ある夜の芸術の肖像
月が綺麗ですね、っていう愛の表現があるらしいけど、月はいつだって綺麗じゃないか。たとえ、前後不覚の酔っ払い、つまりは世間一般に言う"いい年して"職に就いていない兄と一緒に暗い路地裏を歩いていても、月は変わらずに太陽の光を反射して、俺らを照らしてくれているのだから。暗いことと汚いことをセットで義務付けられている面白みは、少なからずアルコールを入れた時にしか感じられないから、夜の路地裏の酔いのみじめさも希少価値のあるユーモアと言えるかもしれない。
「……、吐きそう、」
すでに吐いたかのような、つぶれた不快な声音で兄が言うとすぐに、べちゃべちゃと、いろいろな食べ物と飲み物が混ざった吐瀉物がほぼ黒色のコンクリートを汚し、異臭がすぐさま俺の鼻を突いた。
「あーあ、」
袋に入り切らない生ゴミ、に群がるネズミ、カラスは夜は寝ているらしい、あんなに夜に溶け込むのに適しているなりをしているのにな。忘れられた蔦が這っているボロボロの壁と壁に挟まれた道には、俺ら二人しかいない、飲み過ぎなんだよ。意識が混濁するまで酒を飲むなという忠告を兄がきいたことなど一度もないからもうとうに諦めていたけど、地面に手をついて、苦しそうに呻いている兄の背中を見ると、少しだけ後悔した。「大丈夫?、」と背中をさすって顔を覗き込むと、伸びきった髪の間からガサガサの不健康な色の肌が覗いて、開きっぱなしの薄い唇から、白く濁った粘性のある液体が垂れていた。「汚い、ああ、汚い。」そう二回呟くと、兄は顔を上げて、それが月光でよく見えた、目の下の隈が濃く影を作っている、薄い黒色に深い青色が混じった細い目は何かを恨むように不気味に光っていて、「うつくしい、」と俺は言った。
「お前、頭おかしいよ。」
心外ではないので黙っていた。兄の疑わしげに歪んだ唇についた吐瀉物を舐めたくて、でも必死にそれをこらえている俺は、泥酔者よりも強く崩れたふうに見えるだろう。
「でも、こんな俺のことを美しいって言ってくれるのはお前だけだな。」
月が綺麗ですね、ってこういう時に言うべきなんだろうけど、顔を伏せて再び影に沈む兄の方が平等さを心がける月なんかよりもっと綺麗なので、やっぱり俺は黙っていた。