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群青の夏  作者: 黒飛蝗
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「自分の意思で」

 昨日の紅白戦、初回に佑介の先制ツーランホームランを浴びた渡辺は、二回と三回にも二点ずつ失い、三回限りで降板した。控え選手チームは、英治の前にわずか二安打に封じられ、二塁を踏むことすら叶わず、終わってみれば、九対0で、レギュラーチームの圧勝に終わった。


 そして、試合を翌日に控えた土曜の昼下り、試合前日ということで、野球部の練習は、午前中に軽く汗を流す程度で切り上げられていた。その後誠たち四人組は、英治の家に集まっていた。


 この日は、夏の甲子園の予選に、東商が初登場することになっていた。近年やや低迷気味の東商は、今年はノーシードから甲子園を目指すことになっているが、大物一年生市川和彦の加入もあってか、前評判は高い。注目の市川は、四番・ライトで、スターティングメンバーのラインナップに、名を連ねている。


 対戦相手は、聞いたこともない名前の公立高校だ。まず間違いなく、東商が圧勝するだろう。それをみんなで一緒に見て、試合前に士気を高めよう、というわけだ。本当は球場まで直接観戦に行きたかったのだが、電車とバスを乗り継がなければいけない場所にあるので、試合の前日に、そこまで遠征するのもどうかということになり、一番広い英治の家で、テレビ観戦することになったのだ。


 白と紺色を基調とした、伝統のユニフォームを身に纏ったナインが、各ポジションへ散らばる。その姿に、未来の自分を重ねわせ、胸が高鳴る。因みに、東尾中のユニフォームは、東商のユニフォームを模したデザインになっている。


 試合開始のサイレンが鳴り、東商のエースナンバーを背負った投手が、右オーバーハンドから、第一球を投じた。ボールはストライクゾーンのほぼ真ん中へのストレート。バッターは初球から積極的に打ちに来たが、完全に振り遅れて空振り。一見大人しそうな風貌ながら、球威の方はなかなかだ。


「あれで何キロぐらいかな?」


 誠が、英治に尋ねた。


「うーん、多分百三十キロぐらいじゃないかな。今のはまだ全力投球って感じじゃないから、本気出したら、百四十近く出るかもね」


「うん、このレベルの学校でエースナンバー背負ってるなら、それくらい出てもおかしくないだろな」


 英治の答えに、佑介も賛同する。


「いまライト守ってる一年の市川って人、ピッチャーもやるんスよね。その人が投げるとこも見たいなぁ」


 誠たちがそんな会話をしている間に、東商の投手は初回を三者凡退で切り抜け、攻守交替となった。


 一回の裏の東商の攻撃。四番の市川には、一人ランナーが出ればほぼ確実に打順が回ってくる。対戦相手の先発投手は、東尾商業の看板に早くも名前負けしているのか、表情に余裕がない。案の定力んで制球を乱し、先頭打者をフォアボールで歩かせてしまった。そして、続く二番バッターは、手堅く送りバントをしてきたのだが、サードが焦って一塁へ悪送球。東商は早くも先制のチャンス。そして、続く三番の左打者が、高めに抜けた変化球を体の軸が全くぶれないシャープなスイングで、見事に捉えた。スタンドが東商応援団の歓声に沸く。ライトの頭上を越える、先制の二点タイムリー・スリーベースヒットだ。


「あの体格でもあそこまで飛ぶんだ。スイングも速いなぁ」


 翔太が、目を丸くする。


 続いて、四番の市川が右バッターボックスに立った。市川の名は、以前から、誠も知っていた。一年生にして、東商の四番を任された男として、地元の高校野球ファンの間では、すでにちょっとした有名人だ。 


 よく日に灼けた顔には、太くて濃い眉毛、鋭い光を放つ双眸に、太い鼻筋。肩幅が広く胸板の厚いがっしりとした体躯。画面越しにもくっきりと見えるほど筋肉が盛り上がった腕。両手には黒のバッティンググローブ。手にしたバットも黒。高く構えたバットを手首で揺らすようにして、腰を沈めるどっしりとした構え。一年生とは思えない風格だ。画面に映し出されたプロフィールには、身長百八十一センチ、体重八十四キロとある。体格も、高校一年生にして、すでにプロ並みだ。 


