『家族』とは。
エレナさんに転機が訪れました……。
ニコラス達が死んでから、ずいぶん時間が経った。
やっと、「外国人だから」という理由だけで迫害される事がない世の中になった。
わしだけではどうする事もできんかったが……元凶が失脚して実務担当者が断じれば、迫害行為は即刻犯罪扱いに転じた。
短期間でいい世の中になったものだ。
本当なら、ニコラス達は生きていて子供達と孫に囲まれる生活ができていて当たり前のはずだった……長男次男にはもう子供がいるし、三男にも嫁が来たからな。
あとは……あの日殺されたアンナが連れて出た長女が見つかれば。
どこに行ったのか。
神隠しにでもあったように、散乱した荷物を残して姿を消してしまった娘。
死んだという確証がない以上、生きていると信じたい。
わしが生きてるうちに見つかればよいな。
などと思っておったが。
「エンリコさんにお客さんだよ!」
ガストン食堂のまだ幼い見習いコックのルースが、わしを呼びに来た。
「わしに?誰だ?」
「グレイさんっておじさんと、テイラーさんっておj……おニイさんと、あと女の人。女の人見たうちの大将がめちゃくちゃビックリして、ブライアントさんとディアスさんを呼びに行こうとしておかみさんに止められた」
おかみさんが止めた……なんでだ。
「あんたが1人で行ってどうする、人を遣れって怒られて、レイン先輩とアーク先輩が知らせに行った」
ルースはうっかりおじさんと言いかけてたが、テイラーさん……薬剤師殿の事だろう。
会った事があるからわかる、お父上のほうだったらルースは「怖い顔のおじさん」と言うだろうからな。
「すぐ行くから戻ってろ」
ガストン食堂に入っ途端、わしは腰をぬかすところだった。
「……アンナが化けて出たのかと思いました」
ガストンが驚いたのもうなづける。
薬剤師殿と一緒にいたのは、ニコラス・ジェファーソンの妻アンナに生き写しの女性だった。
「エンリコさん、その節はお世話になりました」
と頭を下げたアンナ似の女性……その声は、巫女様に扮していた薬剤師のエレナさんだった。
「皆さん私を見て驚いたり慌てたりなさってるんですけど……そんなに、その亡くなった方と私って似てるんですか?」
「……似てるどころの騒ぎじゃない。髪色以外は生き写しってやつだ。なあ、ガストン」
「ええ。アンナが帰ってきたと思いました」
「グレイ……いや、チャールズさん。アンナに激似の女性というのは、エレナさんの事だったのか」
わしはチャールズ氏に訊いた。
「最初は見かけただけで、どこの誰かとかわかってなかったんです。それに前の時は……ニコ達を追いつめた奴らが子供達を探してるかもしれないと思ってたから顔をかくしてもらってました」
「それはいい判断だったと思う」
わしらのやりとりを、エレナさんとモーガン殿はキョトンとした顔で見ておった。
食堂の外が一気に騒がしくなった。
「来たか」
入り口の扉を開けるのももどかしく、マルコとカルロが飛び込んできた。
「お前達、親父達はどうした」
「レインとアークを荷馬車にのせてあとから来る。俺達は馬で先に来た。ピエトロは?」
「厨房で茶の準備してるみたいだ……」
「おい、ピエトロ!今すぐ茶はいいから出てこい!」
マルコが叫ぶと、ピエトロが手を拭きながら出てきた。
「もう!マルコとカルロも来たの?人数増えるんなら早く言ってよ!茶葉の準備が……準b」
ピエトロが、エレナさんを見て固まった。
自分にとてもよく似た人が目の前にいたら、驚いて固まりもするだろう。
「ピエトロ、この人が店に入るところを見てなかったのか?」
「……上にいた。食事客じゃない人が来たんならお茶出さなきゃと思っておりてきたとこだよ……てかさ!いくら営業時間外でも店で怒鳴らないでよ!」
おかんむりだ。
「……マルコ……カルロ……ピエトロ?」
エレナさんの顔色が悪くなった。
「母さん……家、荷物……服なら後で買って……父さん……3人連れて来る……泣いちゃダメ、父さん来るの、待っててね……」
うわ言のようにブツブツ言い始め、ガタガタ震えてどんどん顔色が悪くなる。
「ダメ……みつかる……橋まで……」
モーガン殿は、真っ青な顔でエレナさんを見ていた。
「……嫌、何……ダメ……みつかった……逃げ……走れなi……あ、あ……イヤ!」
声なき悲鳴をあげて、エレナさんは頭を押さえて崩れ落ちた。
