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群青の夏  作者: 黒飛蝗
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「考える事」

 翌朝、誠は、いつものように佑介と待ち合わせをして、野球部の朝練に向かった。


 学校へ着いて野球部の部室に入ると、少し間を置いて制服姿の宮田英治が部室の扉を開いた。英治は、誠や佑介と共に東商のスカウトを受けた野球部員の一人だ。


「おっ、エーちゃん。おはよう」 


「おはよう」

 佑介の声に、英治が応える。大らかな佑介は勿論、誠や他の殆どの部員も、朝練のある日はユニフォームかジャージで登校するが、几帳面な英治は必ず制服で登校して、部室でユニフォームに着替える。


 切れ長な目に鼻筋の通った端正な顔立ち。部活の時以外は縁の無い眼鏡をかけていて、中学生にしては長身だが、誠以上に肌が白く、体つきも細身で、制服を着ていると、一見体育会系には見えない。しかし、ボールを低めに集める制球力は抜群で、切れ味鋭いスライダーは、誠や佑介でも簡単には捉えられない。


「あ、菊池はまた寝坊?」


 いつも一緒に登校してくる翔太がいないことに英治が気づいたらしい。もっとも、翔太の遅刻は珍しい事ではないので、さほど驚いた様子は無い。


「そう。誠が家出る頃、ライン来たってさ」


 翔太は、こういう時には必ず、口うるさい佑介ではなく、温厚な誠に連絡をする。それでも、結局顔を合わせれば、小川キャプテンのお叱りを受ける事に変わりはないのだが、とりあえず嫌な事は何でも後回しにするのが、菊池翔太という男なのだ。


「それがよ、あのバカ、絵文字やら顔文字やらベタベタ貼っ付けたラインよこしやがんの。ったく、そんなヒマあったらさっさと支度しろってんだよ」


「相変わらずだね」


 英治が苦笑する。


「エーちゃん、風邪気味だって聞いたけど、今日はもう大丈夫なの?」


 誠が尋ねた。英治が、昨日の午後の練習を休んでいた理由が、風邪気味だったためだということは、青木から聞いていた。


「うん、ほんとに大した事はなかったんだ。ただ、今の時期に無理は出来ないからね」

 ワイシャツのボタンを外しながら、英治が答えた。


「大会、近いもんね」


「それもあるけど、変に長引かせたら、受験勉強にも影響出るかもしれないからね」


「えっ、エーちゃん、一般受験するの?」 


「そうだよ」


「じゃ、東商行かないの?」


 今度は、佑介が尋ねた。


「うん、もう正式に断ったよ」


 英治は淡々と、そう言った。はじめから、東商に行く気などさらさら無かったかのような言い方だった。


「野球は、もうやんないの?」


 佑介の質問に、英治は淡々と答える。


「いや、野球部には入ろうと思ってるよ。でも坊主は嫌だから、坊主にしなくてもいい学校がいいかな、とは思ってるけどね。私立は厳しいとこ多いから、多分公立かな」


「たしかに、エーちゃん坊主絶対似合わなそう」


 佑介の言葉を聞いて、誠はふと英治の髪を見た。少し赤みがかった色の直毛は、野球部員の中では最も長く、襟足は首筋を殆ど隠すほどの長さだ。風を受けると柔らかく揺れるその髪は女性的にすら見え、英治を体育会系のイメージからさらに遠ざける。誠も、英治が坊主頭になった所を想像しようとしてみたが、全くイメージが湧かなかった。


「エーちゃん、最初から東商行く気なかったの?」


「うん。野球は好きだけど、野球するために学校へ行くような選択をするつもりは最初から無かったよ」


 あくまでも淡々と話す英治に、佑介は驚きを隠せない様子だったが、誠はそれほど驚かなかった。英治は、大人しそうな外見とは裏腹に意志が強く、考え方も大人びている。あっさりと堅実な将来を優先した英治の選択を、誠はいかにも彼らしいと思った。


「そっか。でも、やっぱ将来のこと考えたらその方がいいのかなぁ」


「別に俺だって、他に大した理由なんて無いよ」


「そうなの?へぇー、なんかちょっと意外」


 佑介が、目を丸くする。


「意外?何が?」


「いや、なんかエーちゃんて、大人っぽく見えるから、もう自分の将来のプランみたいなの、ばっちり出来上がってるんだと思ってた」


 誠も、そこは同感だった。英治の成績は、学年でもトップクラスだ。現時点で大学進学を視野に入れていることは当然として、その先の事まで、しっかりと見据えているのだろうと勝手に思い込んでいた。