「すげぇガタイだなぁ。あれでほんとに俺らの一コ上かよ」


「小川先輩だって、ぜい肉絞ったらあんな感じになるんじゃないスか?」


「うるせぇよ。これでもちょっと気にしてんだぞ」


 佑介が、翔太の頭をで軽く小突き、冗談とも本気ともつかないことを言う。


「あっ、そうなんスか? じゃ、このお菓子、オレが食っちゃっていいッスよね」


 翔太は、小突かれた頭の事など気にも留めずに、英治の母親が一人分ずつ分けて用意してくれた菓子の、佑介の分に手を伸ばす。


「あっ。バカ、やめろ」


 佑介が、翔太を止めようと手を伸ばした瞬間、テレビの画面から快音が聞こえた。同時に大歓声が響き、実況アナウンサーも大きな声を上げた。市川が、レフト上段に飛び込む特大のホームランを放ったのだ。


「すごいな……」 


 英治も、珍しく目を丸くして驚いている。


「お前のせいで肝心なとこ見逃しちゃったじゃねぇか」


 佑介が、今度また翔太の頭を小突く。


「だいじょぶッスよ、リプレーやるから。ほら」


 翔太が、テレビの画面を指差すと、今の市川のバッティングがスロー再生される所だった。

 左足を大きく上げて、体ごと叩きつけるような豪快なフルスイング。足の踏み込みも、腰の回転も、スイングの軌道も、一つ一つの動きが大きく力強い。


「すっげぇ。あんなとこまで飛ばせたら、気持ちいだろうなぁ」 


 などと言いつつ、懲りずに菓子皿へ伸ばした翔太の手を、佑介が、今度は思い切りひねり上げた。


 東商は、その後もさらに猛攻を加え、十四対0で七回コールドゲームとなった。七回裏にリリーフ登板した市川の速球は、最速で百四十三キロを計測し、三者連続三振。投打に圧倒的なスケールを見せつけた。


「いやぁ、試合前のいい景気づけになったなぁ。じゃ、明日に備えてゆっくり休もうぜ」


 佑介が、満足そうにそう言って、立ち上がった。


「そうだね。じゃ、エーちゃん。また明日」


「うん」


「おじゃましました。お菓子うまかったッス」


 そして三人は、宮田家を後にした。


「市川って人、すごかったなぁ。な、誠」


「うん。次も勝てば、その次の相手は光陵学院だけど、もしかしたら勝っちゃうかもね」


「ほんとにすごかったッスよね。先輩たちも、来年からあのチームでやるんだから、大変だなぁ」


「なんだよ。俺たちじゃレギュラー取れねぇってのかよ」


「そういうわけじゃないッスけど、あんだけ強いチームになるくらいだから、やっぱ練習とかも、相当きついだろうなって思ったんスよ」


「お前みたいなヘタレと一緒にすんじゃねぇよ。それより、お前明日絶対遅刻すんなよ」


「はぁーい」


 いつもの調子で去っていった翔太に、佑介がため息混じりにこぼす。


「ったく、何が練習きつくて大変そうだよ。みんなそんなの、覚悟した上で入ってきてるに決まってんじゃねぇか。なぁ、誠」


「うん、そうだね」


 佑介は、翔太の言葉を笑い飛ばしていたが、誠は内心、どきりとしていた。自分の力が、果たして東商で通用するだろうかという不安は、間違いなくある。


 佑介は、どうなんだろう。不安や迷いはないのだろうか。


 聞いてみたいけど、そんなことを聞いたら、自分が弱気になっていることを悟られてしまいそうで、聞けなかった。


「じゃ、誠、明日頑張ろうぜ。じゃあな」


「うん」


 いつもの場所で佑介と別れてから、誠は、少し離れた所から、佑介の広くて分厚い背中を見つめていた。見慣れているはずの背中が、心なしか、いつもより大きく見えたような気がした。 


 佑介と別れた後、喉が渇いたので、何か飲み物を買おうとコンビニに立ち寄った。店に入って、ドリンクコーナーへ向かう途中、雑誌売り場に並べられた、一冊の本が目に留まった。


 その本は、毎月発行される野球雑誌で、表紙に東尾商業の文字が見えたのだ。本を手に取ると、小さく切り抜かれた市川の顔写真が、表紙に掲載されていた。どうやら今月号には市川の記事が掲載されているらしい。誠は迷わずその本を飲み物と一緒にレジへ持ち込み、イートインスペースに腰を下ろした。