「……エレナ!?」
青い顔のモーガン殿がエレナさんの横にかがみこんだ。
心配そうな表情のまま、脈を診たりいろいろやっている。
「……意識なし・呼吸あり……頻脈・発熱なし」
さすが、上級の医療者だ。
青ざめながらも、手際がいい。
「とりあえず、意識がないだけのようです。どこか寝かせられる場所ありますか」
「上に、帰れなくなったお客さん用の部屋があるけど……」
ガストンが言い、おかみさんが部屋を用意するべく立った。
その後ろを、エレナさんを抱えたモーガン殿が続いた。
「……何だったんだ、今の」
マルコとカルロが驚いている。
「なあ、もしかして今の人……姉ちゃんなんじゃねえの?」
マルコが言った。
「……根拠は?」
「あの人、さっき『泣いちゃダメ。父さんが来るのを待っててね』って言ったろ?」
言った。
「あれさ、今まで誰にも言わなかったけど……俺が預けられる時に母さんが言ったんだよ」
なんだと?
「俺、置いて行かないでって泣いたんだ。そしたら、姉ちゃんと俺にしか聞こえない位の声で母さんが言ったんだ。だから……あれを知ってる人で生きてる人は、姉ちゃんしかいない」
「なんで黙ってた?」
「偽姉ちゃんが出てきたら嫌だったから」
……行方知れずになってから時間が経っている以上、偽物かどうか判別する手がかりとしてどうなのかはわからんが。
「……にしても。俺達の名前を聞いたら真っ青になって倒れちゃったって何なの」
「彼女、7歳位までの記憶がないんだそうだ。そんな時に自分と似た顔の人達に会った上、記憶の奥底にあった名前を聞いた事が引き金になって……いろいろ一気に思い出したんじゃないか」
口走っていた内容から察するに……アンナが殺される瞬間を見たんだろう。
そりゃ思い出したら倒れもする。
「……俺達、どうすればいいんだろう?」
カルロがボソっとつぶやいた。
今は、わしにもわからん。
――――――――――――――――――
怒涛のような時間が過ぎた。
俺はエレナさんとモーガンさんをエンリコ・サルヴァトーレ様のところへ連れていった。
サルヴァトーレ様のお宅の隣の食堂が取りつぎをしてくれると聞いていたから、店に入った途端。
店主が大慌てしだして奥方に叱り飛ばされて。
若いコック見習いの子が3人すっ飛んで行ったかと思ったら、サルヴァトーレ様が来てエレナさんを見て腰をぬかしかけておられる。
「皆さん私を見て驚いたり慌てたりなさってるんですけど……そんなに、その亡くなった方と私って似てるんですか?」
エレナさんがそう言いたくなるのもうなづける反応。
「似てるどころの騒ぎじゃない。髪色以外は生き写しってやつだ」
髪までは覚えていなかったけど、俺がニコの嫁さんそっくりと思ったのは間違いなかったようだ。
そうこうしてたら、男が2人飛び込んできた……1人は俺が森の中で見かけたニコ似の男だった。
「おい、ピエトロ!今すぐ茶はいいから出てこい!」
「もう!マルコとカルロも来たの?人数増えるんなら早く言ってよ!茶葉の準備が……準b」
食堂の奥から出てきたのは……エレナさんを男装させたような男だった。
赤の他人ですと言いきるのは難しいほど似かよった4人がいたら……それはもう「4人姉弟」だと思う。
そして。
3人の名前を聞いたエレナさんは……記憶のひきだしを開けたみたいだった。
それも、一気に引き出したようで……勢いよく引っこ抜いたひきだしが外れて落ちるように、意識をとばしてしまった。
モーガンさんがすぐに様子を見ていたから大丈夫だと思う……けど。
何事もなくエレナさんが戻ってくれればいいんだけど。
記憶喪失の人が記憶を取り戻した時に起きる事態にならなきゃいいなと願うしかない。
――――――――――――――――――
チャールズさんがオレ達を連れていった先は、大衆食堂だった。
ここで隣に住んでるというエンリコ・サルヴァトーレ様を待つんだという……そういう話だったけど。
店に入るなり店主が慌て始めた。
「エンリコさん呼んでくる!ああ、あとあいつら呼んでくる!」
「ちょっと待ちなさい!あんたが1人で行ってどうすんの!ルース、あんたエンリコさん呼びに行きなさい。レイン、アーク。どっちがどっちでもいいからディアスさんとブライアントさんを大至急呼んできなさい」
エレナの顔を見ただけで、この慌てよう……何なんだ?
