一話
君は少し変わってる。テレビに出るようなタレントと比べるほどじゃないけどやっぱりちょっと変わってる。
今日だって体育の授業が終わったばかりなのにもうマスクを付ける。いつ付けたのかも分からない。素顔が見たいととても思う。
笑顔を見せない。マスクを付けていたって笑っているか笑っていないかくらい分かるけど隣の席なのに口角が上がってる気がしない。確かに僕も古典の先生の語尾が少し高くなるところとか現代文の先生の少しオーバーな朗読なんかは笑ったことないけど。
だからクラスの明るい奴らが先生の真似をしてもオリジナルですら無反応なんだからコピーでも反応はしない。
マスクを着けているからなんとなく自分に自信がないのかと思うこともあるけどそれは違うと思う。
俺には君が自分だけの世界を持っているように見えてそれがひどく羨ましかった。
確かに人付き合いが得意そうな感じはないし、誰かと話しているところなど見たこともない。授業中、先生に回答を求められることさえない。
でも彼女はもっとだ。そっちを見ることさえないし、気にする素振りさえ見せない。何を見て笑うのだろう。バラエティは見るのだろうか。
目はかなりキリッとしているし、肌は陶器のように滑らかで、新雪のように白かった。
そんなことばかり考えて気づけば授業が終わっている。
「かずきー、何か面白いことない?」
亮は俺の机の上で肘を組むとその上に頭を置いた。よくやる姿勢だ。
俺はないと言った。本当にないのだからしょうがない。
「つまんねーの。タカは?」
「ドラマでも見てろ」
孝之は左手に持った小説に夢中のようだ。そもそも話を聞いているのかどうかさえ怪しかったがどうやら一応聞いていたようだ。
「ドラマかー、和樹はあれだ。姉ちゃんの出てるやつ見てるんだっけ」
「見てないと色々ガミガミ言われるから。それに結構面白いし」
ゆい姉の出てる映画、絶対見に行かされるだろうな。ゆい姉が出た映画はひとつ台詞があるくらいのも観に行かされたし。半年前に観に行った時は誰も声かけてなかったけど今行ったら分からないな。
「てゆうかそういうタカは何観てんだよ」
少し間をおいて孝之はアウトレイトと言った。
ドラマはほとんど見ない俺は聞いたこともなかった。だが、ドラマやら芸能人やらにはやたらと詳しい亮はすぐに分かったようだ。
「あー、アウトレイトな。俺は見てねえわ。ちょっと堅っ苦しいつうか。ライトなのでいいっていうか」
どんな話と尋ねるとスマホの使用は放課後までというルールをおくびにも感じさせないほど堂々とスマホの画面をこちらに向けた。今、先生がくれば言い訳のしようもないだろう。即現行犯逮捕である。
堂々とするなと孝之が叱ると何故か自信満々に今は来ないと亮は宣言した。
普段からノーガードの亮のスマホだが不思議なことに一度も取られたことはない。もちろん、このクラスでもスマホの押収劇は数度行われているし、直近だと18禁の萌えゲーを隠すことなく教室の真ん中でプレイした杉谷の没収が新しい。
よくわからないやつで白昼堂々萌えゲーをしている点を除けば世の高校生から羨望を受けてもおかしくないスペックである。
友達あり。彼女(美人)あり。勉学優秀。顔も良し。
事実、同じオタク界の住人からは既に崇められているようでオタクの最成功例だとか言われているらしい。
かくいう俺も杉谷の現彼女(今の彼女は三人目らしい)との関係から何故か数回プライベートで会ったことがあったりする。
その時も内なるオタクが出たと思えば引っ込み、引っ込んだと思えば数倍の濃さで現れたりとよく分からないやつだったのだが、その印象は現在も寸分たりとも変わっていない。
今も一度没収をくらったにもかかわらず堂々とイヤホンを付けてスマホの画面を見ている。角度から何をしているかは分からないが指の忙しなさからおそらくゲームだろう。亮のように没収が身に染みていないならまだしも彼が何事もなかったように隠そうとすらせずにゲームをするのはバカなのか天才なのか。はたまた勇者なのか。
そう思って彼のとっくに見飽きた顔を眺めていると本当に勇者に見えてくるような来ないような。兎角、彼が普通という言葉からはかけ離れた場所で俺たち凡人を俯瞰しているのは事実だろう。
「おい、和樹ー。どこ見てんだ」
亮が不思議そうにこちらを見つめていた。
「いや、別に」
教えろよと亮は笑った。何の気なしに孝之の方を見るが彼は手に持った難読そうな本に吸い寄せられるようにページをめくっていた。
隣の席の彼女はいつものようにどこかに消え、いつのまにか席に着いていた。
彼女が席に着くとチャイムが鳴る。
何をしているのか疑問に思う。明日の昼休みについて行ってみようか。それはただのストーカーではないか。そんな自問自答も今日で何度目だろうか。
意思が決心に変わる頃には最後の授業は終わっていた。
俺はあまり何かを決めることに時間がかかるタイプではないはずだが隣人のこととなると話は違う。
話しかけてみようか。ラインを聞くべきか。勉強を聞いてみるか。消しゴムを落とすか等々。
すべてにおいて煮詰まった結果、入学して3ヶ月が過ぎた。
幸い、彼女を狙っているなどの情報は今のところ入っていない。
まあ一度もマスクを外したこともなければ話したこともロクにない彼女に関心を寄せることが可笑しいと言えば可笑しいのか。だとすればどうして彼女が気になってしまうのか。
そうなると必ず入学当初のワンシーンに辿り着く。もう数ヶ月が立つというのにその時のことは今でも鮮明に覚えている。
明日こそ勇気を出して話しかけてみよう。