「そりゃまぁ、やってみたいと思う仕事とかも無いわけじゃないけどさ、高校三年間と大学四年間、合わせて七年もあるんだよ。その間に自分がどう変わっていくかなんて、まだわかんないよ。だからさ、今はまだそこまで自分の将来を煮詰めたり、絞り込んだりしなくてもいいんじゃいかなって思うんだ。それなりに考えてはいるけどね」


「やっぱり、エーちゃんは大人だなぁ」


 誠は、ため息混じりに言った。


「どうして?」


「いや、なんていうかさ、こう、周りに流されずに、地に足がついてるっていうか、自分の考えをしっかり持ってるっていうか。俺も将来何がしたいなんて、全然決まってないけど、もうやりたい事とか見つけてる奴だっているじゃん。そういうの見てるとなんか焦っちゃうもん」


 誠の意見に、佑介も同調する。


「俺もそう思う。俺は東商で野球やるつもりだし、親にも青木先生にももう言ってあるけど、その先のことってなったらやっぱり、どうなるんだろうとかって、ちょっと不安になる。だから、誠みたいにもっと先のこと今の内から考えて、早く決めなきゃって焦っちゃう気持ち、俺もあるもん」

「いや、俺だって自分の将来について何も悩んでないってわけじゃないよ。でもさ、結局中学生の俺達に現時点で考えられる将来なんて、たかが知れてるじゃん。今の時点で将来の目標が決まってるって言ってる人たちだって、これから先に他にもっとやりたいことが見つかるかもしれないだろ。だから、今の俺達にとっては、将来のことを決める事より、悩んだり考えたりする事の方が大事なんじゃないかなって思うんだよね。まあ決まってるのに越した事はないかもしれないけど」


 英治の言う通りかもしれない。結局、十五年かそこらの人生経験しかない自分達に出来る事なんて、たかが知れてる。でも、だからといって、何でも大人達の言う事に黙って従っていく事で、自分が大人になれるとも思えない。たかが知れているかもしれないけれど、出来る限り自分の力で、自分の意思で、自分の進むべき道を見極めて行きたい。


 自分の意思で行動して全て上手くいくなどと思うほど、世の中が甘いものではない事ぐらいは、わかっているつもりだ。それでも、失敗を恐れて立ち止まったり、誰かに頼ってたりしてばかりいたら、いつまで経っても子供のままだ。


「所で、井岡は東商行くんじゃないの?」


「えっ?」


 どきりとした。佑介をちらりと横目に見ると、バツが悪そうに目を逸らした。


「いや、そりゃ行きたいけどさ、なかなか簡単には決めらんないよ」


「ふーん、それこそ意外だな。井岡だったら、迷わず推薦受けると思ってた」


「えっ、何で?」


「だって、井岡って、ほんとに野球大好きって感じに見えたからさ。練習中だって誰よりも熱心だし。むしろ断る様な理由なんてあるの?」


「いや、別にこれといって、理由があるわけじゃないんだけど……」


 言葉に詰まってしまう。


「まだちょっと迷ってるワケだ」


 誠の気持ちを代弁するように、英治が言った。柔らかく、穏やかな口調だった。


「うん……」


「ま、みんな色々だよね」 


 そう言ったきり、英治はそれ以上、深く追及して来なかった。いつもマイペースな英治は他人に干渉する事を好まない。


 人は人、自分は自分。誰もが違って当たり前だし、人には話したくない事があって当たり前なのだ。でも、それを弁えて人と接するのはなかなかに難しい。必要以上に深入りしてしまえば、相手を怒らせたり傷つけたりしてしまうけど、あまりにも無関心だと、協調性のない冷たい奴だと思われてしまう。


 佑介のように、幼い頃から気心が知れていて、何でも言えるような友達もいれば、英治のように、適度な距離感が心地良い友達もいる。翔太のように、生意気だけどどこか憎めない後輩もいる。誠は、東尾中野球部が大好きだ。でも、この仲間達と野球ができる時間は、もうそれほど長くは、残されていない。開幕が目前に迫っている夏の大会が終われば、三年生は事実上引退だ。夏休みに入れば、塾の夏期講習も始まり、いよいよ受験勉強は本格化する。


 東尾中学野球部員として、未練は残したくない。後悔もしたくない。完全燃焼したい。


「お待たせ、行こうか」


 着替えを終えた英治の声にはっとし、佑介に少し遅れて頷き、グラウンドへ駆け出していった。

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