そんなに……その、似てるのか?
サルヴァトーレ様が急いでやって来て……やっぱりエレナを見て驚いてる。
前にお会いした時は顔を隠してたからな……。
そうこうしてたら、兄弟らしい2人組がやって来た。
「おい、ピエトロ!今すぐ茶はいいから出てこい!」
1人が叫ぶと、奥からもう1人手を拭きながら出てきた。
「もう!マルコとカルロも来たの?人数増えるんなら早く言ってよ!茶葉の準備が……準b」
4人が顔をあわせた……男3人は、どう見ても兄弟だ。
シャルル様とクロードの間にエリーザ様を挟めばしっかり3兄妹に見える、あんな感じ。
そして、エレナも……この3人の血縁者ではないとは思えないほど似ていた。
チャールズさんは、手がかりになるかどうかすらわからないとか言ってたけど。
見事な一発目で大当たりなんじゃねえの?
楽観視できたのはここまでだった。
3兄弟の口から出た各々の名前を耳にしたエレナの様子がおかしくなった。
「……マルコ……カルロ……ピエトロ?」
Cクラスで学んだ事を思い出すような目つきになった。
「母さん……家、荷物……服なら後で買って……父さん……3人連れて来る……泣いちゃダメ、父さん来るの、待っててね……」
うわ言のようにつぶやき出した。
「ダメ……みつかる……橋まで……」
……橋?
エレナが見つかったのは、壊れた橋のサン・トリスタン側だときいてる。
「……嫌、何……ダメ……みつかった……逃げ……走れなi……あ、あ……イヤ!」
何かとんでもない事でも思い出したのか、頭を抱えてしゃがみこみ……そのまま身動きしなくなった。
まずい。
オレは無意識のうちにエレナの意識・呼吸・脈拍・発熱の有無を確認していたようだった……周囲の視線がオレに集まってるのに気づくまで、流れ作業みたいに確認してた。
「とりあえず、意識がないだけのようです。どこか寝かせられる場所ありますか」
オレはエレナを抱え、食堂の人に訊いた。
「上に、帰れなくなったお客さん用の部屋があるけど……」
おかみさん……だと思われる人が言ってくれた。
オレは彼女についていった。
「どうしちゃったの?」
寝台を用意してくれているおかみさんに訊かれた。
「たぶん、いろいろと一気に思い出したんだと思います……7歳位までの事を」
思いあたる事を答える。
「……覚えて、いなかったの?」
「正確には思い出せなくなっていたってとこでしょう」
父さんは、記憶喪失ってのは頭を打った奴だけがなるもんじゃない、衝撃的な場面に遭遇した人もなると言ってた……職歴が荒事ばっかりの父さんの事だ、きっと凄惨な場面でそういう人に会った事でもあるんだろう。
記憶がない、というのは動くはずのひきだしに何かが突っかかって開かなくなるようなもんだ……と母さんも言ってた。
そして……エレナの開かなくなってたひきだしの突っかかりが、今さっき一気に外れたんだと。
「思い出せなくなってた、のね。アンナが亡くなっていた場所に、エレナちゃんが持って出た荷物が全部散らばっていたから……もしかしたら、アンナの最期を、見ていたのかもしれない」
……あり得ない話じゃない。
「男に追われたりしました?」
「剣術士と4人の手下が追っていたわ」
