9. 自分以外の誰かのために。
いよいよ決戦の時が近づいてきている模様……
ここ数日、ミハイルの姿を見かけない。
丸1日見ない時は今までにもあったが、たいがいは遊び呆けて帰宅しなかっただけだった。
しかし、今回は5日以上帰宅していない。
遊び場所を訪ねさせても、来ていないと言われる。
家捜しももさせたが、いなかったそうだ。
いったいどこへ消えたのか。
「ユージェニア、ミハイルを知らんか?」
呑気に娘のところから帰ってきた妻を問いただした。
「存じませんわ」
「……母親だろうが」
「あら。そもそも私があの子にどこへ行くのか訊いたところで、ろくな受け答えをしないではありませんか」
……そう言われれば、そうだ。
「私があなた以上にあの子の行き先を知るはずございませんでしょう?常識で考えてくださいませ、あなたの常識で」
何かを含ませたような物言いをし、早々に居室へと行ってしまった。
私の常識、とは何なのだろう?
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アドルフったら。
息子が皇宮で拘束されている事も知らないのね。
仮にも勤務地でしょうに、皇宮は。
なのに何の知らせも受けていないとは……よほど人望がないのかしら?
私が知ったのは、娘が皇嗣妃殿下からお知らせいただいたからです。
皇嗣妃殿下のお客様……若い女性の方が滞在なさる客間に侵入したとか。
本当にもう、あの子がまだ私の手の内にいた頃に何故手をくだしておかなかったのかが悔やまれてなりません。
妃殿下から娘へのお知らせ内容は、近々謁見の間で皇帝陛下ご臨席のもとで裁きを行うというものでした。
陛下と皇嗣殿下は供に体調を崩されておいでだとうかがっておりますが、そんな裁きの場になどお出ましになって大丈夫なのでしょうか?
とは申しましても。
あそこまで増長してしまったミハイルは、陛下から厳罰でもいただかない限り更正は不可能でしょう……親である私の言う事ではないと存じますが。
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養育から女親を除外し凝り固まった思想を持つ男親とその側近が甘やかしたおして育てるという行為が如何に馬鹿げた事か……その結果がミハイル・ヴァルジという1人の男に表れている。
何をしても怒られることなく成長したためか、23歳にもなって何をしてはいけないのかという事を全く理解していない。
伝承や絵本の中だけの存在だと思われていた巫女様が現れたから、そんな珍しい女ならぜひ我が物にしようとでも思ったのだろう。
3歳児でもあるまいに、何故人を飴玉のごとく我が物にできると思うのか。
娘には多大なる犠牲とかなりの負担を強いてしまったが……心強い味方を多数引き入れてくれた。
人脈に恵まれた、この一言に尽きる。
国境の谷をはさんで隣接する、いわばお隣さんなハマー伯爵家の末の三女エリーザ嬢と親しくなれたのは大きい。
それにエリーザ嬢の兄上であるハマー伯爵家の養子息や戦える男性薬剤師なんて、そうそうお知り合いになどなれはしない。
しかもその男性薬剤師の母上はタリアの旧友だという。
このご時勢では会う事もなかなか叶わぬが、いずれは橋を渡って会いに行ければよいな。
戦える男性薬剤師は、我々に盛られていた薬類を突き止めたのみならず……客間にしつらえられていた簡易キッチンで作ったという食事も与えてくれた。
「簡単な物しか作れませんが」
と言って出される具沢山のスープは、スプーンをさしこんで手を離せばスプーンが立つ位の具材が入っている。
飽きのこない味つけは「家の味」だという。
「……私、シグナスが包丁持ってるところが全く想像できないんだけど」
「ご安心ください、これは父の味ですので」
何を以て安心というのか……。
「……お父さん、の?」
彼に会ったというガーネットとパールが意外そうな顔をしている。
「あの大男が料理をする姿は想像しづらいでしょうが、得意なのは大人数向けの野営料理とこの大鍋スープです」
どうやら調理する姿は容姿に似合わぬらしい。
「エレナも同じ物を教わったはずなんですけどね、完成すると別物なんですよ……なんででしょうかね」
一緒に育ったという、巫女様に化けている助手の女性・エレナさん。
そういえば……アドルフに向かってその父親の名前を言ったのだと伝え聞いた。
「エレナさん、あなたは先代宰相の名をご存知だったのですか?」
訊ねてみることにした。
「いいえ……何故かそう言わなくてはならない気がして、気がついたら口から出ていました。もしかすると、7歳までの記憶の中にあったのかもしれません」
……え。
「私、7歳位の頃に記憶のない状態で拾われたんです。覚えていたのは名前だけ……それもうろ覚え程度なので、もしかしたらこの名も親がつけた名ではないのかもしれません」
何てことだ、幼少時の記憶がないなんて。
「お気づかいは無用です。たぶん今30を越えているのだとは思いますが、テイラー夫妻にこの歳まで娘のように育ててもらいました」
……巫女様の格好だと年齢不詳だから気づかなかったけど、30位の成人女性だったのか!
