lament? 孤独な書庫
重たい扉を小さな身体で精一杯押して開くと、ふわふわと蝶のように羽ばたく本が飛び込んできた。
そう。この学級王国に四つあるこの場所は知識の宝庫として名高い一方、堅苦しい雰囲気から生徒たちからは嫌厭されている場所でもある。
ここを見つけた当初は、複数ある図書館の中でも最も古い事もあり、埃や汚れが溜まりに溜まっていたのだが、地道に片付けて掃除しているうちに本来の雰囲気を取り戻している。
モシュネ的には、人が滅多にいない事で落ち着きたい時や逃げ場として利用するにはうってつけな訳だが。
「……おはよう。朝早くから悪いわね」
モシュネの目の前に軽やかに飛び込んできた本を一撫して声をかけると、嬉しそうにバサバサ音を立てながら部屋の奥へと飛び立っていった。
――まるで、付いてこいと言うように。
(どうしたのかしら?)
普段とは違った雰囲気に気を取られたモシュネは、ゆったりとした動作で羽ばたく本の後を追っている時、ふとまだ掃除の手がつけられていない書架が目に入った。
「……あら?」
(時々、自分が掃除していない部分も綺麗になってるのよね。本達が手伝ってくれてるのかしら)
この書庫では時々奇妙なことが起こる。魔法があるこの世界でそんな事を言ってしまってはキリがないのだが、度を越した奇妙がそこにはあった。
そもそも、この図書館にはモシュネ以外の利用者が訪れる事はない。これは何度も実験と称したサボりの様なものだが、丸一日他の人が来ないか見張るために閉じこもった経験が数回あるが、うちどれも利用者が訪れるどころか、他の図書館にはいるはずの秘書が出てくる訳でもなかった。
追ってきた書籍の羽ばたく音が静かになった。
あらゆる書架を通り越して、たどり着いた先は、なんと特段埃の被った一際ボロボロの書架、4段式の棚に、古びて苔でも生えていてもおかしくないくらいの状態の革製の背表紙が所狭しと並んでいる。
「ここに来たかったの?」
モシュネが案内してきた本にそう尋ねると、本は「そうだよ!」とでも言う様にバサバサ音を立てて、開いて閉じてを繰り返している。
「でも一体なぜ?」
本は言葉を司るが、自ら声を発する事はない。
だから必然的にモシュネの一方的な会話になってしまうことが殆どだ。戯れてくるのを撫でてやったり、時には悩みの吐口など。こうしてみると、ペットの様な感覚に近いのかもしれない。
モシュネが問いかけてみても、勿論返事が返ってくる事はない。その代わり、モシュネを導いた本が、古びた書架の周りをくるくる飛び回っている。
そして、彼女は戸惑いながらも本棚を観察してみることにした。背表紙の文字はこのリベール王国のものではない。どこの言語かも分からないそれは、何故か非常に懐かしい気持ちになったのだ。
まだ歳も若く身長の低いモシュネが見上げると、本棚の上部に美しい装飾が施されている事がわかった。
しかしあまりにも埃が酷く、装飾全体が汚れていたのだ。徐に右手をひゅんと一跳させて魔法の詠唱を呟き、風の魔法を使い、本棚の埃を取り払う。
「――くしゅっ」
まだ制御が未熟なせいで、取り払った埃がモシュネの頭上に舞い落ちてきた。あまりの煙たさにくしゃみを2回ほどしてしまう。
しかし、取り払われた埃の奥の装飾を見て目を見張った。
煌びやかな宝石が散りばめられた真ん中に、妖精の羽の様な飾りが埋め込まれてあったのだ。
透明の羽に、オーロラがかった模様の様なものが繊細に描かれている。
(綺麗。妖精の羽の飾りかしら)
かしら、というのも、実際モシュネは妖精を見たり会ったりした事はないのである。
「半妖精」と言われても、妖精の血を引く父は常時人間体を保っているので、見る機会も与えられなかった。