「小さい頃、知らない男の人が怖い・金属音……特に剣がカチャカチャいう音が怖いと言って怯えていましたね。抜き身の剣を見て泣くのも忘れるほど怯えた事もあったし、金属製の鎧の音で大泣きしてたから森番小屋の防具は全部革鎧だし」
夜中にしくしく泣いてるのに気がついて、でもオレが部屋に入っていくのもなんだかなと思って、父さんから母さんに伝えてもらって、母さんがエレナをなだめに行った事も、何度となく。
「剣術士と4人の手下……鎧兜姿、でした?」
「ええ。手下の4人は鎧兜で、派手にカチャカチャいわせながら走り回っていたわ。そういや剣術士以外は急に見かけなくなったんだけど、どこ行ったのかしら」
「……橋が壊れた日に、4体の鎧兜が谷底で発見されてるのはご存じですか」
おかみさんがオレを見た。
「うちの父と配下の者が、中身入りの4体の鎧兜を回収しています。身元確認は不可能な状態だったのでそのまま埋葬したと記録されてて……そいつらに追いかけられたのかな」
それしかないだろうな。
知らないオジサンが怖くて泣いて、金属音におびえて泣いて……っつったら、カチャカチャ金属音を出すおっさんどもに追っかけられたとしか思えない。
「しばらく私がついてるから、あなたは下で休んでいらしてね」
おかみさんにそう言われ、オレは階下へ向かった。
――――――――――――――――――
姉ちゃん……とおぼしき人を上に連れていった男の人が戻ってきた。
店の隅のテーブル席に座って、沈みこんでる。
俺とマルコは声をかけようにもかけられず、離れたところで躊躇してる。
「どうしたんだモーガン殿」
エンリコさんが声をかけた。
「どう……って。記憶が戻った時、記憶がなかった時の事を忘れてしまう事があるって聞いた事があるんですよ。もしもそんな事になったら……」
「自分の事を忘れられてしまうのが怖いのか?」
「いや、オレの事はどうでもいいんです。ただ、積み重ねた知識と経験がパァになってしまう可能性があるわけで……不純な動機で薬剤師めざし始めたオレと違って、真面目に見習いからコツコツ勉強してきてたんですから。それが無に帰すかも……と思うと、ね」
(たぶん)姉ちゃんは、それなりの経験をもつ薬剤師って職業らしい。
その知識と経験がダメになるかも……って。
「まだそうなると決まったわけではあるまい」
「それはそうなんですが……祈るしかないのかなと」
「そうでもないぞ。モーガン殿にしかできん事があるのではないか?」
エンリコさんがモーガンさんに言ってる。
「あの子が小さい頃、テイラー夫妻がしてやってた事があるだろう?わしらはそれが何かはわからん。しかしモーガン殿なら知っとるだろう?」
モーガンさん、何かに気づいたように顔を上げた。
もってきた荷物を開けて、中身を確認して大きくうなづいて……
「……台所、お借りできますか」
ピエトロに向かって言った。
「台所ってか、うちは食堂の厨房しかないですけど……」
「うちの台所も、大人数の食事をまかなう厨房スタイルなのでなれてます」
「そうですか、それでは」
ピエトロがモーガンさんを厨房に連れていった。
――――――――――――――――――
モーガン・テイラーと名乗った剣士のような薬剤師を、僕は厨房に連れていった。
……この人は、いったい何者?
