身の丈に合わない宇宙
図工の時間に空の絵を描くことになったので、画用紙をめいっぱい絵の具で黒く塗りつぶしたら、描き直すように言われた。僕はそのことを強制した教師を執念く恨んでいる。新しい真っ白な画用紙を前に、僕はリビングで一人だった。
「修平、何してんの?」
中学生の兄は帰ってくるなり、冷房の効いたリビングでテーブルに向かっている僕を目にして、不思議そうに覗き込んできた。兄の着ている学校指定の夏の半袖シャツは目に爽やかな白さで、僕も早く中学生になって兄に並びたいと願ってやまない。でも、やっとその頃になったら、兄は中学校にいないことは確定している。三つの歳の差は何て不便で、いじらしいのだろう。小学校は何を着て行っても良いからって襟もポケットもないただ真っ青なTシャツを着て、そんなので始まった夏を少し涼しくなった気分でいる僕って何なんだろう。分からないことも上手くいかないこともたくさんあるし、それらを隠したり取り繕ったりする器用さは僕にはなくて、兄にはある。僕の白い画用紙と兄の白い半袖シャツの差が、その証左だ。
「先生が空をって言ったのに僕は黒くて、夜だからどこまでも黒くて、だから黙って余計に駄目で、それで白くなってしまったんだ。どうしたらいいかわからない。」
「なんとなく分かったよ。でも、夜でも月や星は見えるだろう?」
「見えない夜だってあるよ、人工の光や靄 、雲が大部分の空の黒を構成している日とかさ、」
「修平らしいな。」
兄はからっと笑って、僕の周りの湿った重い空気はたちまちに軽やかに光を含んだような気がした。「言っている意味が分からない」「お前は何を言いたいんだ?」という返答に慣らされた僕は、重い口をどんどん重くしていって、ついにはほとんど閉ざしてしまったけれど、兄の前では別だった。僕が自重に喘いでいても、心底まですくい取って、楽に呼吸をさせてくれる。ここでのみ生きていける、そんな柔らかな依存はやがて自分の首を絞めると知っていて僕は、毎日しがみついている。
「これって宇宙空間にある地球から見える空の範囲なんじゃないか?ほら宇宙を写した写真って黒いだろ、空気が無くて、……あっ、でもそれだと、星がたくさん見えるかもな。大気が無いぶん、澄んで綺麗に。」
「じゃあ僕、宇宙で見た空を描くよ、きっと美しいものがたくさんあるだろうから。」
にこっと前向きな笑顔を見せると、兄は嬉しそうに「楽しみだな。」と言った。愛おしいという言葉はこういう時にしっくりくるのだろうと、兄の澄んだ瞳を真っ直ぐ見つめて思った。前に図書館で借りた、ハッブル宇宙望遠鏡が撮った宇宙の写真をまとめた本を思い出した。僕の心はその写真に現れた宇宙の星々のように鮮やかな気持ちで、巨大に兄を抱きしめたいという欲望を心に渦巻かせていた。惨めで愚かでちっぽけな僕は今、兄に包まれて生きているけれど、いずれは兄と同じくらいかそれ以上に大きくなって溶け合うように境なく存在したいと、そう願わずにはいられないのだ。汗ばんだ小さな手の中で、黒色の絵の具をきつく握りしめるようにして、僕は白い画用紙に向かった。