――妖精というのは、こんなにも美しい羽を持っているのだろうか。
うっとりとしてそれを眺めて、どのくらいの時間が経ったのだろうか。待ちくたびれた本がモシュネの肩を優しく突くまで、その時間は続いていた。
「これ、すごく美しいわ。コレが見せたかったの?」
すると、本はモシュネの周りを嬉しそうに飛び回った。どうやら、正解だったらしい。
しかし飛び回ってしまったせいか、棚に激突してしまった。
「大丈夫?」
モシュネが反射的に声をかけたが、時すでに遅し。
ぶつかった反動で、緩く仕舞われていた本がモシュネの丁度頭を目掛けて落っこちてきた。
「い゙っ」
しかも当たりどころも悪かった。重厚な皮で作られた背の端が、モシュネの頭にジャストヒットしたのだ。
慌てた本がモシュネの周りを心配そうに、バッサバッサと音を立てて飛び回っている。
そしてモシュネに頬擦りをする本は、まるで反省、謝罪の色が見られた。心なしか落ち込んでいるように見えてしまって、なんだか可笑しくなってしまった。
「大丈夫よ」
本にも悪意があった訳ではないだろう。そう言って本の背をポンポンと優しく叩いてやると、本は嬉しそうに飛び回った。
――「ご、ごめんね。そんなつもりはなかったの」
ふと、あの鬱陶しい位に騒がしい少女が脳裏に浮かんだ。あの子も心なしか今の状況のような心境だったのだろうか。
(……なんであの子が)
頭をフルフルと振るい、落ちてしまった本を拾い棚に戻そうとしたのだが、その本の装丁がとても美しかったので、思わず魅入ってしまった。
赤茶の表紙に、棚の妖精の羽のオーロラ部分とそっくりな模様が施されている。やはり、表紙の文字を読む事はできない。
――中身はどんな内容なんだろう。
ほんの幼心から来る好奇心と、この本にすっかり魅入られてしまったのか、果たしてどちらかは分からない。モシュネにしては珍しく、心のままにその本を開いた。
本を開いた瞬間、辺りに風が吹き荒れた。
やがてそれはぐるぐると、まるで台風のようにモシュネの周りを囲んでいった。全身のバランスが全く機能しない。風によって刺すような痛みに襲われ、足が地面に付いているかすら分からない。
ジタバタと争っても、風の外に出られる事はなかった。
「な、なに!?」
モシュネが声を上げた瞬間、全ての時が一瞬止まったような感覚に陥った。あれほど吹き荒れていた風も、待っていた埃も、ほんの一瞬、止まったのだ。
何が起きたか分からないまま、しかし落ち着いた事により安堵の心が浮かんだその時。
「わっ!?」
安堵も束の間、モシュネは何かに思い切り足を引っ張られる感覚に陥った。それだけではない、まるで奈落の底に引き摺り落とされるような。そんな浮遊感に襲われた。
辺りを慌てて見渡すと、景色自体は変わっていない。足元を見た瞬間、モシュネに悪寒が走ったのを感じる。
(本に、足が吸い込まれてる。……逃げなくちゃ)
それでも諦めまいと争ってみるも、効果は全く感じなかった。
「……たすけて」
案内人の本が、必死にモシュネの近くまで来たようだ。まるで掴めというように、両開きの本の片側の表紙を差し出してきた。
思い切り手を伸ばした。精一杯手を伸ばした。
しかし、酔うほどの魔力の波に襲われ、意識を持っていかれそうになる。
もう手遅れだ。そう思い、伸ばしていた手、そして身体も脱力してしまった。
(嫌われ者なら、消えた方がいいのかしら)
その瞬間、思い切り引っ張り込まれたその場所は、真っ白な空間に無数の読めない文字が浮かんでいた空間だった。
魔力にあてられて意識が遠くなっていくのを感じる。何故か満足感のようなものを感じながら、モシュネは目を閉じた。