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lament? ここはどこ


 ――全身が痛い。まるで何かに打たれたように。

 ふっと目覚めた時、モシュネは土草の中に倒れ込んでいた。先の不気味な文字の浮かぶ真っ白な空間ではない。長閑な森、囀る小鳥、小さな花。見上げれば、変哲も無い雲一つない青空に、雲が暢気に泳いでいた。


 (……ここは、どこ)


 頭がぼんやりとしたままゆっくりと身を起こし、改めて周囲を見渡したが、どうやら普通のありふれた森らしい。 


 (確か、本を開けたら白い不気味な空間に吸い込まれて……つまりここはあの本の中?)


 夢にしてはあまりにも出来すぎていた。

 草が触れるむず痒い感覚もあるし、地面は硬く地に足がついている。試しに頬を思い切り両手で叩いてみる。


「……痛く、ない?」


 いっそのこと夢だったら目覚めるのを待つだけだったのに、と落胆した。いや、夢なら現実に戻らなくていいし色んな意味で夢ならよかった。

 これからどうしようかと立ち上がったその瞬間――少し遠くの距離で茂みがガサリと音を立てた。


「ひっ……!?」


 小さな声にならない悲鳴をあげ、反射的に尻餅をつき後ずさる。

 そこにいたのは、真っ白い毛に覆われた巨大な獣が茂み越しからこちらをじっと見ていた。


 (狼?……いや、あんなにふわふわしていたかしら?)


 獣は純白なふわふわの毛に覆われていて、狼のように細身では無い。むしろ少し肥えていて、口角がスマイルの様に弧を描いていた。

 地面に手をつき、なんとか距離を取ろうと試みるが、蒼眼はこちらを射抜いて離さなかった。


 (まずい)


 頭が真っ白になる、とはこういう事だろう。

 心臓が強く波打って止まらない。

 背中を向けて走り出すか、それともゆっくり後退って距離を取るのかすらも分からない。

 それよりも、身体的な恐怖の場面は初めてだった。「不純な血」やら罵られる事への嫌悪感や、突然罵倒される恐怖、じわじわと心を蝕む様な物とは違う。

 しかし今のこれは、瞬間的に生を脅かすような恐怖。


「わぉぉぉーん!」


 巨大な獣が大きく遠吠えをした瞬間、モシュネの恐怖が最高潮を迎えた。喉が詰まり、声すら出ない。


 思考が、完全に止まった。


 (これ以上、ここにいたら……)


 勢いよく身体を起こし、獣の反対側へ走り出す。

 枝が頬や制服に掠っても気にしてられなかった。とにかく、今は逃げなければいけない。小石や鶴が足に絡みつく。心臓が喉までせり上がり、自身の荒い呼吸だけが耳に入る。

 瞬間、思い切り鶴に足を取られてしまう。


「――っ!?」


 世界がぐるりと反転した。

 地面から足が一瞬離れ、次に気が付けば、硬い地面に身を叩きつけられた。身体に痛みが走り、肺全てから空気が失われる感覚。咄嗟に手はついたが、鈍い痛みだけがそこにはあった。倒れ込んだまま、浅い呼吸を繰り返した。

 


「はぁ、はぁっ……。一体何なのよ!」


 抱えきれなくなった気持ちを吐露した後、自分の声が震えていることに気がついた。喉がひりつく程息を吸い、どうにか吐き出した。

 

 ――♪――♪


 モシュネの背後から透き通った鈴の音が耳に入った。


 (……こんな森で、何の音なの)


 こんな場所で、この状況で、とうとう自分の頭がとち狂ってしまったのでは無いかと本気で考えた。

 恐る恐る振り返ると、驚くべき光景に目を見開いた。


 そこにいたのは獣では無く、羽を持った小さな妖精の後ろ姿だった。少女というにはあまりにも儚い。

 メタリックグレーの長髪は、夜空を吸い込んだ様に輝き、黒に銀の刺繍が施された騎士服は、星々を纏うかのように静かに煌めいている。

 背中の羽はオーロラのような仄かに光を宿し、幻想的な輝きを放っていた。

 その姿に、モシュネは恐怖心を忘れて息を呑んだ。


 ――♪――♪


 鈴の音を鳴らしながら振り返えったその姿、まろい瞳には輝くシルバーが埋まっていた。


 ――あぁ、なんて綺麗なんだろう。


 そう思うと同時に、どういう訳か心の中にわずかな安堵が走った。

 しかし、その安堵も束の間。再び前方から轟音のような獣の足音が迫り来る。いや、そう認識する頃には、もう獣は目の前に現れていた。


「逃げて!!」


 モシュネは迷わず妖精に向かって声を荒げた。

 この子を巻き込むわけにはいかない、その一心で。怯えに、空気が震えるくらいの圧力がモシュネの身体にのしかかる。


 しかし妖精はモシュネを不思議そうに眺めて獣がいる方向へ、ふわりと向き直った。


(何をやっているの!)


 巨大な獣なら、モシュネの何十倍だって小さな妖精なんて一口で食べられてしまう。引っ掻かれたりでもしたら、ただでは済まない事が明白だ。

 しかし驚くことに妖精は獣の方へ飛んでいってしまった。


「……だめ」


 モシュネが掠れた声でつぶやく。

 獣が大きく口を開け、そして――


「わん!わん!」


 軽快で元気な鳴き声が響いた。


「……ぇ?」


「――♪――――♪」


「わん!」


 妖精から鳴る愉快気な鈴の音、そしてこの鳴き声は。


 (いぬ……!?)


