不安
許せない、と思うことはありますか?
許せないことは許さなくていい。恨むことが自分にとって必要なことなら、恨んでいい。だけどそれは逆恨みでは意味がない――。
逆恨みではない、ある意味、正当な恨みであるからこそ、捨てなくてもいいし、恨みを保持する権利を人は持つことができる。そういうものだと思います。
今回は、自分でも意識しないレベルでやってしまっているかもしれない、「自分は悪くない」についての話です。ついつい、自分は悪くない、って思いたくなってしまうことはあると思いますが、その弊害について、考えてみませんか?
人から許せないことを言われたときは、許せない、って思っていいし、恨みを持っていていいと言ったものの、ミヤくんは、
「たーだーし! 逆恨みじゃ意味ないから!」
とビシリ! と言うと、続けざまに、
「許せないことは許さなくていいと言っても、それは、理不尽な目にあった場合に限られるから! 人から怒鳴られたら問答無用で『許せない!』って思うようなのはダメだから!」
ピシャリと言う。
人から怒鳴られたら問答無用で『許せない!』って思うようなのはダメ――というと、
「えっと、人からキツいこと言われても、言われるだけのことを自分がしてた場合は、キツいこと言われるしかない、っていうことだよね? 『自分に問題ナシ』のときなら、許せないって思ってもいいけど、『自分に問題アリ』の場合は、許せないとか思ってる場合じゃない……」
ということだよね、とミヤくんをうかがう。
「そゆコト~」
ミヤくんが、大きくうなずく。
「自分に否定的なこと言われたら、否定的なこと言って来たことを許さなくていいとか、否定的なことを言って来た人を許さなくていいとか――そういうことじゃなくってさ」
「うん」
「相手がなんでそういうこと言って来たのか、相手から言われるようなことを自分がしているのかどうか、そういうことを考えて。相手が言いがかりをつけて来てるぞ、っていうときだけ、許せない、って思っていいワケでさ? それも、その『人』を許さないんじゃなくて、その人から『言われたこと』を許さない」
そこんところがポイント! と、ミヤくん。
確かに、その通りだと思う。
例えば、学校で、掃除をサボって、先生に怒られたときに、『先生、ぼくのこと怒るなんてひどい! 許せない!』なんて思っていたら、それはおかしいわけで。どんなことでもなんでもかんでも、自分を否定されたら『ひどい! 許せない!』って思うようなのは、違う。許せないって思っていいって言っても、なんでもかんでも許せないって思っていいわけじゃない。
掃除をサボっていたのに怒られたことを恨んでいたら、それは逆恨みだ。先生に怒られたのは、掃除をサボるという『自分に問題アリ』な事情があったからなのに、許せないとか思っていられる場合じゃない。
「そもそも、自分に問題ある場合は『自分に問題アリ』に、自分に問題がないときだけ『自分に問題ナシ』にキッチリ分ける、っていうのが基本中の基本だから」
許せないことかどうかも、自分に問題があるかないかをキッチリ分けることが大事だと、ミヤくんが言う。
自分に問題あることは『自分に問題アリ』に、自分に問題ないときだけ『自分に問題ナシ』に分ける。それが大事。
そう考えていくと、改めて、仕分け人の仕事は大事だな、と思う。
仕分け人さん、大事だな、と思う――のと同時に、あれ? と思った。
もしも、なんでもかんでも許せないって思ったら、どうなるんだろう?
もしも、なんでもかんでも『自分に問題ナシ』にしてしまったら、どうなるんだろう?
ふと浮かんだ疑問を、僕はミヤくんに聞いてみた。
「もしも、なんでもかんでも『自分に問題ナシ』にしちゃったら、どうなるのかな?」
ミヤくんは、ちょっと驚いた顔をして、それから、どことなく生ぬる~い顔をした。
「なんでもかんでも『自分に問題ナシ』問題な~。それ、オレも考えたんやけど。それがさー」
ふぅ、とため息ひとつついて、
「仕分け人が、どんなときでもすべてのことを『自分に問題ナシ』の方に仕分ければ、針の番人に心臓を突っつかれずにすんでいいんじゃない? 傷つかなくていいんじゃない? って思うかもしんないけど。――これがまたそうでもない」
ミヤくんは渋い顔をする。
「そうなの?」
僕は、首をかしげる。
「針の番人はすんげーまじめな仕事人なんだよ。だって、針で心臓を突っつくっていう、結構キッツい仕事をするんだから、いい加減なヤツじゃ任せられない。ふざけ半分で適当に針で心臓つんつんされても困るからさ?」
ミヤくんに言われ、僕はその通りだとうなずいた。
「それもそうだね、悪くないのにつんつんされたくないよ。痛いのに」
ミヤくんは、そうだろうそうだろうとうなずいて、話を続ける。
「針の番人はキッチリ仕事をこなすタイプだから、針で突っつく仕事がゼロになると、どうしていいかわからなくなるんだ。 『あれ? 報告書がぜんぜん回ってこないけど、これってどうなってんの?』って」
不安になるんだよ、とミヤくんは、針の番人の気持ちを代弁する。
そういうものかな? といぶかりつつ、僕は話を聞く。
「なんでかっつーと、何にも悪いことしないで生きている人間なんていないから! だってそうやない? 自分に悪いところがない、なんの問題もない、完ッ璧な人間なんているはずないって。悪いことしてやるぜ! って思って悪いことするかっつーと、そうじゃないかもしんないけど、そんな考えずにやったことで人に迷惑かけちゃうこととか、絶対ある。人間が生きてく中で、悪いことしちゃうって、絶対にやらかすことなんだ。だからこそ、心の世界には、針の番人っていう仕事人がいるワケ」
