2. 何げない日々を過ごすという事
一応は平和なサン・トリスタン王国です……
ハンナ姉さまの婚礼も無事に終わって、ここ伯爵邸は人数的には増減なし……いや増える方向かな。
お父さまとお母さまと、クロード兄さま。
シャルル兄さまとイリーナ義姉さまと、もうすぐ2歳のアリッサちゃん。
イリーナ義姉さまのお仕事の関係で、お母さまのお友達のテイラー夫人の代理で兄さま達のお友達のモーガンさんが助手役にとエレナさん連れてよくいらっしゃって。
そしてイリーナ義姉さまのお兄さんのアルフさんも、奥さんのエミリーさんと3歳になったばかりのレイモンド君を連れてよくいらっしゃる。
エミリーさんはお仕事と体調の都合でいらっしゃらない時もあるけど、レイモンド君はアリッサちゃんの遊び相手。
エミリーさんの体調の都合、っていうのは……レイモンド君がお兄ちゃんになるから。
アリッサちゃんも新しいイトコが男の子か女の子か楽しみにしてる。
アリッサちゃんのイトコといえば。
マーサ姉さまのところも赤ちゃんが産まれるっていうし。
お母さまなんて孫と孫同然の乳幼児達に囲まれる計画を勝手にたててしまわれた位喜んじゃって……クロード兄さまから「少し落ち着きましょうね?」って言われてたわ。
お母さまって……ちびっこがお好きなのかしら?
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私の赤ちゃんだったクロードもエリーザも大きくなっちゃったから……というわけでもないけど。
小さな子が身近にいる生活っていいわね。
「うちなんて、冗談ぬきでいつになるかわかんないよ」
マリリンが愚痴を。
そうよね、モーガン君はクロードと同じく色気なし生活邁進中。
「職業柄、女性に囲まれすぎなんじゃないの?」
「それもあるのかな……闘技大会に早い内から出禁になったのも痛いね。7歳の時5つの大会で合計17人にケガさせちまって出禁になったから、優勝して女の子にモテる道が絶たれてさ」
それは……お父さんの教え方のせいだと思うわ、うん。
「エレナもいき遅れ扱いされてるしね……うちで育ったけどうちの子じゃないからどうしたもんかと」
そうか、エレナちゃんの事もあったわね。
正確な誕生日がわからないから、推定27歳。
正確な身元の確認ができないから、優秀なのにAクラス薬剤師。
本人に出自の記憶も記録もないというのがこんなに厄介だとは。
「ま、エレナの場合は色気より仕事だからねえ。18で女子寮の寮長させたら適任だったみたいでさ」
「今じゃ寮監みたいになっちゃったらしいじゃないの」
「そうなんだよ……どうしたもんかね」
……そこは本人次第、というしか。
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薬剤師資格の規則で決まっているから、仕方ないのだけれど。
Sクラスの受験資格がないのが、仕方ないとはいえ少し悔しい。
だから、といって……7歳より前を思いだそうとすると、得体の知れない恐怖が襲ってくる。
もういい大人なのに……怖いの。
誰にも言った事、ないんだけど。
アンソニーさんに拾われるちょっと前に……私、全力でまっすぐ走った覚えがある。
誰かに大きな声で「行け!走れ!」って言われたような気がしてる……それ以上は思い出せないんだけど。
大きくなって、自分がいたという場所に行ってみて……7歳が全力でまっすぐ走れる環境なのかを大人の目で見てみた。
橋の入口の前は広場になっているけど、それは渡る人が荷を積み降ろしするために必要なスペース。
そして広場に入る道はあまり広くない。
荷馬車も人力の荷車も、橋を渡る人の送迎の馬車も通る道。
子供がウロウロしてたら危なくて仕方ない場所だから、そこを子供の私が走ったとは考えにくい。
そもそも直線じゃない。
だから……私は国境の橋を全力疾走で渡って来たんじゃないかと思ってる。
エミリーさんとこの救援組織のグレイさんに相談すれば、もしかしたら親を探してくれるかもしれない。
だけど。
今じゃない。
帝国から出たい人を逃がすのが先。
安心と安全を必要とする人が先。
私は今、平穏を手にしてる……やたら男を紹介されるけど、そんなのは断れば済むし、しつこければ薬剤師必修の日傘護身術で遠慮なく撃退していいって言われてるし。
もっとしつこければオレに言え、二度と近づきたくなくなるようにしてやるよ……ってモーガンがおそろしい事言ってたっけ、頼るつもりはないけど(相手の末路が見える気がするから)。
私の素性の事や今後の生活は、国際情勢が落ち着いてからで充分。
私は私の仕事をするまでよ。
……女子寮の鬼寮監とか言われてるの、知ってるんですからね。
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脱出成功者が増えたぶん、書類も増える。
滞在を許可してくれる領によっては、亡命の手続きをとるよう言われる事もある。
私が正式に「エミリー・ホイットニー」になったのを機に、チャールズを代表として「移住計画事業所」を立ち上げた。
