六代目・三遊亭円楽師匠を悼んで
──早い。あまりに早すぎますよ、円楽師匠。
まだやり残したこと、ありますよね。
落語界の統一や、誰も継がないままになっている大名跡『三遊亭圓生』の復活など、常々語っておられたじゃないですか。
師匠に出来なかったら、誰に出来るっていうんですか。
円楽師匠のことを『笑点』の腹黒キャラとしか知らない方も多いと思うのですが──。
実は、落語界全体のことを誰よりも考えていたのが円楽師匠でした。
今、落語界には五つの協会があります。中には喧嘩別れのような形で分裂して仲違いしたままのところもあるのですが、落語界の発展のためにはひとつにまとまるべきだというのが師匠の理想だったのです。
そのために、師匠は協会間の垣根を取っ払うべく奔走されてきました。
『笑点』ファンなら、師匠ご自身がプロデュースした『博多・天神落語まつり』のPRをしているのを見たことがあるでしょう?
実は全ての協会から落語家が参加するのって、あの企画ならでは、なんですよ。
また、円楽師匠は『七代目・三遊亭圓生』の襲名にも意欲を示していました。
六代目・圓生は昭和の名人のひとりと言われた方ですが、誰がその名を継ぐかで一門の中でもめて、けっきょく数十年間、誰も継がないままになってしまっているのです。
「自分は繋ぎでいい。圓生の名を覚えている人がいるうちに自分が継いで、その名を世間にもう一度広めたい」
そう語っていた夢を叶える前に、師匠は旅立たれてしまいました。
──その無念さを表すかのように、師匠の戒名には『圓生』の二文字が入れられたそうです。
門外漢である自分には、協会統一の意義も、『圓生』の名前の重みも、本当にわかっているとは言えません。
でも、師匠が志半ばで逝ったその時の無念さを想像すると、やはり胸が締め付けられるのです。
六代目・三遊亭円楽師匠。
自分は、『笑点』での毒のある回答も、高座でのいなせな語り口もとても好きでした。
プレバトでの俳句は──ちょっと好みとは違いましたが。
どうか安らかにお休みください。
そして、天国で待つ先代・円楽師匠や歌丸師匠から『楽さん、早すぎるだろ、この馬鹿』といっぱい叱られた後に、『でも、長い間よく頑張った』といっぱい褒めてもらってください。
──合掌。
最後に、批判されることは覚悟の上で、自分は声を大にして主張します。
『笑点』に出演されている、特にご高齢の師匠方。
どうか、お元気なうちに勇退して、後進にその席を譲ってあげてはもらえないでしょうか。
そして、時おり元気な姿を見せて、若い連中の尻をひっぱたいたり励ましたりしてやって下さい。
このままだと、また誰かが倒れ、皆が復帰を待っている時に訃報が届く──そんなことが続いてしまわないとも限らないじゃないですか。
それを考えると──自分はもう、とてもやりきれないのです。