なら、イーゴリの名が意識下にあったとしてもうなづける……奴が落馬して死んだのは、確か24~5年位前だったはずだから。
「そんな事よりも、今はあの不埒者を何とかせねばなりません。薬入りの食事を断ちテイラー家のスープでお元気になられたようで何よりです。あのスープは……本当に元気が出ますから」
エレナさんの言葉には実感がこもっていた。
おそらく、発見されたという日に食べて元気が出たんだろう。
「スープに薬効のある物は入っておりませんが、具材の量を惜しまずたくさんぶっこむのがコツだと父は申しております」
薬剤師・モーガンさんが教えてくれたコツというものを、パールがメモをとっていた……。
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お義父様もゴードンも、あっという間に薬効が切れて回復して……でも薬入りの食事を手つかずで回収させていたから、ヴァルジの手の者が様子見のためウロウロし始めた。
邪魔だわ。
「……邪魔ですね」
クロードさんがいまいましげに言う……この人って確か、伯爵夫人になったシグナスの友達の息子さん。
「とっとと片づけられるなら片づけてしまいましょう」
シグナスの友達は、お父さんの元上官のお嬢さん。
「祖父から、片づけ方のコツを教わってきておりますので」
ニヤリと笑う姿は、伯爵家の養子息という感じが全くしない。
「やっちまおうぜ。あいつらを縛り直すの、そろそろ面倒になってきた。あの縛り方、結構大変なんだから」
言われなければ薬剤師に見えないモーガン薬剤師は、早く片づけたいみたいだけど……
「もうちょっと待って。エレナも暑いだろうけどもう少し耐えてね」
もう少し、とはどれ位なのかしら?
「馬鹿息子がサン・トリスタン王国にまで放った追っ手は捕縛されたと連絡は受けています。そしてその追っ手達が有力な情報をくれたそうなので、代償として彼らの家族を全員亡命させる事になったと。それが完了してから事を起こすようにと祖父からの伝言がありました」
……有力な情報?
「私の妹が標的になった毒物事件がありまして、その首謀者に毒ヘビ1匹の報酬で雇われた名無しの共犯者の正体が判明したとの事でして」
クロードさんの妹……伯爵家の三女エリーザ嬢の事よね。
「……あいつ手こずったんだぜ」
モーガン薬剤師も関与したらしく、盛大に愚痴ってる。
「出国が完了したら、エリオットさんに連絡が入ります。そうお伝えくださいとチャールズさんからの連絡文に書いてありました……何故本人に直接伝えないのでしょう?」
「……おそらくお兄さんは、皇宮勤務の弟が間諜と思われるのを避けたいと思っているのだと思います。なのでいつもお兄さんからの手紙は差出人が別人になっていまs……あ」
パールが答えて、何かに気がついたみたい。
「確かお兄さんからの手紙が入っている封筒、差出人のお名前がいつもアンソニー・テイラーさんでした」
「父の名前です、それ。古い知り合いがややこしい所に手紙だす隠れみのにしたいから名前貸して欲しいって頼まれたと言ってました。グレイさん……チャールズさんだったのか、知り合いって」
テイラー家の男達って、多才なだけでなく世話やきでもあるのかしら。
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時は来た。
ヴァルジの息子がガーネットを連れ戻すべく放った者達の家族が全員無事に出国したとの事で、私達はヴァルジ一派を断罪すべく謁見の間に宰相を呼びつけた。
皇宮の侍医長も呼ぶ。
何人か地位ある文官も証人として呼んでおくようにとハマー伯爵家の養子息クロード氏の提案ものんで、壁際にズラリといてもらっている。
そして、女官達の中に紛れてアドルフ・ヴァルジの娘であるシャロン・バーンズ夫人にいてもらってある。
何事かと思って、アドルフが侍医長を伴って謁見の間に現れた。
幕は切って落とされた。
5日も息子が消息不明になっていても慌てず、
その身柄が職場にて拘束されてる事も知らされぬ父……こんなのが父親だったら、作者はイヤです。
さあ、火蓋は切られました!