やってる事は全く変わらないけど、私が事務長として書類管理をしてる……と言えば格好いいんだけど、要は私が動き回れなくなっただけ。
結婚してすぐ馬車に長時間乗ってはいけないと医師・薬剤師・産婆さんに止められ、その後は乳児抱えて遠出はできず。
そうこうしてる内にまた馬車禁止状態になってるわけで(モーガンさんがアルフを種馬呼ばわりしたから、アルフが頭をひっぱたいてた)。
一応事業所の所在地はカートランド大街道大外3番第2宿になってるんだけど、実質ハマー領で事務仕事。
書類の保管場所は、私が2年住んだあの部屋。
水回りがないから余分な湿気はないし、下階は馬車庫で火の気もない。
上階にあがる階段ののぼり口に鍵のかかる扉をつけてもらって、「倉庫」の札をかけて部外者にはわかりづらくもしてある。
もしも万が一事業所本部が襲撃されたとしても、誰がどの地に行ったかが一目でわかる書類だけは無事って寸法。
とは言っても。
チャールズは襲撃はないとみてる。
自称・元傭兵の経験とカンだそうで。
「そのあてにならないカンとやらを信用しろと?」
「俺の上司だった元団長も、本部襲撃はないだろって言ってる。そもそも今まで国境付近まで追われても、橋を越えたら追ってこなかっただろ?奴ら、来る者は拒んで去る者は追わずなんじゃねえの?」
そう言われればそうだわ。
国境の橋にたどり着けさえすれば、追っ手は戻っていってた。
深追いして来た事は一度もない。
追っ手が橋に足をかけてるのを見た事はない。
おかげさまでこっちは多少ヒヤヒヤしながらもハマー領でゆっくりしてもらってから新天地へ送り出せてる。
「元団長いわく。前のボロ橋が壊れた時、深追いしようとしたらしい甲冑の奴らが4人谷底に落ちてたそうだ」
「落ちてた、ってそれ……落ちて死んでたって事よね?」
「あの高さから落ちて生きていられそうな奴はいねえと思う」
……でしょうね。
「エミリーはボロ橋を知らないと思うけど、あれめちゃくちゃ怖かったんだぞ。今の橋もまあ怖いといえば怖いけど、あんなの比じゃない位怖かった。重量制限もあったから、大荷物持って移動する時は何往復もしたもんだ」
……チャールズが怖がる位の橋なら、相当なものだったんでしょう。
「あのボロ橋をぶっ壊してくれたんだ、4人の甲冑にゃ感謝かもしれん」
それはまた別の話かもしれない。
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シャルルが無事に結婚して増築された伯爵邸別館の薬剤師館に引っ越して、僕の部屋の隣は静か……にはならなかった。
結局のところ、シャルル一家のお泊まり部屋になってる。
敷地内に家があるから帰ればいいのに、とは言えない。
伯爵夫妻は孫娘溺愛系なんだよね……。
ま、僕としても姪であり友人の姪にもあたるアリッサがかわいくない訳ないんだけども。
アリッサから「おじちゃま」と呼ばれて……実は血縁ないけど叔父でいいのか?とは思ってる。
モーガンのお母さんからは笑ってこう言われた。
「おばちゃまって呼ばれた訳じゃなかったんだから、いいんじゃないかい?」。
……そういうもんでいいの?
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シャルル様がイリーナと、アルフがエミリーさんと結婚してから……クロードとオレはよく言われる。
「次はあなた達のどっちかしら」
と、特に年輩の女性から。
時々、釣書まで持ってくるんだ……冗談ぬきで勘弁して欲しい。
クロードはともかく、オレは本当に放っておいて欲しい……いやクロードもダメか、伯爵様が何かお考えかもしれないもんな、有爵家の跡取り娘の婿とかさ。
オレは……うん、後進の指導とかやっていきたいからな。
今のところ男性薬剤師は王国全域で2人……オレと、ルブラン帝国出身のCクラスの少年。
もっと増やさなきゃ、だから。
縁談とか持ってこないで欲しいんだよなあ。
そんなの考えてる暇があったら、優秀な男の子をスカウトしに行きたい位だよ。
見合いの釣書より薬剤師やりたい男の履歴書のほうがありがたいんだから!
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モーガンさんがお見合いよろしく女性を紹介されるのを断ってばっかりなのって、決して男性薬剤師の育成のためだけじゃないような気がするのよね。
モーガンさんはシェルビーホール薬剤師館って呼ばれてるうちの手伝いに来てくれるんだけども、助手として必ずエレナさんを連れてきてくれる。
他のAクラス薬剤師は絶対に連れて来ないんだから……言わずと知れた思惑ありとしか思えないのは私の気のせいじゃないと思うの。
でも、本当のところはわからない。
単に薬剤師の先輩後輩になる前から一緒にいるからかもしれないもの。
シャルルとアルフが子持ちになった一方、
クロードとモーガンは色気なし生活まっしぐら。
でも……あれ?
モーガン君、言い訳じみていませんかぁ?




