だから彼女は月を見上げる④
「本当に申し訳ませんでした……」
「でした……」
リーエルの部屋の中で、土下座をするツバサとマリー。もっとも付き添いでやらされているマリーは不満しかない顔を浮かべているが、ツバサの額は絨毯のシミが取れそうなほど額に擦り付けられている。
「あの、怒っていませんから大丈夫……頭、上げてくださる?」
車椅子の館の主は、何一つ怒ってなどいなかった。むしろ部屋で自分よりも頭を低くされる方が、余程居心地の悪い出来事だった。
「いやでも」
「もう……ずっとそのままだって言うなら、追い出しちゃうんだから」
そこでようやく、二人はその頭を上げた。
「ところで、何の遊びをなさっていたのかしら」
「ああ、えっと……ロケットの実験の玩具みたいなもので、機構とか計算とか基礎を学べるんだ」
一応身振り手振りを交えて説明するツバサだったが、理解が得られるだろうとは思えずつい苦笑いを浮かべていた。
「空飛ぶ爆弾が?」
「いや、本当は爆発しない」
思わず小声になってしまうツバサ。子供に夢を与えるべき道具で子供の家を破壊したのだから、申し訳ないのは当然のである。
「というと、空飛ぶだけ?」
「そうだよ」
きょとんなどという小気味のいい音が聞こえそうな顔で、リーエルは首をかしげる。この世界を生きる彼女にとって、それは当たり前の発想だった。
「……魔法やドラゴンでいいのでは?」
空を飛ぶための方法は嫌というほど溢れている。それなのに爆発するというデメリットを抱えてまで、そうする理由が見当たらない。
「いや、それだと宇宙に行けない」
だから、そうまでするたった一つの理由をツバサは答える。今度はリーエルの顔から、ぽかんという情けない音が鳴ったような気がした。
「まぁ、わかりやすく言うと月のある場所かな」
子供向けの説明をしてみるも、彼女の表情が変わるような事はない。
「えっと……何をしにそんな所に?」
湧いてくるのは新たな疑問だ。どうしてそんな手間をかけて、目の前の男はそんな所に行こうとするのか。
「何をっていうか」
一瞬そこでツバサの言葉が詰まる。宇宙飛行士を目指していただけあって、宇宙開発の恩恵について一晩中語れるぐらいの知識は頭に詰め込まれている。だが、そのどれもがこの車椅子の少女に語るには、違ったような気がした。
「旅行に行きたいってのが近いかも。見たこと無いものを見たいとか、何となく行ってみたいとか」
大義名分を抱えて宇宙を夢見る人間は、いないのだろうとツバサは思う。
「あとはほら、月からここがどんなふうに見えるかとか」
地球は青かったなどという当然の言葉は、いつの間にか教科書に乗っていた。だからこそツバサは、この世界が何色なのか見てみたかった。
「……一つ聞いてもいいかしら」
「どうぞどうぞ」
「どうしてそんな無意味な事に……目を輝かせていられるの? 月まで行って、何の得も無いじゃない」
ツバサは少し頭を掻く。何度も聞かれた質問だったが、口で説明するのはいつも限界があるように思っていた。
「おや皆様、ここにいましたか」
ツバサが程度のいい言葉をひねり出す前に、部屋の扉がカールによって開けられた。
「どうやらすっかり、仲良くなられたようで」
「そんなことないわ。この人達が勝手に上がり込んだだけよ」
ツバサはその問に答えず、微妙な顔をすることしかできなかった。
「えーっと……カールさん、そういえば謝りたいことが……」
というわけで、改めて実質的なこの館の管理人に謝罪しようと話題を変える。
「ちょうど良かったです。ツバサさんには夕食の支度を手伝って頂こうと思っていましたので」
「じゃあ、芋の皮でも剥きながら」
そういって二人はリーエルの部屋を後にして、厨房へと向かった。残ったマリーはリーエルに笑顔を向けるが、つんと顔をそむけてしまう。ため息を付くわけにも行かなかったマリーは、ふっと小さく息を漏らした。