第102話 キルシュとハイジ
「グガァッッ!!」
再びアルに吹き飛ばされたハイジが、うめくような声を上げて地面を転がっていった。
そして仰向けに倒れたまま、か細い息を口から吐いている。
致命傷ではないようだが、流石にもう立ち上がれないだろう。
周囲を見渡すと、ハイジから街に向かっていたエーテル燃焼のエネルギーが弱まり、一斉に消滅していく。
よかった、間に合った……
これで目的は達成したが、ハイジをこのままにはできない。
俺は倒れているハイジへ向かって足を進めた。
「まって、待ってください……!」
なんだ!?
背後からの突然の声に、俺は振り返った。
キルシュさんが足をもつれさせながら、こっちに突っ込んできていた。
そして、ふらふらになりながら、俺の足に飛びついた。
「お願いしますっ! 私が……私が悪いんです。
ハイジは、私を庇うために、わざとやっているんです。
どうか、ハイジの命だけは助けて下さい。
お願い、お願いします……!」
ちよっ、どういうことだよ!?
俺の足に必死にしがみつきながら、頭を下げるキルシュさんを見て、俺は混乱していた。
「どうかっ、どうかお願いします……!」
キルシュさんはひたすら俺の足元で頭を下げ続けていた。
「やめろ……やめろ!」
頭を下げるキルシュさんを見て、ハイジはか細い声を上げた。
「てめぇ、殺すぞ……」
ハイジは泣きながら俺を睨みつけて来る。
「おまえ、散々人を踏み躙っておいて、それはないだろう!」
俺は思わず気押されながらも、睨み返した。
「くっ……」
ハイジが弱々しくエーテル燃焼を始めた。
こいつっ!
俺は焦りながらも、急いでハイジの顔を殴りつける。
エーテル燃焼も纏っていない、ただのこぶしだ。
「ハイジ!!」
キルシュさんが悲痛な声を上げてハイジに駆け寄った。
だが、ハイジが気絶しているだけではあることを確認すると、少しホッとして静かに泣いていた。
クソッ、これはどういう状況なんだ?
どうしたらいいのか、俺も考えるのに必死だ。
それに、わざと……? どういうことだ?
『あの粘着ヤロウは、その根暗女を助けるために、わざと暴れ回ってたってことだろう。
半分は性格だろうがな』
「……助けるため? なんのために?」
『さあな。さっさと聞け』
確かに、これは話を聞かないとわからないな。
「……キルシュさん、詳しく話を聞かせてくれ」
俺の言葉に、キルシュさんは鼻をすすりながら頷いた。
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俺とキルシュさんは、ボロボロになって倒れた木に、となり合って座っている。
キルシュさんは、気絶したハイジの頭を膝に乗せてうつむいていた。
俺は特にせかさず、自分から話をしてくれるのを待つことにした。
少し落ち着く時間が必要だろう。
「……私は、昔から大人しく、自己主張ができない性格でした」
キルシュさんがゆっくりと話し出す。
「実の両親を失って、親戚のハイジの家に引き取られたのですが、友達も少なく……
話をするのは、血のつながっていない、弟のハイジだけでした」
キルシュさんは言葉を区切り、ハイジの頭を撫でた。
「ハイジは落ち込む私を励ますように、毎日根気強く話しかけてくれました。
そのおかげで、私もなんとか笑うことができるようになりました」
こいつが毎日キルシュさんを励ましていた?
とてもそんなことをする奴には見えないけど……
キルシュさんは俺の疑問を察したようで、すぐに言葉を続けた。
「とてもそんなことをする人には見えないでしょう?」
「えっ……いや、はい……」
俺は頷くしかなかった。
今までの酷い行動しか知らないからな。
「ハイジが変わり始めたのは、ハイジのお父さんがシニガミに触れられて亡くなってからでした。
幸せだった家族が、少しずつ、変わっていったんです」
俺は無言で頷いて、続きを促す。
別に珍しいことじゃない。
人類の死因一位はシニガミとの接触だ。
「ハイジは私たちには何も言わず、危険な依頼を受けるようになりました」
「危険な依頼?」
「いわゆる、正規の役所を通さない依頼です。徴用期間前の子供は、正規の仕事を受けられないので」
その言葉で、大体の状況を察することができた。
一定年齢までイドラ鉱石は最大量保証されるが、金銭の保証はない。
生きていくために、筋の悪い仕事を受ける人も多い。
俺も本来は灰塵だから、そういう人生になる可能性も高かっただろうな。
「でも、それは結果的にハイジのお母さんに迷惑をかける事になりました。
それもハイジにはショックだったみたいで、しばらく落ち込んでいたのですが……そんな時、お母さんまで任務中の事故で亡くなってしまったんです」
ハイジは立て続けに両親を失っていたのか。
幸せだった日々から、いきなり絶望に落とされたなら、荒れるのもわかる。
けど、それが正当化されるわけではない。
何より、キルシュさんを助けるためにわざと暴れていると言っていた意味がまだわからなかった。
「それがハイジが荒れた理由ですか?」
「理由の一つではあると思います。
ただ……大きな理由は、私が真紅に到達してしまったことです」
そう言って、キルシュさんは首を振った。
誰もが一番欲しいと願っている真紅の称号。
そこに到達したにも関わらず、まるで喜んでいない様子だ。
俺が言うのもおかしいけど、普通じゃない。
「私は、ハイジが私とお母さん……家族を守るために必死だったことを知っていました。
お母さんが亡くなってからも、ハイジは今まで落ち込んでいた自分が許せなかったようで、必死に努力をしていました。
しかし……先に真紅に到達したのは私でした」
なるほど、真紅になったキルシュさんは、妬まれたのか?
