四話
次の日、俺はまた淡い期待を抱きながら、図書館に入る。
教室にいる時は相手からはもちろん自分から話しかけることさえ出来ていない。
だから、変わったことといえば一回か二回彼女から見返されることがあるくらいだった。
何故か図書館なら話しかけることが出来る気がして俺は少し強気だったのだが、彼女はいなかった。
今日の昼休みも弁当を持って早々に教室を出たのを見ていたからきっといると思ったのだが当てが外れたようだ。
どこかでゆっくりご飯でも食べているのだろう。
俺は早々に目的をdrawingの入手に設定し、図書館を捜索した。自分の落ち度に気づいたのはそれから間も無くだった。
俺がその本について知っている情報はたった二つ。名前とジャンルのみ。表紙のデザインすら知らない俺は準備不足だったとしかいえない。彼女に教えてもらおうなどと甘美な夢を抱いていた昨日の俺を恥じる。
なんならスマホでも持って来ればよかったと後悔する。
一度教室に戻って孝之にでも聞こうと扉の方に戻ると、昨日一度見た女子生徒が受付で本を読んでいた。
多分、図書委員だろう。ロングヘアの美人だった。彼女の顔立ちと手に持った本は彼女に知的な印象を与えている。
「すいません。ドロウイングっていう本の一巻を探してるんですけど」
「それ私が今借りてる」
彼女の若干高圧的な口調は置いておいて俺は彼女の手に持った本をしっかりと見た。
「強欲って書いてあるけど」
彼女はちょうどテーブルで死角になっていたところから本を出すとテーブルの上に置いた。
その本の表紙には確かに英語でDrawingと刻まれていて単語の下には剣を持った女性が描かれていた。
「分かりました。また借りに来ます」
だが、ここで話は変わった。カウンターの上にはかなりの厚みの単行本が六冊横向きに置かれていて、背表紙には傲慢、憤怒、嫉妬、怠惰、暴食、色欲と六つの大罪の名前が入っていた。
もしかして俺があの本読めるのって彼女が他の大罪全部読んでからなんじゃ。
本を読むのにかかる時間がどれくらいかは知らないし、彼女の読む速度がどれだけ早くてもかなりの日数がかかるのではないだろうか。
俺は隣の六冊も借りているのかと尋ねた。
彼女はそうだけどと言った。
「やっぱりその本貸してくれない?」
「いや」
彼女は付き合ってられないとばかりにページをめくる。
「そこをなんとか」
俺は手を合わせて懇願した。
「だから嫌だって」
「どうしても今すぐ読みたいんだ」
「どうして?」
俺は言葉に詰まった。好きな人が読んでいる本だからとは言えなかった。
「理由は言えないけど」
俺がそう言うと彼女は分かったと仕方なさを多分に含んだ分かったを言った。
彼女はカウンターにdrawingを置いた。
「ありがとう。すぐに読んで返すから」
俺はすぐに近くのベンチに座ってページをめくった。
「小説デビューの感想は?」
亮は俺の隣でイチゴ牛乳を飲んでいる。
「疲れた。でも結構面白い」
20ページも進まなかったが慣れないことをしたので疲れがどっと溢れた。
「孝之凄いな。いっつもこんな本読んでたのか」
「和樹は力入れて読みすぎなんじゃないか。それに初めてでこれは中々だぞ」
孝之はパラパラとページをめくって言った。
亮がどんな感じなのと孝之から本を取る。
「うわ。これキツイわ」
亮は本を開いて数秒で音を上げた。
亮じゃないがこの本は難しい言葉が多く読み切るには時間が要りそうだった。
俺は心の中で本を貸してくれた図書委員の顔を浮かべ、返すの遅れそうだ。ごめんと謝罪する。
それから三日間俺は慣れない本と格闘を繰り広げた。実際には確かに疲れはしたが内容はとても面白く主人公一行のキャラクターもユニークでかなり楽しく読ませてもらった。
隣人云々関係なしに俺はこのシリーズに夢中になっていた。
俺が図書館を再訪したのは徹夜で読み切った翌日だった。
図書委員の彼女は静かに本を読んでいた。ピシッとした姿勢が彼女の知的な雰囲気を助長している。
本を読んでいる人は総じて話しかけづらい雰囲気がある。
孝之も中学の頃からの幼馴染だがとっつきにくいオーラを纏っていた気がする。本を読むとそのオーラもより濃く見えた覚えがある。
本とは知的な雰囲気を付与すると同時に多分のとっつきにくさを出すというのが俺の持論だ。
彼女が生み出す立入禁止の看板を跨ぐ。
「返すの遅れてごめん」
俺は本を返すとめっちゃ面白かったと付け足した。
彼女は数秒空けてこう切り出した。
「あなたは私に貸しがある」
そうよねと詰めてくるのでもちろんと言った。
「早速、その恩返してもらいたいのだけれど」
彼女の不敵な笑みを見てあー面倒なことになると半ば悟った。
俺は要件はと問うと彼女は簡単よと一言。
「本を返してきてもらいたいの」
それだけなら簡単だと二つ返事で了承した俺は愚かだった。愚かだった。
「相手は?」
「赤垣正弘」
赤垣という珍しい名前。彼女が自らではなく依頼するわけ。大体わかった。
「どうしたの出来ないの?」
彼女はきっと俺を困らせて喜んでいるのだ。彼女は微笑む。
俺は仕方ないと溜息を吐きながら決意を新たにした。
俺は赤垣という男について一切聞くことはなくすぐに二年の教室に向かった。足取りは重りを付けたように重かった。