エンリコさんが全幅の信頼をおいてるっぽいから、相当な人なんだろうなとは思うけど……だって、マルコと同じ位の年齢っぽいのに「モーガン殿」って呼んでるもん。
「すみません、仕事場なのに」
「いえ、かまいませんが……業務用規模ですよ?」
「うちも台所がこんな感じですから慣れてます。大所帯のメシを一気に作るんで」
……どんなお宅なんだ。
「野郎30人の昼飯と晩飯が余裕で作れる台所が要る、と家を建てる時に父が注文したらしいと聞いてます」
それはもう「家」のレベルじゃない気がする。
「必要な物は、僕の許可をいちいちとらなくてもいいんで、なんでも使ってください」
僕はそう言い置いて、厨房の隅に退いた。
邪魔になっちゃいけないからね。
モーガンさんは、ハーブの入ったレモン水にハチミツを垂らしたものを大量に作ったあと、薬草らしい物をナイフで刻んだり小さいすり鉢ですったりして練り物を一つ作り上げた。
円錐形にまとめあげ、すすけた小皿にのせる……何だあれ。
レモン水とグラスと小皿の練り物を持って上階へ行こうとしたので
「グラスは僕が持ちましょう」
これ位なら邪魔にはならないよな。
お客さん用の簡易客室で、母さんが姉ちゃんについてた。
……姉ちゃん、だよな。
だって、店に来た時……僕、鏡見てるんじゃないよね?って思ったもん。
僕は以前、実母によく似てるって言われた。
その実母に激似だという人なら、いなくなってた姉ちゃんでほぼ間違いないでしょ。
……なんて思ってると。
「部屋に匂いがついちゃうかもしれませんが、この練り香を焚かせてもらっていいですか?これ、エレn……彼女が小さい頃夜中に目が覚めて泣いてた時に母が部屋で焚いてやってたお香と同じ物です……気分を落ち着かせる効果がある、と言ってました」
モーガンさんが母さんに言ってる。
「あと、目が覚めたらこれを……特別なほうだと伝えてくれれば」
レモン水のポットを置いた。
僕は持ってたグラスをその横へ。
モーガンさんが練り香に火をつけると、えもいわれぬいい香りがし始めた。
「……この香りなら部屋にしみついてもかまわないね」
母さんがつぶやく位、いい香り。
「赤ん坊の夜泣きにも効くかい?」
「乳児がいる部屋で直接焚くのはおすすめいたしかねますが……別の場所で焚きしめた布を置けばいいかと」
モーガンさん、育児相談にのってる医師みたいになってる……そんな気分じゃないだろうに。
「ピエトロ、ザルとタオルを持ってきて。ここで焚きしめて、カルロにタオルを持って帰ってもらおうよ……夜泣きで寝てないだろあの子」
「赤ちゃんがいるのは、あとから来た人のところですか……じゃあ作りますね」
モーガンさんはそういうと、階下へ降りていった。
気分的にもそういう状況じゃないだろうに、医師みたいにてきぱきしてる。
なんて人だ。
――――――――――――――――――
嵐が過ぎ去ったような静けさが、食堂に残った俺達を包んでる。
そんな中、カルロが大あくびをした。
「ごめん、緊張感ないね」
「仕方ねえだろ、お前30分以上まとめて寝れてねえんだからよ?」
「……赤ん坊の夜泣きの声で上のチビが起きて泣いて、家じゅう全員寝不足なんです……うちが農家でよかった点は、近隣の皆さんにお手伝いいただける職業だって事ですかね……」
また大あくび。
本当に眠れてないからな、カルロだけじゃなく嫁さんもディアス夫妻も。
「そこまでひどいのか、夜泣き」
エンリコさんが訊いてきた。
「お隣さんが夜泣きに気がつくレベルってったらおわかりいただけるかと……」
またまた大あくび。
「……大変そうだね」
さっきもう一度客室にあがって行った男性が戻ってきていた。
「モーガン殿。こんな時に何なんだが、こいつ……カルロの次男の夜泣きがひどすぎるらしくてな。大人全員が寝不足なんだそうだ」
エンリコさんが問い合わせるかのように訊いた。
