タジマ探偵事務所
タジマは、大学を卒業してすぐにウラジオストクに移り住んだ日本人の探偵である。
優秀な彼はロシア語をすぐに習得し、それなりの資産、日本での実績から、自身の探偵事務所を構えており、数々の難事件の解決に助力してきた。
タジマ「ふぅーっ...」
「あっ、おかえんなさい」
事務所へ戻ったタジマを迎えたのは、綺麗な黒髪を後ろで2つに縛り、前髪を長く伸ばした小柄な女性だった。
名をメイズといい、タジマの助手である。
メイズ「なんかわかりましたか」
タジマ「何もわからないということがよくわかったよ、メイズくん」
メイズ「どーなってんでしょーね。この事件」
メイズは中国出身の女子大学生で、留学先のウラジオストクが気に入り、大学を中退。以降アルバイトをしつつ、タジマの助手として生計を立てている。彼女も学に富んでおり、ロシア語が堪能で、タジマも口には出さないが、助手としてよく思っている。
タジマ「だが、諦めたわけじゃないさ。このまま引き下がるのは私の探偵としての沽券に関わるからね」
タジマはそう言いながら、一人の少女が写った写真をデスクの上に置いた。
メイズ「その子は?」
タジマ「被害者だ。マーシャ・トルストイ。12歳。女性。A型。2003年1月1日生まれ。ドイツ人とのハーフで、生まれながらのバイリンガルだ。ただ両親は彼女の幼い頃に他界。里親が見つからず施設で暮らすようになる。内向的な性格で、あまり人とは話さなかったようだ」
メイズ「...」
タジマ「でも、施設の子どもたちは、マーシャに懐いていたようだよ。少なくとも、あの様子を見ればね」
タジマは、悲しみに暮れる子どもたちを思い出しながら言った。
胸の痛む光景であった。
コズロフ「邪魔するよ」
すると突然、ノックもなしにコズロフが事務所に入り込んできた。
メイズ「わっ、びっくりした」
タジマ「なんだい藪から棒に、コズロフ刑事」
コズロフ「せっかく休むなら、一緒に休まないか。目と鼻の先にレストランがあることだしな。メイズ、君も来たまえ」
メイズは目を輝かせた。
メイズ「まじっすか!ゴチになるっす!」
コズロフ「誰が奢ると言った?君の分まで払ったら俺の財布がもたんよ」
メイズ「残念っす...」
タジマ「わかった。いいだろう。メイズ、払ってやるが少しは控えてくれよ」
メイズ「おー!やったっす!」
ご機嫌になったメイズと、タジマ、コズロフは事務所を後にし、向かいのレストランへ出かけて行った。
後には、マーシャの写真だけがデスクに残されていた。
昼時のためか、レストランは家族連れや若者達などが多く、そこそこの混み具合であった。
メイズとタジマ、向かいにコズロフという形で席に座った。
座るや否や、メイズはメニューをひったくるように取り、眼力で穴でも空けるのかという勢いで見始めた。
そんなメイズを後目に、タジマは向かいのコズロフに問いかける。
タジマ「コズロフ刑事、急に我々を呼び出した理由は何だ」
コズロフは悠々として聞き返した。
コズロフ「何だと思う?...いや、今回のは君にも少し難しいかもしれないな」
そう言われ、タジマは少しむっとした。
タジマ「面白い、当ててみようじゃないか」
メイズは相変わらずメニューと睨めっこの最中だ。
タジマ「私が君と現場で別れ、事務所に着くとほとんど同時に君は事務所にやってきた。私は徒歩で帰宅したんだが、君は車を使ったね?」
コズロフ「何故わかった?」
タジマ「服のシワのつき方だ。一定時間何かに座っていたのがわかる。それで、君の車が何キロ出していたのか...までは車まで見に行かないと流石にわからないが」
タジマは窓の外を行き交う車を数秒観察した。
タジマ「んー、大体40キロくらいか?今ちょっと混んでるからね。そう仮定しよう。とすると現場から事務所まではおよそ10分くらいかかったんじゃあないかな」
タジマは腕時計を確認する。
タジマ「凡そ11時27分頃に、ー事務所に来た時の君の表情から察するに、何かとんでもない報せを受けたんだろう」
コズロフ「素晴らしい。ほとんど正確に時間を言い当てたな」
メイズは未だにメニューと格闘している。
タジマ「こんなのウォーミングアップにもならないさ。それに肝心な『何があったか』がさっぱりだ。何かありえないことがあったというのは、察することが出来たんだけどね」
コズロフ「たとえば?」
コズロフは水の入ったコップに手を伸ばした。
タジマ「本当に見当もつかない。遺体でも消えたとか?」
タジマは冗談を言うように、空を見ながら適当な出任せを言った。
コズロフはコップに置いた手を思わず震わせた。水が少しこぼれてコズロフの手にかかった。
コズロフ「いやはや驚いた。恐ろしい勘だ」
コズロフはこぼれた水をハンカチで吹きつつ感心して見せた。
タジマ「まさか当たりか?自分でも驚きだ」
タジマは呆れながら苦笑を飲み込んだ。
ただ事ではない。
まして苦笑している場合でもないし、ここは何より食事の場だ。
タジマは気持ち背を低くし、声をひそめた。
タジマ「...それは本当か?」
コズロフ「マーシャ・トルストイの遺体は司法解剖に回されていた。だが、解剖直前になって、マーシャの遺体は安置室から姿を消したんだ」
メイズ「よおし決めたっす!」
今までメニューを睨んでいたメイズがようやく顔を上げ、それを合図にするようにタジマは店員を呼ぶベルを鳴らした。
タジマ「コズロフ刑事、君のセンスは最悪だ。ランチの肴にそんな話題を持ってくるとはね」
コズロフ「すまないな。今自分でも不謹慎だと気付いた。全く、妙な事件に付き合い過ぎたせいだな。この話題は...ランチの後に続きをやることにしよう」
コズロフは、無神経にも死体の話を食事の場に持ってきたことを詫びながら、ようやくメニューに目を通し始めた。タジマもメイズからメニューを受け取り同様にした。
注文を聞きに来た店員に、メイズが幸せに満ちた表情でとんでもない量の料理を注文するのを横で聞きながら、タジマはどんどん青ざめていった。
タジマ「少しは控えろと言ったのに...」
メイズ「めちゃくちゃ控えましたよ?3分の1くらいには。あ、すみませんティラミスとチーズケーキ追加で!」
タジマ「...」