣へのエネルギー付与がうまくできていない。
その隊員も気がついていたが、乱れる心を抑えることができなかった。
「このッ食らえッッ!」
押し倒されていたセドが、一瞬の隙をついて腰から短刀を抜き、燃焼したエネルギーを付与して獣に突き刺す。
黄色い光を纏ったその短剣は、エーテル燃焼の鎧を超えて、獣の肩付近に深々と突き刺さった。
!!
途端に、唸るような獣の声が、一瞬甲高い鳴き声に変わる。
だが、余計に怒りを高め、激しく襲いかかってきた。
「クソッ! これでもダメなのかよ!!」
必死に刀剣で押し返すが、爪が深く突き刺さり、牙は顔とほぼ同じ距離に迫っていた。
「結局、こんなカッコ悪い死に方かよっ」
セドが再び死を覚悟した時、二つの白金色の光が視線の端に見えた。
「そのまま動くな!!」
その声を聞き、隊員たちが動きを止める。
次の瞬間、二体のエーテル燃焼体の首が弾け飛んだ。
白金色のエネルギーを纏った二人が、輝く粒子を放つ刀剣で切り払ったのだ。
白金レベルのスピードとエネルギーは、黒硫黄を遥かに超える。
他の隊員たちには、そのスピードを全く感知することができなかった。
セドと同期であり、今年の成績一位と二位。
フエゴとエリカが一瞬で二体を排除したのだ。
「ハァッハァッ……遊撃部隊か……助かった!」
襲われていた隊員たちは安堵するが、ハッとしてセドの方を見た。
まだ彼に襲いかかっていたエーテル燃焼体が残っていたはずだ。
だが、そこには仰向けに倒れているセドしかいなかった。
他の二体よりも大きいその獣は、フエゴとエリカを確認した瞬間、森林地帯に逃げていた。
「……逃したか」
小さく舌打ちをしながら、フエゴがつぶやく。
密林の中を一瞬で逃げていった獣の姿はすでに見えない。
「ハァッハァ、助かったぜ。ありがとな」
セドは立ち上がり、近くにいるフエゴに礼を言う。
フエゴはちらっと視線を向けただけで何も言わなかった。
「あっ……!」
セドは腰に手を当て、突き刺していた短剣を失ったことに気がついた。
小さな声をあげ、思わず密林の方に歩き出そうとする。
「おい。バカなのか? お前、追いかけても何もできないだろ?」
フエゴの言葉を聞き、セドは立ち止まる。
「……そうだな」
そうだ、どうせ何もできない。
父親の形見の短刀だったが、諦めるしかない。
あれのおかげで助かったんだ。
セドは自分にそう言い聞かせた。
近くでは、エリカが他の隊員からペコペコと頭を下げられていた。
エリカは人当たりの良い笑顔で「無事でよかったです」と答えている。
助かったが、なぜか暗雲とした気持ちを感じたまま、礼を言うためにセドは歩き出した。