「次男君は、いくつ?」
「4ヶ月です……」
カルロが答える。
「そろそろ離乳食を、とか思ってる?」
「授乳後にお茶を飲ませ始めましたが」
「お茶……どんな物を?」
「大人が飲んでる奴を」
「薄めて?」
「いいえ」
「そのまま?」
「さすがに冷ましてますけど」
「問題はそっちじゃねえ……夜泣きがひどくなったのは、お茶を飲ませ始めてから?」
「え……そういや、そうです」
「じゃあお茶を飲ませるのをやめてみて。おさまるかと思う……それからもしかして次男君、便秘君になってる?」
「……なんでわかるんですか」
「大人のお茶を薄めずによく飲む子供にありがちな症状だから」
さすが専門家だ。
「詰まってっから腹が苦しくて泣いてる事もあるから、リンゴすって搾った奴とか甘い柑橘類の搾り汁を湯冷ましで薄めて飲ませると通る。あと湯冷ましならいくら飲ませてもいい」
医者じゃない男の人からこんなに専門的な事を聞かされるとか……なんかすごいな。
「あ。ある程度大きくなるまでハチミツは食わせるな……ハチミツ食って死んだり死にかけたりした赤ん坊が結構いるから」
「え!僕おとといマルコんとこに養蜂家からもらったハチミツあげたよね!?大丈夫!?」
確かにピエトロから、もらったけど。
「安心しろ、まだ食わせてない」
明らかにホッとした顔をした。
「そっちは何歳?」
「5歳と2歳と、来月生まれる」
「じゃあしばらく家族もハチミツやめておこうか……オレが直接見た中で、4歳の姉ちゃんがハチミツ入りの物を食って、その口を拭かないうちに赤ちゃんが姉ちゃんの口をさわって、その手を赤ちゃんが自分の口にいれて死にかけたっていう信じがたい事例がある」
……結構怖い話だ。
そういや、さっきモーガンさんがエンリコさんと話してた内容から推して……姉ちゃんはこのモーガンさんよりもキャリアが長いみたいだ。
そりゃダメになるのは惜しいよな。
――――――――――――――――――
燻らせた練り香は、私にも効果があったみたい。
この子が来た時から落ち着かなかったのが嘘のように冷静になれてる。
あなた、本当にあの日ピエトロを背負ってうちに来たエレナちゃんなの?
あの日のアンナより年上になっちゃってるけど……本当に、エレナちゃん?
疑う余地はないわね、こんなにもアンナにそっくりなんだもの。
「……ん、せんせい?」
気づくと、エレナちゃんが目を開けてた。
「ああ、起きた?」
半身を起こし、キョロキョロとまわりを見回してる。
「ここがどこか、想像はつく?」
「ええと……私、食堂に来たはずで……では、ここは食堂ですか」
「正解。ああ、そうだ。これをおあがりなさい……あなたの連れの人が、目が覚めたら飲ませてと作ってくれてたんだよ」
ポットの中身をグラスに注ぐ。
「なんだっけ、特別なほうだって言ってたよ」
エレナちゃんは、私から受け取って一気に飲み干した。
「あ……確かに特別なほうです、これ」
「何が特別なの?」
「ハチミツ入りなんです。特別じゃないほうは、後づけの甘味は無しなので」
2杯めは、味わうようにゆっくり飲んでる。
「最近は作ってくれる機会がなかったから、久しぶりだわこれ」
飲み終わって、深呼吸。
「怖い夢を見て起きて泣いてたら、お香焚いてレモン水飲ませてくれたの」
「それは……あの彼が?」
「……の、お母さん。薬剤師の大先輩で、私にいろいろ教えてくれた先生」
エレナちゃんが眠ってる間に、エンリコさんから少し聞いておいたんだけども。
もしかしたらあの日からの事を忘れてるかもしれないから、無理に聞き出そうとしないでほしいと頼まれてた。
だけどエレナちゃんは、自分から話してる。
なら、大丈夫ね……たぶん。
――――――――――――――――――
懐かしい匂いが、鼻をくすぐる……これは、怖い夢を見た夜に先生が必ず焚いてくれた鎮静の練り香。
あれ?私……薬剤師館に帰ったの?