 記事には、小学生の頃から硬式野球で活躍していること。強打者としては勿論、投手としても、すでに百四十キロを超える速球を投げているということ。東商では、主に四番ライトでスタメン出場し、終盤にリリーフ投手としてマウンドに上がるという起用法が定着している事などが書かれている。また、市川がインタビューに応じる姿や、バッティングフォームとピッチングフォームの連続写真も掲載されていて、その脇に評論家の解説が書かれており、それによると、強靭な背筋とリストが最大の持ち味であり、将来的には打者としてのほうが期待値が高いが、投手としての可能性も捨てがたい、とのことである。


 インタビュー記事には、大学野球で活躍しプロ入りを嘱望されながらも、故障に悩まされてプロ入りを断念した父に、幼い頃から野球の厳しい指導を受けてきた事、将来的にはプロ入りは勿論、メジャーリーグへの挑戦も視野に入れている事などが書かれている。その記事の中に、どうしても気になるコメントがあった。


<プロになることは、父と自分との二人分の夢ではあるけど、父の為に野球をしているという意識はないですね。父の影響で野球を始めたのは事実だけど、自分はあくまで自分の意思で、自分がプロになりたいから野球をやっています。勿論、それを誰よりも応援して支えてくれてきた父には本当に感謝していますし、父が自分のプロになれたときにそれを喜んでくれれば、自分も嬉しいですけど。>


 自分と市川は、いずれも父が示す道を歩んで生きてきた。だが、誠が自分の意思とは無関係に、父が示す道を〝歩まされている〟のに対し、市川は自分自身もそれを望んで〝歩んでいる〟という所に、決定的な違いがある。


 そこでまた、誠は木田の事を思い出した。市川と同じく、父に厳しい野球の指導を受けていた木田。でも木田自身の気持ちと、木田の父の気持ちには大きな隔たりがあり、誰も望まぬ最悪の結末を迎えてしまった。


 木田の父も、息子が憎くて、厳しい野球の指導をしていたわけではなかったのだろう。自分なりに、息子にとってプラスになると思っての事だったのだろう。


 義秀も、自分がさせようとしている事が息子の為になると、本人は思っているのだ。それは、誠自身もわかっているつもりだ。


 でも、父さん。俺、勉強だけが全てじゃないと思うんだ。他の事何もかも犠牲にして勉強したって、楽しい人生なんか待ってないと思うんだ。


 自分が考えている事は、決して間違ってはいないと思うけど、父が言う事も、正しくないとは言い切れない。だけど、自分の人生は自分のものなのだから、自分が進む道は、自分の意志で決めたい。高いレベルで野球がしたいというだけでなく、父に従順なままだった今までの自分から脱却するためにも、野球を続けたいと言う気持ちを貫く事と、将来の安定を最優先に考え父の意向に従う事と、果たして自分にとって、どちらの選択が正解なのか、迷っている気持ちはある。


 努力は必ず報われるなんて言葉を信じるほど、現実を知らないわけじゃない。だけど、自分が三年間努力し続ける事ができたのは、その努力が、それなりに報われてきたからだ。それに、誠は野球を始めた時から、打撃も守備も走塁も、ある程度なんでもこなせていた。もともと、基本的に運動神経が良かったのだ。だからこそ、ここまで野球を好きに慣れたし、努力も続けられたという部分は間違いなくある。


 もし、生まれつき運動が苦手で、努力をしても上達せず、三年間控え選手のままだったりしても、野球に対して今と同等の熱意を持つことが出来ていただろうか。自分のような心の弱い人間に、そんなことが出来ただろうか。おそらく、いや、きっと出来なかっただろう。


 明日の試合も、自分はおそらくいつも通りに、一番・ショートで先発出場する事になるだろう。レギュラーに選ばれると言う事は、チームを代表して、チームの看板を背負って試合に出るという事だ。出たくても出られない選手も多い中で試合に出させて貰う以上、彼らを納得させられるプレーをしなければならない。今は悩んでいても仕方ない。まずは、最後の大会に集中しなくては。

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[良い点]  まずは第八話までの感想で。  じっくり腰を据えて読みたい。  多分、これから関係が変化していくのかな? たのしみです。 [気になる点]  あえてバッサリやります。  読みづらいです。この…
2020/05/15 09:58 退会済み
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