二話
昼休みが始まってすぐに教室を去る彼女に距離を開けてついていく。彼女の足は思いの外機敏でするすると生徒たちの間をすり抜けて行く。
彼女の行き先が分かったのは二階の別館と繋ぐ通路を歩いた時だ。図書館だった。
この学校の図書館は文字通り図書館で図書室ではない。ひょっとすると適当な私立図書館より大きいかもしれない。
この学校の図書館が異様に広いことは情報としては知っていたが実際に敷居を跨ぐのは初めてだった。活字離れが現在進行形で進む諸学生にとってこの図書館は宝の持ち腐れと言い表すのが適切だろう。
俺は孝之たちとのやり取りを回想した。
「そういえばうちの図書館ってマジで広いらしいな」
亮が言った。
「まだ行っていないのか」
孝之はそう言うと珍しく驚いたような表情を浮かべるとすぐに俺に尋ねた。
「和樹は」
その鬼気迫る表情にはっきりと口に出してノーと返すのは憚られたので俺はゆっくりと首を横に振った。
「な!二人とも行ってないのか」
孝之はその後こう続けた。
「ここの図書館は私立図書館と比べても遜色ない。いや、それよりも広く如何なるものでも揃えている。だと言うのに。豚に真珠。猫に小判。もうお前らと話すことは二度とないだろう」
彼はいつにも増して力強い口調で言い切った。だが俺や亮にとってこんな展開は慣れたもので亮はニヤケ面を浮かべながらこう返した。
「孝之が若月に告ったのも図書館らしいな」
そういえばと俺は思った。確か若月がそんな事を言ってた気がすると。
「はぁー?そんなこと今関係ないし」
亮は孝之の変わりようを見て爆笑した。その後は孝之がまた一つ地雷を撃って五分になったが客観していた俺も巻き込まれててんやわんやだった。
こんなしょうもないやり取りすら思い出せるのだから俺は記憶力がいい方かもしれない。
昼休みが始まって数分だからか普段からあまり人が来ないのか分からないがまだ誰もいなかった。彼女も見失ってしまったがきっとこの中にいるだろうし、目的を忘れて本を見て回るのもいいかもしれない。
入ってすぐの所には雑誌や最近取り寄せた単行本が綺麗に立て掛けられている。
姉が表紙を務めた雑誌も置かれていた。発売されたのもつい先日でウチの本棚にも陳列されているが未だに読んでいないことを思い出し、何の気なしに手に取った。
家の中ではうるさくいつも笑っている姉だが音声などない雑誌の1ページの中では悲しそうな顔をしたり何か儚さを感じさせる表情をしたりする。認めたくないが綺麗だ。
姉が出ているページを一通り見終え、雑誌をしまうとすることがなくなった。猫に小判という孝之の言葉も受け入れざるを得ない。
掛け時計がここに来て五分が立ったことを示しても未だに来訪者が来る気配はない。本離れが一番な理由なのは確かだが第2の理由として恐らくこの図書館の位置も利用者の少ない理由の一つだろう。この図書館に入るためにはさっき通った地味に長い通路か一度学校を出て正門を通るしかない。
正門から入るにしても二階の通路を通るにしてもそこには明確な目的が無くてはならない。軽い気持ちで暖簾をくぐるとはいかないのだ。
きっと図書館があるのはみんななんとなく分かっているのだろうが、場所が分からない生徒が大多数なのは察しがつく。
ここを日常的に利用する人からすれば人は少ないのに本は大量にあるというトレジャースポットかもしれないけど俺みたいな初見さんには開けるのも一苦労の重厚な門だ。そもそも初見さんなんて本に興味がないのだからいない。
本が好きな人が来るところ。それが図書館か。
だとしたら俺のような動機は不純かもしれないな。
俺は心の中で苦笑し、本来の目的である隣人探しを続行することにした。
図書館をくまなく探すが中々見つからない。彼女を見つけることが出来たのはもう出て行ったかと落胆したのと同時だった。彼女が視界に映ったのは。
彼女はしばらく本棚を眺めるとやがて一冊の本を手に取り読み始めた。
その姿が様になっていてどこか神秘性を秘めたものに見えた俺にはそこが踏み入れてはならない場所に思え、声をかけることが出来なかった。
見ているだけではただのヤバいやつなので適当に本を取る。当然、ページが進むわけもなくチラチラと横目で彼女を追う。
表情はマスクが邪魔で判別がつかないが幾分か柔らかくなっている気がする。
俺は彼女の気分がいいと仮定して彼女が読書をやめたら声をかけることにした。
そう言えば俺話す内容考えたっけ?
俺は今更ながら話す内容を考えていないことを後悔した。
だが内心とは裏腹に彼女は読書をやめ、中途半端に決めたことが中途半端に出た結果、何も考えずに無策で俺の足は前に進んだ。
彼女は至近距離に立った俺を訝しげに一目見ると離れようとする。
俺は「あの」と声をかけた。
彼女がもう一度俺を見る。
言わなければ何かを。何かって何。声を出さなきゃ。出来るだけ正直に。
「一目惚れしました。俺と付き合ってください」
俺は深く頭を下げた。これが俺の人生初告白になった。