 そして戯れついた。小さな妖精に。

 その大きな舌で妖精の全身をを、しかも嬉しそうにベロリと舐めている。

 妖精も戯れ返すようにチリンチリンと鳴らしながら、小さな手で犬の鼻先を撫で、終いには抱きつく始末だ。


 自分は犬に怯えてあんなに逃げていたのか。

 気が動転していたので気が付かなかったが、確かによく見ると、もふもふで人懐っこい瞳を持つただの犬だった。


 (なにこれ――なにこれ)


 一気に気が抜けてしまったモシュネは、へたりと地面に座り込んでいた。


 ✴︎ ✴︎ ✴︎


「――♪――」


 小気味良い鈴の音を鳴らしながら、一通り犬と戯れあった後、妖精はモシュネの方を振り返った。

 輝く銀色が埋め込まれた瞳をぱちぱちさせながら、モシュネのいる方へゆったりと舞い降りてくる。

 そして顔が見える範囲まで来ると、微かな声がした。


「まよったの」


 本当に小さな、鈴の音色が混じったような小さな声だった。綺麗で、手に届かない場所を漂っていた妖精が、やや訝しげな表情を浮かべて目の前に来て話していた。


 ――鈴を優しく突いた時になるような。そんな声だった。

 

 全てがわからないこの場所で、戸惑いながらも言葉を返した。


「い、いえ」


 しかし、いざ話し出して出てきたのは随分か細く、情けない声しか出なかった。

 妖精は訝しげな表情を一変させ、金箔のような鱗粉を舞い踊らせながらモシュネの周りを軽やかに飛んだ。


「あなた、わたし の こえ が きこえるの?」


 羽を大きくパタパタさせながら、驚いたように妖精が口にした。確かに声は掠れるように小さいが、読み取れないわけではなかった。


 (何をそんなに驚いているの?)


 モシュネはこくりと頷いた。


「……!あなた ぱるてぃ なのね!」


 妖精が興奮を隠さない様子で言っている。

 しかしモシュネには、やっぱり何が何だかわからなかった。

 妖精が、妖精たらしめる姿でいる事を彼女は見た事がない――否、見せてもらった事がなかったから。

 しかし、「ぱるてぃ」とは一体なんなのだろうか?

 目が渦巻き状になっているモシュネを見兼ねたのか、妖精が「こほん」と咳払いをして、自身の両手を器状にして差し出してきた。


 モシュネが訳もわからず混乱していると、指を刺され、再び手を器状に差し出した。


 ✴︎ ✴︎ ✴︎


 モシュネに手渡されたのは、小さな光る球体だった。それはまるで星のかけらのように淡く光、大きさは妖精が両手で持つほどのサイズ、まだ幼いモシュネにとっては親指の爪ひとつ分だった。

 

 妖精はにこりと笑って、耳たぶにそっと指を添える。「ここにつけて」と言っている様に。

 モシュネは戸惑いながらもそれを身につけた。ちなみに、取り付ける金具などはないが、勝手に張り付くらしい。


「――!」


 その瞬間、世界が がらりと変わった。


 長閑な森の木々が揺れ動く音、囀る小鳥の声はやけに大きく聞こえる、小さな花々が揺れる音。


 ――そして


「……聞こえる?」


 はっきりと聞こえる、あの鈴の音のようにに透き通った妖精の声だった。

 言葉を失うとはこういう感覚なのか。

 ついさっきまでは「静かで長閑」だったこの場所には無数の「音や気配」に溢れていて、一瞬にして姿を変えた様な感覚だ。


 (知らなかった、森が、世界が、こんなにと豊かなことを)


 妖精に頷きで返事をして、驚きなのか感動なのか、周りをゆっくりと見渡す。


「ぐっ……!」


 突如、耳の様子がおかしくなり、頭に激痛が走った。。ノイズが走り、様々な音が混じり、何の音かはわかっても品別かつかない。

 まるで音の濁流が身体中に流れ込むように。

 何が起こったのか分からず、とっさに耳を塞ぎ、痛みと違和感を逃がすように地に首を垂れた。しかし、それでも収まるどころか悪化する一方だった。


 風の音が雷鳴のように。

 小鳥の声はサイレンのように。

 花々が揺れる音は、鋭い風のように。


 轟いて、響いて、好き刺した。


 そう、すべての音が膨張し、聞くことの出来なかった音がモシュネの中を駆け巡っていたのだ。


 「ぁっ……ぐぅ……!」

 

 自分のうめき声ですら、苦痛に感じてしまう。耳を塞いで、息を殺すが、何も変わらない。

 鼓膜が張り裂けてしまいそう――混乱と痛みに蹲り、意識が飛びそうになったその時――


 暖かな()()がそっと額に触れた。


 妖精だ。妖精の手が額に触れた途端、スッと聴覚が和らぐのがわかった。


「……もう、大丈夫?」


「……は?」


 目を大きく見開いた。

 そこにいたのは


「あ、あなた!!」


「……」


「……」


 そう、髪色が濃くて気が付かなかったのだ。


 無垢な顔つき、……今は少し歪んでいるが。

 そして輝く銀色の髪。


「り、リアリー・ノースプレイズ!」


 あの騒がしい転校生が、美しい羽と共に怪訝そうな顔をして浮かんでいたのだ。


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