ううん、違う。
植生分布調査に来て、食堂に寄ったら……食堂の店主とおかみさんが私を見て驚いて。
いろんな人が呼びにやられて……それで。
ピエトロと呼ばれた食堂の店主の息子?らしい人が、私にそっくりで。
呼ばれてとんできた人達は、食堂の人とよく似ていて……そう、シャルル様とクロードの間にエリーザ様を挟めば3人兄妹が完成する、あんな感じで。
マルコ・カルロと呼ばれた2人とピエトロと呼ばれた人は、絶対に3兄弟に違いなくて……私、その名前の3兄弟をよく知ってる気がして。
名前を口にしてみたのよね……そしたら。
一気にいろいろと情報が頭に流れ込んできた。
小さい子を背負って、男の子の手を引いて……もう1人の男の子を背負った大人の女性に手を引かれ、私が背負った子を別の女性に渡して。
少し歩いて、大きな畑がある家で1人男の子を渡して。
もう少し歩いて、毛皮がいっぱい吊るしてある家でもう1人の男の子を渡して……「やだよう、置いて行かないで」と泣く子に、「泣いちゃダメよ。父さんが来るのを待っててね」って女の人……ううん、母さんが言ったんだわ。
私、母さんと一緒に……橋を渡るんだったのよ。
だけど。
カチャカチャの一団が追いかけてきて。
母さんが、つまづいて。
カチャカチャの親分に捕まって。
「行きなさい!」
母さんが叫んで。
でも、でも!
「行きなさい!……走れ!!」
グシャ、って嫌な音がして……振り返ったら、母さんは立ってなかった。
真っ赤になって転がってた。
そしてカチャカチャが追っかけて来て……私は橋を1人でまっすぐ全力で走った。
ああ、私が「まっすぐ全力で走った」覚えがあったのは……逃げるため、だったのね。
「……なんだか、いろいろと一度につながってスッキリしたんだかモヤモヤしなおしたんだかわからない気分です」
寝台の横にいてくれたのは、先生じゃなく食堂のおかみさんで……思い出した中にもいた人。
最初に、私が背負った子を渡した人。
「一度に思い出したから、倒れちゃったみたいだね」
「お手数おかけしまし……」
「なぁに、私はあなたをここに寝かせただけだし、たいした手間じゃないさ……ここに寝かせた人の中で一番おとなしかったわけだし、いい物ももらえたし」
おかみさんの手元には、火をつける前の練り香がいくつか。
「へべれけで暴れる馬鹿達にも効くのか試したいもんだねえ……」
「たぶん効くと思います……害獣駆除帰りの荒ぶった人達には効きますから」
森番小屋で害獣駆除やった後は休憩させてから帰すんだけど、休憩させてる部屋で焚いてるから間違いない。
「ところで私、どれ位ここに」
「あれから夜の営業し始めて……ああもう終わってる頃合いだね」
結構な時間ぐっすり眠りこんでたのね私。
「下に降りるかい?」
「ええ」
寝起き顔をなんとか整えて食堂へ降りると……モーガンは両手をテーブルの上に投げ出した格好で突っ伏して寝てた。
知らない人が見たらビックリする仮眠中のモーガンの姿は、知ってる者ならいつ見ても笑える……腕がしびれないようにって理由だけで両手を投げ出して寝るんだもの。
「この兄さんは何者なの。自分の連れが世話になってるからって言って、お客さんなのに厨房まで手伝ってくれちゃって……父さんが唸るような美味しいスープ作っちゃうとか何なの」
弟、なのよね?