ミヤくんが力説する。
悪いことしないで生きてる人間なんていないって力いっぱい言われると、なんとも言えない気持ちになるけど。とりあえず、自分がこれまでの人生で何か悪いことしたことあったかどうか、ちょっと考えてみる。
悪いこと、悪いこと……。
ちょっと歩けば横断歩道があるのに、そこまで行くのがめんどうで、つい横断歩道のないとこを渡っちゃったり。
友達から借りた消しゴムをうっかり失くしちゃったり。
うかつに山に入って遭難しかかったり……。
……あれ? 僕も意外と悪いこと、してるかも。
悪いことと言っても、犯罪になることだけが『悪いこと』 じゃない。
『悪い』とまではいかなくても、人に心配をかけることとか、人にイヤな思いをさせることとか、傷つけるつもりなかったのに誰かを傷つけてしまったりとか。よくないことしてしまうってことなら、きっと誰だってしているだろう。
ミヤくんの言うように、悪いことしないで生きてる人間なんていないはず――。
「それなのに、針の番人のとこに報告書がちっとも来なかったら? 針の番人のとこに報告書が来ないってことは、悪いコトしてないってことで。けど、悪いコトまったくしてないなんてそんなことってあり得ないから、針の番人は、自分が仕事サボってるみたいで落ち着かなくなっちゃうんだ」
ミヤくんが苦い顔で言う。
こうやって聞くと、針の番人がかわいそうに思えてくる。針の番人はまじめで仕事をキッチリこなすタイプってことだから、仕事サボるなんてイヤだろうな、って。
それで、針の番人はどうするんだろう、って思いながら、ミヤくんの話の続きを聞く。
「落ち着かなくなった針の番人は、ちゃんと仕事しなきゃいけないんじゃないかって思っちゃう。だけどさすがに報告書が届けられていないのに針で心臓を突っつくわけにいかないから、針の番人は、針は使わず、自分の指で心臓をつんつんするんだ」
「指で?」
「そう、指で。『大丈夫か? ホントは何か悪いことしてるんじゃないか?』って」
言いながら、ミヤくんは指で宙を突っつく。
「そんなことされたら、心臓をつんつんされた人はどう感じるって思う?」
「それは……」
どんな感じなんだろう?
なんとなく胸の奥がざわざわしてきて、僕の方こそ落ち着かないカンジになる。
すると、
「指だから、針で突っつかれるのと違って痛くはない。だけど、針の番人につんつんされた人は、胸がザワザワするような、得体のしれない不安を感じるんだ」
ミヤくんがわざとなのか、自然とそうなるのか、怪談話でもするように声を低くして言う。そのせいか、僕の胸のざわざわが、余計に大きくなる。
「不安を感じる……?」
今の僕みたいだ。胸のザワザワ。
僕は生つばを飲みこむ。
「そう、不安。えっと、『風に翻るカーテンがふいに身体の表面をなぜていったときみたいな』、『身体のどこかを小さな小さな虫が這ってるような』、ヘンなカンジ、っつーか。いっつもどこか、心がスッキリしなくて、それはきっと、本当は何か悪いことしてるんじゃないかって思いがあって、自分に自信が持てないからで。そういう、わけのわからない、不安定な精神状態になってしまうんだって」
ミヤくんはそう言って身体を縮こまらせる。身体のどこかを見えない虫が這っているかのように。なんだか僕まで、胸から全身にぞわぞわが広がっていく気がする。
ミヤくんは、何にも悪いことしない人間なんていないって言った。そしてそれはきっとその通りで。
何か悪いことはしてるはずなのに、仕分け人から『悪いことしてるよ』って報告書が針の番人のとこにちっとも届かなかったら、針の番人は、「これはおかしい、何か狂ってるぞ」って思うかもしれない。
「報告書が全然こっちに来ないけど、ホントに『自分に問題アリ』ってないの?」って、疑いの気持ちがふくらんでいって、仕分け人のことを信じられなくなってしまうかもしれない。ホントは『自分に問題アリ』にしなきゃいけない報告書を、仕分け人が間違えて『自分に問題ナシ』に回しちゃったんじゃないか、って。
「大丈夫かな、大丈夫かな、心臓突っつかなくていいのかな?」って、踊り場でおろおろして、「報告書をもらってないけど、ちょっと、突っついとこうかな」とか思っちゃって、指でつんつんしちゃうかもしれない。
そんなことが、もしも本当に心の世界で起こっているとしたら――。
人の心って不思議。
『自分に問題ナシ』ってことにしちゃえば、胸が痛くなることなんてないはずなのに。なんでもかんでも、『自分に問題ナシ』にしちゃうと、今度は、本当に自分に悪いとこはないのか不安になる。
心って、自分の中にあるものなのに、自分がどうしたいかでどうにかなったりしない。そんなうまくいかない。心って、自分で自分に都合よくコントロールするなんてこと、できないんだ。――って、僕は思った。
つづく
お読みいただき、ありがとうございます。
この作品には心の小人が登場しますが、小人は自分自身の分身です。なので、小人が不安定になると、自分自身も不安定になります。小人たちを不安定にしないことを考えていくことが、自分を守ることになっていくんじゃないかな? と思うのですが……?
次回は、今回に引き続き、自分は悪くないと思う弊害についての話になります。
次回もよろしくお願いします。