いや、でもそれだとハイジがキルシュさんを助けようとしている意味がわからない。
「私も、ハイジを楽にしたくて、一人でひたすらエーテル燃焼の訓練をしていました。
友人もいなかったので、毎日木の下でエーテル燃焼の訓練をして過ごしていたんです」
「それでハイジに妬まれてしまったことが、何かのきっかけになったんですか?」
「いえ、ハイジは私を妬むことなどありませんでした。問題は周囲の反応と……私自身です」
「キルシュさん自身?」
真紅に到達すれば、周囲の反応が変わるのは当然だ。
大きな変化の何かが、キルシュさんにも問題となったのだろう。
「真紅になったことは、私も嬉しかったです。国中の人たちが喜んでくれるました。そして、もうハイジに苦労をさせずに済むと思いました。しかし……」
そう言って、キルシュさんは視線を下げた。
「次第に真紅の後継者を作ることを、暗に求められるようになったんです」
「後継者?」
「はい。多くの相手の子どもを産んで、強い遺伝子を残すことが貢献だと……そういう空気が漂っていたのを感じました」
確か、エーテル燃焼に遺伝関係は明確じゃなかったはず。
でも気持ちは分かる。
真紅が一人増えれば、国力が跳ね上がる。国としては、喉から手が出るほど欲しい存在だ。
「私はその空気が嫌でした。
ことあるごとに相手はいるのか、と問いかけられ、紹介すると言われる日々が続きました。
ハイジが真紅に到達したのはそんな時です」
そう言ってキルシュさんは眠っているハイジに視線を落とす。
「ハイジが傍若無人に振る舞うことで、それを抑える私に皆感謝しました。
結果的に私が嫌がることは、皆言わなくなりました」
確かに、こんなのがいたら怖くて何も言えないだろうな。
「ハイジは、私が嫌がっていることをわかっていたんです。私の性格につけ込んで、無理を言おうとする人は、ハイジに酷い目に遭わされました。
それをわかっていても私は甘えていたんです。
私が……ちゃんと断ることができれば、全て解決していたのに」
俺は何も言えなかった。
「私自身が意見を持たず、嫌なことをしっかりと断ることができなかった。
それで皆に迷惑をかけてしまったんです。
だから……ハイジに悪役を押し付け、利を得る私が、立派な人間であるはずないんです」
キルシュさんはそう言うと、俺に向き直って頭を下げた。
「どうか、ハイジは助けてくれませんか。
私なら好きにしてくれて構いません」
頭を下げ続けるキルシュさんを見て、俺は言葉に迷っていた。
キルシュさんの気持ちは分かるが、今まで酷い目に遭わされた人たちは納得しないし、何より鋼王が落下した被害はどれほどになるかわからない。
簡単に、はい許します、とは言えない気がした。
「……もしも嫌だと言ったらどうしますか?」
「私が命に代えても守ります」
キルシュさんは顔を上げ、力強い視線を俺に向けた。
これは本気だ。どうすればいいのか……?
「おい……もういい」
ハイジがゴホゴホと咳き込みながら、小さな声で告げた。
「起きていたんですか!?」
「別に……お前のためじゃねぇ。自分で決めた……生き方だ。
てめぇ、やるなら俺だけにしろよ」
ハイジはギロリと俺に目を向けて吐き捨てる。
キルシュさんに手を出したら許さないという気持ちが伝わる言葉だった。
「やめて!」
キルシュさんはハイジを強く抱きしめ、悲鳴のような声を上げた。
俺はどうすればいいんだ?
これだけの被害を出した奴を放っておいていいのか?
悩みながら、俺はアルに視線を向けた。
『ハッ、テメェはどうしたいんだ?』
相変わらずぶっきらぼうな様子で、アルが吐き捨てる。
俺? 俺は……少なくとも殺したくはない。
真紅でも、守るもののために必死で生きてきたんだ。
それは本当だと伝わってきた。
信頼できる仲間もいない中、たった二人で……
俺の目的は……