ピエトロと呼ばれてた人が言ってる。
「サン・トリスタンの薬剤師、のはずだが……シルベスターもゴードンも、彼のスープで回復したしな」
サルヴァトーレ様だわ……お隣にお住まいですもんね。
「でも何なんだあの緑。ラストオーダー作り終わったとたん飲むように渡されて飲んだら……えげつない味で」
店主さんかしら。
「硬いクッキーみたいな食い物じゃないのか、えげつない味の」
「飲み物ですよ。それはもう鮮やかなグリーンで」
「わしは緑色をした携行食とやらを口にしたが……何と言うたか、『栄養満点・味は0点』だったかな」
……それは名前ではなく評判です。
「料理人は栄養がかたよるから野菜をガッツリ食ったほうがいいけど、そんなに量食えるもんじゃないから……とは言われたな、飲んだ後に」
野菜を残した子供に飲ませるジュースだったはずなんだけど、店主さんに飲ませたのね……。
「……彼を、起こすかい?」
おかみさんが後ろから訊いてきた。
「一発で起きる方法があるので、お任せを」
そういって私はモーガンに近づいて……耳元で。
「急患!」
大声を。
「うわ!……どこ!何人!症状!……って、あれ?」
勢いよく起き上がったモーガンが回りを見渡して……
「なんて起こし方すんだよ!」
「普通に揺り起こしたら『あと5分』とか言うでしょうが!」
「だからって職業病を利用すんなよ!」
「あら、じゃあ『敵襲!』のほうがよかった?……こちらにご迷惑になるからやめといたんだけど」
「……やめといて正解だよ、あれはオレも痛いしな」
飛び起きて剣を置いた場所に転びながら走るんだもんね……先生いわく「あれはもう薬剤師の動きじゃない」だもの。
おかみさんのクスクス笑う声に気がついた。
「ええと……あの、何か」
「モーガンさんのご両親は、エレナちゃんを娘のように育ててくれてたんだなって思ったんだよ……」
「それに関しては……うちの親は『いつこの子の親が探しに来てもいいように、きちんと生活させなきゃ』と思っていたと言ってました。2人とも早くに親を亡くしてて、親代わりの人から大人になるまで見守られてたから……今度は自分達が見守る番なんだよって」
……私、そんな思いの中にいたのね。
「この年齢になってて言うのも何なんですけど……父から言われてきてるんです。もしも身元がわかったら、ちゃんと親元にお返ししてこいと」
そんな事を……?
「仮で作ったまま25年経過した書類も持たされてましてね」
そんな物まで!
「ずっと『森番小屋で預かってるエレナ』でしかなかったんです。身分証のような物があるなら……突き合わせて、本当の身分と統合させてくるようにと」
……そこまで、考えられてたのね。
「で、そのためには……どうやら関係者ご一同に今一度集合していただく必要がありそうですね。いろいろと証言していただける、親世代の大人の方がいてくださらなければならないようです」
サルヴァトーレ様が大きくうなづいて、封筒を1通出してくださった。
「これは、ニコラスとアンナの娘の正式な身分証ともなる書類だ。本人の名と生年月日と親の名と出生地が記されておる」
……正式な、身分証!
これまでの25年、いくら願っても手に入れられなかった物。
「第三者の立ち会いのもとで、その記録と証言者の記憶とを突き合わせる作業をしなければなりませんが……」
「モーガン殿が持ってきたという書類と併せれば、薬剤師のエレナさんはニコラスとアンナの娘のエレナ・ジェファーソンとして認められるというわけか」
「要は、そうです」
もう夜だというので、その作業とやらは翌朝以降に持ち越しになって……モーガンはサルヴァトーレ様のお宅に泊めていただく事になって、私は食堂の先刻の部屋でお世話になる事になった。
「アンナの娘が、無事でよかった」
おかみさんが、25年ぶりに安堵のため息をついてた。
――――――――――――――――――
ニコラス、アンナ。
君達の娘が、うちに来てくれたよ。
あの日、ピエトロを背負ってうちに来たエレナちゃんが、大きくなってアンナそっくりになって。
アンナが死ぬところを見てしまったからか、それでもがんばって橋を全力で渡りきって、記憶をなくした状態で国境の谷の向こうで保護されていたんだよ。
……ああ、君達はもう魂になっているから知っていたかな。
エレナさん、一発目で大当たりで身元が判明しました。
今後の身の振り方をどうするのか……思案のしどころですね。




